コロ という犬が居た。

コロは 自分がコロだとも知らず、 いつも 大きな木の下に居た。

コロは わたしたちが勝手にそっとつけた呼び名であって、 それは所有などではなく、

わたしたち人間と犬ころの友情に乾杯して、私ども人間が断りもなく付けたものであった。

 

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コロは 白い犬。

母犬は毛並みの良い薄いベージュ。

彼らは大自然の中で、 自由に犬らしく犬の人生を当たり前に暮らしていた。

それは、日本のような国から来た私にとって、幸せとは何かを自動的に訴えかけられる景色である。

犬は犬らしく、犬のように、犬の日々を、精一杯に、しかし大変ゆったりと、暮らしている。

犬は自分の意志で、 (これは当然のことであるが)飛び跳ねたり、夕陽を眺めたり、一人でそっと時間を過ごしてみたり、そう思えば次は家族と団欒したり、道路を渡るときは右左をみたり、そうして生きている。

そういうことである。

これは、タイが私に教えてくれたことの中でも、大変大切なことであったと思っている。

また、これは、全世界が、 特に日本のような全てを管理している国において 知り置いて欲しいことでもある。

 

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さて、 コロは、 この様にコロの大きな木の下で、 いつも私達を大歓迎し、また時には淋しそうに見送ってくれた。そしてある日、忘れもしない2021年7月19日の夕方以降、それは突然に、私たちが再び出会うことはありませんでした。

誰にも分からない、コロ しか知らない、なぜ消えたのかも、どこへ行ったのかも、無事なのかも、分からない。

それは、大変辛いことであったと同時に、何の約束も束縛も無い自由の上に私たちの温かい友情が存在していたこと、 それを 双方がじんわりと噛み締めていることが分かる、それがぼわー・・・っと熱を出し心を温めているのがよく分かる。

そんな不思議な感覚であった。

人間と犬ころの友情物語。それは、本当に、数ヶ月の、温かい物語だった。

 

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思い出すといつでも心を温かくするのは、朝陽の中で再会する瞬間である。

土日の早朝、 私たちは家からウォーキングをはじめ、 やがて「コロの木」に到着する。

コロの木 が見えてくると、 口笛で知らせてみるのだ。

それを聞きつけたコロは、 踊るように掛けて来る。 明らかな 笑顔で。

大好きなひとと再会できた喜びで、また、朝がやって来た喜びで、私たちは朝陽を背に、再会を喜び、声を掛け合う。

周りでは、相当の種類の野鳥たちの声が響き渡っている。

花が咲き、タイの田舎の朝は、本当に明るい。

目を閉じると、心の中で、いつでもあの瞬間に行ける様である。温かいコロ、ありがとう。