先日、セミナーで出てきた話。

 

 

 

 

あなたは「ゲーム」に対してどんなイメージがありますか?

 

 

 

 

 

ゲーム・・・

 

 

 

 

の次に出てくる言葉を

あげきってください。

 

 

 

 

ゲーム・・・ぼーい。(古い)

 

 

ゲームをしすぎると・・・

 

 

ゲーム・・・あつもり・・・

 

 

ゲーム・・・まりおかーと

 

 

ゲーム・・・すーぱーふぁみこん(世代です)

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

・・

 

 

 

はい、終了。

 

 

 

そのなかに、「目に悪い」みたいなイメージがありませんでした?

 

 

「目」だけじゃなくても、やりすぎるとよくない、的な。

 

 

 

 

 

それ、うちの子供もあるんです。6歳で、すでに。

 

 

 

 

 

誰から、そう学んだかね。

 

うちの妻から、かもしれません。

 

そんなことを言った、のかもしれないし、

 

友達が言ってた、のかもしれません。

 

 

 

 

 

私は、別にゲームはしたいときにすればいい、

と、思っているのですが、

 

 

 

 

私の部屋にきて、

いつもゲームをしたそうにして

 

 

「今日も、ゲームするフリしよっかな・・・」

 

 

とかいいながら、とりあえず触ってるんです。

 

 

 

いや、したいんでしょ、って。笑

 

 

 

かわいいやつなんですが

 

 

 

「やればいいしょ」

 

 

 

といえば、大喜びします。

 

 

 

 

中学時代までの私の生活のなかにおいて

 

私は本も読めなかったし、

 

ゲームがなかったら

 

このつまらない人生のなかでどう生きていいか、わからなかった

 

そう言ってもおかしくないくらい

 

ゲームはたくさんしていました。

 

 

 

 

 

だって、「やることがない」んだもの。

 

 

 

 

 

お金もない

 

遊び方しらない

 

親は〇〇したらだめっていう

 

 

 

 

じゃーなにしたらいいん!!

 

 

 

そのゼロから1を作るという難しさを

 

相当体験していました。

 

 

 

 

なので、ゲームは私を助けれてくれました。

 

 

 

 

もし、ダメだというのなら

 

大人たちのスマホは取りあげたいところです。

 

 

 

目に悪いというなら

 

そんなあなたにも「スマホ」は目に悪いよ、

と言ってあげますけど。

 

 

 

 

親がスマホを使わないでいられるなら

 

子供のゲームはとりあげる、ってのもわかりますが、

 

親がパソコンをしない我慢できるもんなら

 

子供のゲームはとりあげる、ってのもわかりますが

 

 

 

 

 

親には制限がない

 

子供は制限だらけ

 

 

 

 

結局、世の中の理不尽な都合を

 

私にはやさしく

 

こどもには厳しくしているだけのエゴにすぎないことを

 

理解していないだけだと思うのです

 

 

 

 

ゲームは楽しい

 

 

 

私にとって必要なゲームがある

 

と、思ってます。

 

 

 

 

 

これ、ゲームの正当化になりますか?

 

 

 

 

別に私はどっちでもいいし、

なくてもいいんですが

あってもいいと思っています

 

 

 

 

個人の好きにしたらいい

 

 

 

ゲームやりすぎて

学校落ちたなら、

やりすぎたなってわかればいいし

 

 

 

 

「あんたの人生、あんたが決めなさい」

 

 

 

 

 

 

子供にはそれだけ伝えています

 

 

 

 

 

やりたいなら、すればいいしょ。

 

 

 

 

 

子供は勝手に程よい時間だけやって

やめていきます。

 

 

 

 

 

制限しないと

勝手に自主規制するんです

 

 

 

 

ちょうどいいをわかってくれるんです。

 

 

 

 

無理強いするからおかしくなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

世の中はあんたの思い通りにはならない

 

 

 

 

 

 

それをいつも子供は教えてくれてますね^^

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう^^

 

 

 

hama