8月下旬からいろんなことがあって、更新さぼってしまいました。
御札流し報告をしてくださった方がいらしたのに承認が遅れたこと、お詫びします。
やっと気持ちにゆとりがでてきました。
個人的な話しですが、おつきあいください。
9月、叔母が亡くなりました。
「わずかだけど意識のあるうちに、顔を見せにきてほしい」
と、いとこのEちゃんからある日連絡があり、叔母の兄弟姉妹である高齢者3人を連れ、400キロの距離を新幹線で往復しました。
80年の長きにわたり田舎から出たことがなく、公共交通機関にもほとんど縁がないフリーダムなご長寿たち…。
珍道中は、皆様のご想像どおりです(笑)
病床にあって決して「意識がはっきりしている」というわけでもないのに、叔母は声で誰がいるのかちゃんと認識していました。
「遠いところ、よく来てくれたね」
と、ねぎらうことも忘れませんでした。
それから10日後。
わたしは寝つきがよく、夜中に起きることもほとんどないのですが、その時は深夜1時頃にぱちっと目が覚めました。
「夜中に起きるなんて、珍しいな」と思いながら、念のためにトイレをすませ水分補給をして、電話があるリビングの前を通った瞬間、電話がなります。
電話の主は、察しがつきました。
Eちゃんで、「たった今、ばあちゃん亡くなった」と。
お通夜の日、私の父をはじめとする叔母の兄弟、私のいとこたちが叔母の家に到着。
1か月ぶりに家に戻ってきた叔母は、闘病生活を感じさせないほど穏やかに横たわっていました。
旅装束の支度を手伝わせてもらっているとき、いとこのMちゃんが、「あ!」と声を上げました。
「実はね、〇日の夜中に、おばあちゃんが『ありがとね。元気でね』と言ってすーっといなくなった夢をみたの。おばあちゃんじゃなく、叔母さんだった。そう、夢に出てきたのはこの顔!」
わたしも、夜中に珍しく目が覚めたこと、電話がある居間の前を通りかかった瞬間にEちゃんからの電話がかかってきたことを話しました。
みんな、「おばちゃんらしいね」といい、しめっぽいことが嫌いだった叔母が粋な計らいをしてくれたことで、ほんわかしたお通夜でした。
お葬式もつつがなく終わり、くたくたでフリーダムなご長寿たちを叱咤激励しながら(笑)家路に。
3日ほど、いつもよりさらにぼーっと過ごしました(;´Д`)
ここ7~8年は冠婚葬祭の「葬」が増えました。
自分には、まだまだ知らないことがたくさんある!
特に、宗派や地域による違いには驚きの連続です。
しきたりや手順の複雑さにフリーズしていると、「昔に比べると、だいぶ簡略化してるよ」と言われることもあります。
宗派や地域で違いがあり簡略化してきているとは言っても、独特の生死感や弔いの形は残っていると思います。
「あの世にたどり着くまでに困らないように」と旅装束を着せてあげることは、遺族の気持ちの整理にもつながるのかもしれない。そんな気がしました。
欧州人の友人から、
「『Departures(映画。邦題おくりびと)』に出てくるのが、日本のお葬式なの?」
と聞かれたことがあります。
「宗派や地域で違うけど、当たらずども遠からじ…かな?」
と答えたら、感動していました。
奥深さというか、スピリチュアルなものを感じたみたいです。
まるで高齢化社会の縮図のように、3親等以内にご長寿クラスがあと5人!
見送り人のお役目がきたら、しっかりつとめます!
何が言いたいかよくわからない駄文を、最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m