離婚直後のお話。


3月あたまに
4月以降、勝手に生きろ
結果的にそう言い渡されてしまった私。

 

毎日考えないといけないこと、
実際に動かないといけないことが山ほどあった。
仕事はもちろん
帰宅後の子供たちの食事・洗濯・お風呂
寝かしつけ。

 

明日の自分はどうなるんだろう、、、
毎日追われ過ぎて死ぬんじゃないかと思った。

 

引っ越し先
…どうしよう

 

息子の小学校
…学区変わらず通わせられる?
  どこに引っ越すかで小学校の変更しなきゃ
  あ、今の学区の説明会も行かなきゃ

 

娘の保育園
…あと2年、保育園を変えずに通わせるには
  この近くに住まないと…

いや、もうどう考えても無理でしょ。
賃貸も頭金すら用意できないのに…

 

母に電話をした。
母から提案がきた。
『私ももう歳だし、仕事やめたい。
 子供たちの面倒は見るから

 こっちで一緒に住んで
 あなたはお仕事がんばって

 家にお金を入れてくれれば…
 それでどうかな』

 

救われた。。。と思った。

 

父が後遺症を抱えている中
母は安月給でも働き続けてくれてた。
私が過去に買うことになった中古マンション。
そこで一緒に暮らそうと言ってくれた。

 

実家近くの保育園探しからスタート。
3月中旬から動き出して

無事に4月から入園できればいいけど…

って不安で仕方なかった。

まずは役所に連絡。申請書を送付してもらえた。
役所の別の課で息子の学区を調べてもらい
小学校に連絡。事前説明の日程調整。

 

とはいえ、

住民票をうつさないと全て申請できない…

 

それに引っ越し資金もない。
音信不通だった兄に電話。
運送屋さんの兄は承諾してくれたけど…
交換条件が飛んできた。

 

『元旦那と話をさせろ。顔出させろよ。』
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…泣
もう引っ越しさえできればそれで済む話だから
お願いだから手伝って。。。
泣きついても聞いてもらえず・・・

 

思い出した。
兄は父が倒れたときは

逃げてしまったズルイ人だったけど
基本は…基本的には”筋を通せ”の人情派。
とはいえ、
「ひとまずお願いだから引っ越しさせて。
 本当にちゃんと動いてみるから
 動いて向こうがどう出るかは分からないけど
 それで引っ越せないのも困るんだよ」
と伝え、なんとか動いてもらえることに。

 

兄のお友達も協力してくれて
3/31の兄が仕事を終えた後の夜中に
引っ越しを決行することになった。

 

もちろん、彼は兄と会うことは拒否。
当たり前だ、責められること必至だもんね。
まぁホッとしたよね、

これ以上の面倒ごとは私も御免だったもん。。。

 

( ;´Д`)