おはようございます。

まだまだ暑い中過ごしている本州の方々は信じられないと思いますが、ニセコの今の気温、16°です。
(一昨日の最高気温は32°、今日の最高気温予想は20°)

今は家の中で 薄手のセーター着て、
膝掛けを掛けながら打ち込んでいます。


(なんか秋〜な庭先)

毎週、ニセコに来るたび収穫を楽しみにしている
遅めに植えたトマトは 今週もいまだ青いままで。
青い実は、それなりに実っているのだけれど。
これ、今年の太陽ではもう間に合わないのでは?
と思わされる。



昨日は本当に一日中の雨
結局行った日帰り温泉はニセコグランドホテル。
雨の中の露天風呂は本当に気持ちが良い。

娘はなぜか、雨に濡れながら露天風呂に入ると
必ず真っ裸で踊り出す。
わざわざ湯船から出て全身雨に当たりながら。
それはどこでも見たことのないような、本当に奇妙なダンスで、満面の笑みで踊る。

その姿を見ると、
あー、3年生になってもやってくれるんだなぁと 嬉しくなる。

少し前はあまり無かった羞恥心がボチボチと出てきている娘。
天真爛漫で誰にでも話しかけていた娘が、この頃モジモジしていることが増えてきているし、
いつかは人前でこんな風に無邪気に踊ってくれなくなるのだろうけれど、まだまだもうしばらく自然界の存在たちとまみれるような意識と行動を保って欲しいなぁと母は想います。

私自身は、子供時代からずっと、
人間の中よりも植物たちと過ごす時間の方が安心できて、いつも自然界の見えない存在たちと会話しながら過ごしてきたけれど、
娘の年頃にはもう、それは人前ではしてはいけないのだと思ってしまっていた。
例えば、無邪気に木に抱きつくとか、お花に向かって「まあああ、あなたはなんて綺麗なの」とウットリと話しかけるとか、そんな植物たちに挨拶して回るとか、蝶々は道案内してくれていると追いかけてみたり。

そんな姿は、うんと小さな子供だけが許されるんであって、手足もスッと伸びた少女にもなった私がやると「おバカさん」と言われるのだなと理解してしまっていたなぁ(そんな事、無いのだけれど)

今思えば、私の子供時代、この社会から
自然との対話を切り離すよう、色んなことが
禁じられていった気がする。
私のおばあさんの時代は、まだまだ自然の中に家族の健康を守るレシピがある事も、それをどうやって植物から教えてもらうかも、わかっていたと思うのだけれど。

科学的根拠の何もない、原始的な方法とさげずまれ、
家庭で子供たちを守り育む方法を、次々と奪われてしまった時代。
今、それらをまた取り戻してきている。
特に、外に向かうだけだった意識を内側に向けるようになった今年から。
それは2020年、くっきりハッキリと変わったことのひとつ。
みんな、家庭で出来ることをもう一度見直し始めている。
本当に嬉しい待ち望んだ世界が戻ってきている。
もう、こんなオバちゃんが植物に話しかけていても、
許される時代がやってきていて、
雑草を摘んでアレコレと楽しみながら家族で健やかに過ごしている。
「必要なものは自然の中にすべて与えられている」
私たちの絶対的な権利が戻ってきてる。

ああ、それだけでもう、なんか幸せだな。
そうな風に感じられる今日の気分、
トゲトゲ、悲しく縮こまっていたのが
ふわふわまあるい所に戻ってきていて、それも嬉しい私でした照れ

やはり、今はニセコの自然の中で過ごす時間は
私にとっては1番の処方箋。
さて、今日の夜からの札幌ステイ
明日からはまたどんな文章になるのやら。
それはそれで興味深いかも。

そろそろ、札幌、ニセコ関係なく、
鬱でも躁でもなく、真ん中の心もちで過ごすために
今日もまた、コツコツと創造的日課をこなそう。

いつも何かを生み出していて、それは無理しゃりに引っ張り出したり、外から来るものを真似るものではなく、ただ素直に「やりたい」と思うことをやり続ける、そうするとその行為も生み出された作品も、どんどん自分そのものになっていく。

私のだんなさまは
自分がしたい事をやめることを知らない。
本当に知らない。
びっくりするくらいブレずにやり続ける。
子供の頃に始めた釣り、楽器、職業を
ずっとコツコツとやり続けている。
その間、どの段階でも自分を卑下する事も、天狗になる事もなく、感情の上下も比較的少なく、
淡々と続けている。
なので、いまや、どれもこれも熟練の技になっていて、
彼の生み出す作品たちは、裸で自分の想いのまま踊っている娘と同じくらい開けっぴろげに素のまま、ありのままの表現だ。

私はそれが本当に苦手で、次々と興味のままにやり散らかして、どれも自信のないままで
だからいつだって「人様に見せるようなものではないです〜」と自分らしさが出せずにいるんだなぁと
やっとわかった。
続けることで、どんどんその行為は私らしさの表現になる。
ううん、私になるんだ。私そのものに。

こんな近くに20年以上もお手本のような生き方をしている人がいたんだなぁと。今頃ハッと気付くのは驚きなんですが。

まぁ、だからこその片割れで
真逆なところが、お互いの補完。

私の激しい感情の起伏や、花から花を飛び回る蝶のように気ままに趣味が移り変わる所も
何事にも不動の彼に
何かインスパイア出来てると信じつつ爆笑