私は、コロナウイルスで中々学校へ登校出来ない中、やっと通常授業が毎日行われ、生活が通常通りに戻っていった頃、1ヶ月半に渡る、故障をした。



バチが当たったのだ、と思った。陸上を本格的に初めた中学1年生から1度も大きな故障をしなかった自分にとって、
走れることにあまり感謝が出来ていなかったからだ、と。
休みたい、辞めたい、そんな事ばかり考えていた。
だから今回故障をした時まず第1、これで少し走らなくていい期間になった。やっと私も休める、と考えていたのだ。

今思うと、最低だ、と自分が大嫌いになるほどだった。



でも、いざ練習中、足の痛みが限界に達したとき、先生に報告をして、アイシングをしてこいと言われたので、練習を抜け、水道がある方へ行き、ホースで水を流しながら、自分は

何故か泣いていた。

やっぱり悔しかったんだと思う。強がっていたけど、自分が抜けて、みんながいつも通り練習している姿を見て、悔しくて泣いた。




なんで大事な時に走れないんだ。
やっと来週は今年トラックシーズンに入る初めてのレースが控えていたのに。

そんな悔しさで泣くなんて、自分が1番びっくりした。
試合やレースはあまり好きでは無かったから。

人前で泣いて慰められるのは嫌いなので、他のチームメイトの前では必死に涙を隠した。
多分バレていたんだろうけど。



それから毎日のように治療に行った。中々治らない。股関節の筋肉が激しい筋肉痛となり炎症を起こしたらしい。
次の日良くなってないかな、気付いたら治ってないかな、そんな希望を抱きながら、歩いたりトレーニングしたり無理に走っていた時もあった。先生に止められたけど。





1ヶ月経っても治らなかった。もう新人戦の時期だ。誰が出るかは、私が故障したばっかりの頃に、すぐ治るだろうとみんなで話し合い、1500m 3000m 2人ずつの枠に2種目とも入れてもらっていた。だから、責任を持って出ないといけない。でも、これじゃ出れない。なのに大会の2日前、出場すると言われた。本当に無理だと思った。そんなことを言う先生にも腹が立った。本当に心がしんどかった。自分にブレーキをかけていた。悪化したらどうするんだと、それくらい自信を無くしていた。


今思えば、この2週間後の県予選、万全ではない状態で出て負けるのが怖かったんだろうと思う。

しんどい思いをするのが怖かった。


故障をした事で沢山気付いたことがあった。

後日また語らせて貰いたい