もろもろ~日々雑感
心拍数110くらいで有酸素運動をしていると
温泉につかっているようにリラックス出来る事に最近気付きました。
運動や、温泉はいいですね。
こちらは、水浴び
すごい楽しそう。
↓
こんなニュースを見ました。
世界を変えるかもしれない「瞑想という革命的存在」 : 英国の大学が「たった7分間の慈悲の瞑想が人種的偏見を人々から著しく減少させる」ことを発見
http://indeep.jp/seven-minutes-meditation-reduce-racial-prejudice/
より
Idha cunda ekacco anabhijjhālū hoti,
yaṃ taṃ parassa paracittūpakaraṇaṃ, taṃ nābhijjhitā hoti
aho vata yaṃ parassa taṃ mama assāti.
Avyāpannacitto hoti appaduṭṭhamanasaṃkappo,
'ime sattā averā avyāpajjā anīghā sukhī attānaṃ pariharantu'ti.
(和訳) ここに、チュンダよ、ある人は貪欲なきものとしてあり、
他人の、他の心に必要であるものを欲することがない、
「ああ、実に、他人のものが私のものであれ!」と。
(かれは)激怒なき心にてあり、過悪なき心で考える、
「これらの生けるものたちは、怨みなく、怒りなく、苦難なく、安楽であり自身を大切にしますように!」と。
これを
意訳してみました。
↓
きっとどこかで聞いたことがあると思うけど、
欲望なんてものは、誰にでもあるものだということだよ。
それに囚われるのは、一瞬だけでいい。
あとは、無常で流されるだけだし。
「あれがほしく仕方がない」
「あの人はずるをしてあんなに得をしてる。私もやっちゃおう。」
「信じられない!あんなこと言うなんて。もう、怒っちゃった!」
なんてこともない。
自分も、他の生命も、命ある者たちは、そのように、
怨みも止んで、怒りも消えて、苦しみもなくなって、
心安らかで楽しみで充実していて、
自分の命が大切なように、
他の生命も、自分の大切なもののように自然に思われ、
どんな命も大切に いとおしむことが出来ますように。
…
2015年 世界のYouTube再生数ランキング TOP10
http://clip.wazap.com/video/1766
1位は、1億1600万回再生のダンス
2位 クラクラCM再生数:8,300万回
どれも、スポンサーの意図を感じてしまいます。。
「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ
つくる会「世界に知ってほしい」 中国人部隊の邦人200人殺害
http://www.sankei.com/life/news/151211/lif1512110039-n1.html
『通州事件 の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-』URL一覧
其の一 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100730/p1
其の二 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100816/p1
其の三 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
其の四 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1
其の五 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1
通州事件から学ぶべきこと
↑
このお話は、人間の持つ残忍性を確認出来る資料です。
その人が育てていた獣性が、何かのきっかけで爆発してしまいます。
刺激に反応する無知なロボットという感想です。
その無知には、渇愛に基いた、たくさんの刺激が詰まっているので、
今現在でもこのようなことが起きているのでしょう。
いつの世も争いがやまないのは、武器を作る意志を持ち、
怒りを制御できない人間の性質にある気がします。
…
いろんな人がいますからね。
尊い高貴な神性も誰もが持っていますね。
昨日、自己破滅型を楽しむドラマ「シェイムレス(おれたちに恥はない)」を見ました。
シーズン5まで来ていますね。
どれも秀逸なギャグだと思います。
前回は、目覚めたサミー♀が、トラックの荷台に積まれた引越しコンテナの中から
「出して―!!」と叫んでいた所で終わりました。
サミー♀とは、息子を少年院送りにさせられて、させた本人を少年院送りにして、
母と同じ双極性障害を持つその兄を国に売ったので、
その恋人ミッキー♂が、その妹と組んでサミーを拷問しようと画策してたら、
ちょっとオーバードーズさせちゃって、
失神して脈がないのを亡くなったと勘違いして
「めんどくさ」って言いながら、引越しコンテナに積み込んでたんですね。
その積み込みしてると、
獲得した保険金を酔って義足の基金に送っちゃって、金返せと義足で殴りつけてた父が、
末期がんでこれまた破滅型の女医と線路の上でハイになっていたして帰ってきたところでした。
混乱、コンフューズの中の愛という感じのドラマで面白いです。
私の日常を少しご紹介。
え?そんなの要らないって?
タメニナル情報よこせ、と?
まぁ、そう言わずにお茶でもどうぞ。
どうせこの世は、何もないのですから。
ひとは、
自分が信じたものをより信じるようになるといいます。
ひとは、自分が信じている、信じていたい情報を無意識に集め、
自分が持っている価値観を、
自分が持っている固定観念を強めようとします。
それは快適なんです。
知っているものの中に居れば身を守れる気がするし、
知っているものの中では、安心出来るから。
なので、安心できない時は、その原因を探し、
価値観が違うものを排除しようとするのでしょう。
そのように、
「執着する事に執着する」のが、生命の習慣と言われます。
私は、「慈悲の瞑想」大好きだから、
上のような記事を見ると、記事にしたくなります。
「慈悲の瞑想」を実践したら清らかになる?
心が楽になると証明された?
やっぱりなーって思うわけです。
私にとっては、「慈悲の瞑想」以外に、生きてるうちにすることがありません。
仕事も、遊びも、生活も、命を紡いでいる間は、それを唱えること以外、
やることありません。
誰の話を聞いても、災害に遭っても、いい時も悪い時も、
「慈悲の瞑想」以外にやることはありません。
慈悲の瞑想を唱えていたら、日が昇り沈んでいたという、
そういう生活を目指しています。
「慈悲の瞑想」の合間に、起きて、考えて、呼吸して、計画して、運動して、仕事して、遊んで、食べて、
飲んで、病気して、旅行して、生活して、眠ってという感じがベストです。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
と、心が
思考や肉体に信号をプログラムするときは、心が軽いんです。
クシャミの瞬間に「生きとし生けるものが幸せでありますように」と文字を脳内で合成し、
マバタキして瞼を閉じる時や、開けるとき、
息を吸うとき、吐くとき、
歩みを一歩ずつ進める時、
「生きとし生けるものが幸せでありますように」とつぶやく。
もう、バカですね。
慈悲バカと呼んでもいいでしょう。
電子レンジで温める1分間、エレベーターで上昇する45秒間、
自動ドアが開くまでの5秒間、
それぞれの時間に適したお経を唱えます。
そんなことしてる自分って、あったま悪いなぁ~って考えています。笑
それを俯瞰しながら、
感覚を研ぎ澄ませて、
足の裏の感覚や、足の移動感や、
空を切る手のひらで感じる風の動き、
体温のあたたかさを感じようとしています。
そんな風に日常は過ぎてゆきます。
今、こうしてブログを書こうとしている意志、
タイプしている指の動き、
呼吸をしているいま、
消化、排泄、代謝して、こうして生きている時間…
これら発生しているエネルギーは、
他の生き物の命から頂いたエネルギ―のうえになりたっていますね。
聖者がどれだけの命に対して慈しみをくれたとしても、
どれだけ他のいきものの幸せを願おうとも、
どれだけ人や社会の役に立とうとも、
いきていることは、他のいきものの命を自分が生きる命のエネルギーに替えているからですね。
霞みを食べてる仙人でも、
太陽の光だけで生きている人も、
他のエネルギーを自分のエネルギーに循環させて生きていますね。
万物の成り立ちから考えると、
すべてはエネルギーなので、本来、自他もないものでしょうけど、
人間の思考は、自他を分けるところから始まりますから、
「物質と言うエネルギー自体」が生まれては消えている現象が現れ続けているところ
自他の区別がなくなるのを実感するのは、心地よいことでしょう。
それが本来の自然の姿ですから。
あらゆる可能性を含んだ潜在性が、
1つ前の現象を引き継いで、「現在」という世界を、
一瞬という瞬間すら間に合わないほどの短い瞬間で新たに作り続けているのでしょう。
私たちは概念の中で思考している時、
途方もないエネルギーの生滅を垣間見ている「私」が存在していると勘違いし続けているに過ぎません。
私たちは、永遠の中で、明滅する光のようなものなのかもしれません。
無数の物語の中で、今日は、私にこんな気分がやってきました。
生き物は、他の生き物の命を自分の命に変換して生き延びる。
そこまでして生きて、私たちは何がしたいのでしょう。
人類の平和?
目標を達成するため?
目的なんてないでしょう。
虫であれ、微生物であれ、人間であれ、神であれ、今を一生懸命に生きているだけですね。
本能で生きる「生き物」は、健気で可愛く、残酷で、哀れで愛おしいです。
物事は現象として起こっているだけで、いいも悪いもなく、
ただ、エネルギーの循環があるだけだと言う見方もあるでしょう。
でも、生き物は痛みや苦しみを感じるものなので、
「自分の命とひきくらべて、ころしてはならぬ、ころさしめてはならぬ」と言うのは、真理だと思います。
それを知りつつ、
生きとし生けるものの幸せを自分たちの都合で願い、
個人としては、他の命をころして、奪って、喜怒哀楽のエネルギーを謳歌し、
さらなる人格の完成を目指すとか、人生をいきるだとか、
他のいのちのために生きるだとか、、、
奪われた命からすれば、
「なにいっちゃってんの?」と言われる見解もあります。
涙を流した所で、
さっきまで生きていた尊い命は私の中で循環しているだけで、戻ってきません。
命を奪っておいて、泣いたって許される問題ではないでしょう。
「ジャータカ物語」でウサギは、旅人にあげるものがないからと
みんなに火を準備させて、自分の身を火の中に飛びこませたたわけですが、
そうした犠牲のもとに、命は成り立っているのでしょう。
その後、ウサギは認められ、月に住む事になったのですが、
毎日、闇を照らし、見る事が出来る「月」という象徴に
慈愛や、自己犠牲の気持ちを抱かせるよう反映させたと言うのは、
人間の智慧ですね。
「何か」に対して、
罪を感じ、懺悔して、「赦して下さい」という気持ちがあるなら、
生かされている事に対して使うべきだと私は考えてしまいます。
確かに、それぞれの住む世界で「赦して下さい」の対象は変わるわけですが、
私が、その「生きている事に対する赦し」を一番大切にしたいと思うのは、
それ以外の赦しは、人間の概念世界のことで、
生きているという事実に対して、二次的に発生してくる問題だからです。
何かを食べると、新しい考えが湧いたり、何かしようと思ったりします。
これは、経験的に誰もがわかることです。
そのエネルギーの源泉は、自分以外の命の上に成り立っている。
こういう考えや認識は、人間だけのものかもしれませんね。
フナムシが、朽ち果てた生き物=ごちそうを食べる時、悲しみを感じてるとは思えませんね。
カラスが、腐った生ゴミ=ごちそうを食べる時、痛みを感じているとは思えませんね。
人間が、お刺身を食べながら、後悔を感じているとも思えませんけどね。
美味しい!と、身体が喜ぶ生体反応は、
思考と矛盾しているので、解決することはありませんね。
どうしようもない空腹で命をつなぐために食べたとき、
喜んでも悲しんでも、心に栄養を与えているのです。
勝手に苦しみを創って、痛みや悲しみを感じようとしているのも人間だからでしょう。
それら苦しみや悲しみ、痛みがあるのは、
人間が、「心」に刺激を与えるための「器」だからでしょう。
心に、刺激が必要だから、私たち人間は生かされているのかもしれません。
生きていること自体が、業であり、
罪であり、輪廻の生々流転そのもの。
本当にそうでしょうか?
私は、
業とは、業から解放されるためにあり、
罪とは、懺悔で悔悛するためにあり、
輪廻とは、解脱するためにあるのだと思います。
憎しみは和解のために。
悲しみは喜びのために。
苦しみは、涅槃のために。
私たち人間が、肉体レベルで本当に救われるのは、命が亡くなる間際に、心を観察し、
穏やかに逝くときでしょう。
そんなこんなで、現状はこちら
↓




















10 Most Radioactive Places on Earth
http://brainz.org/ten-most-radioactive-places-earth/
1位 フクシマ
地球上で最も有毒な場所トップ10
10 Most Toxic Places on Earth
http://brainz.org/10-most-toxic-places-earth/
1位 ジャパン
原子力村の住人一覧
http://nuclearpowermafia.blogspot.jp/
みんながみんな、自分に正しく、真っ直ぐに、一生懸命生きている結果が今です。
それは、未来へと続く過程でもあります。
命あるものが幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。
あなたの苦しみがなくなりますように。
あなたに最高の幸せがやってきますように。
あなたがあなたでいることを、
あなた自身が心から感謝し、尊敬し、赦し、愛し、認め、
健やかなる祈りのうちに、慈愛の光に充ちあふれますように。
あなたが幸せでありますように。
これを読んだあなたが幸せでありますように。
あなたと言う存在に感謝します。
「己の道をどこまでも進め」