Twitter。
ただつぶやく。
140文字。
それがなにゆえこれほど凄いのか。。。


登録利用者は全世界で1億人を優に超え、1日のつぶやき数は5000万回を超える。

 1回のつぶやきを書くのに何秒かかるだろうか。仮に10秒を要するとして、1日に5億秒、つまり約14万時間分の「労力」が、ここに注ぎ込まれていることになる。時給1000円換算で言えば、毎日、約1億4000万円の経済活動がつぶやきに消えていっているわけだ。



無償でツイッターに価値を与える人々


 なぜ、人々はこんなことに夢中になるのか。何が人々を動かしているのか。私はこうした人々のことを以前、「ボランタリーWebユーザー」と定義した。

(詳しくは、「ボランタリーweb社会の創造(上)『知的資産創造』2008年1月号「ボランタリーweb社会の創造(下)[同2月号]」を参照。3年程度前に書いたことなんだが、ようやくこの人間とウェブとの関係性の意味合いが、ここで書いた状態になってきたと思う)

 このボランタリーWebユーザーとは、次の3つに分類することができる。

クリエイター(Creator) :様々なコンテンツを無償で創造し、ウェブにアップロードする特性を持つ
エディター(Editor) :ウェブ上の無秩序な情報を無償で関連付ける特性を持つ
バリュア(Valuer) :ウェブ上の様々な情報の価値を無償で判定する特性を持つ



 この3つの特性をツイッターに当てはめてみよう。ツイッターにおけるクリエイター特性とは、ツイート(つぶやきを入力すること)することである。新たなつぶやきは、読む人にとって意義深いコンテンツとなる。また、コメントを入れたリツイート(つぶやきにつぶやき返すこと)を入力する行為も立派なコンテンツである。既に入力されているつぶやきの内容を強化しているわけだ。

 エディターの特性は、新たなハッシュタグ(#)を創造し、情報の整理を務めることと言える。つぶやきの中で、様々なリンクを貼る。そうすることで関連情報とつなげる行為もここに該当する。そうした行為は、膨大にあるつぶやきの中から、読み手にとって関心のある情報をたどる手助けをしてくれることとなる。

 バリュアの特性とは、これはと思うつぶやきに対して、自分のコメントを入れずにリツイートする。それは無言の評価である。拍手と捉えていいだろう。または、面白いつぶやきをする人をフォローする。そうすることで、そのアカウントの主が注目に値する人かどうかの評価を下すこととなる。

 なぜ、人はつぶやきに夢中になるのか。何が人を動かすのか。自己啓発書として有名な『人を動かす』を著したデール・カーネギー氏によれば、人を動かすためには強い欲求を持たせ、人に好かれる必要があるとのことだ。そして、人に好かれるためには、3つの重要な要素があるという。「重要感を与える」「聞き手に回る」そして「相手の関心を見抜いて話題にする」だ。



ツイッターは最高の聞き手


 つぶやけばつぶやくほど、フォロワーが増えていく。フォロワーとは、大げさに言えば、その人がどれほど重要な人であるかを判断する指標に当たる。より多くの人が注目するつぶやきをする。より多くの人が面白いと思うつぶやきをする。その結果が、フォロワー数という自分の重要度として見えてくる。これほど人に「重要感を与える」動機づけとなるものはない。

 つぶやきはなんでもいい。今食べているランチの内容でも、彼女や上司の愚痴でも、スポーツ選手を称える賛辞の言葉でも、なんでもいい。最高の聞き手ではないだろうか。思いついた時に、思いついた場所で、携帯電話やスマートフォン、ノートパソコンを開き、さくっと入力する。ツイッターは、いつでもあなたの話を聞いてくれるのだ。最高の「聞き手」と言える。

 つぶやいていると、見ず知らずの人からリツイートが返ってくる。自分のことに「関心を持つ人」が突如現れるのだ。それは、ソフトバンク社長の孫正義さんの時もある。元首相の鳩山由紀夫さんの時もある。歌手の広瀬香美さんの時もあるだろう。そんな著名人とダイレクトにコミュニケーションを取ることもあり得る。

 こんな私のつぶやきでも、関心を持ってくれる人がいるんだ――。人とのつながりを感じる瞬間である。わずか3インチの液晶ディスプレーに、急に温かみを覚えた人は少なくはないだろう。




「日本語で良かった」


 なぜ、つぶやきにこれほど多くの人が夢中になってしまうのか。お分かりいただけたと思う。そして、「日本語」というものが、このツイッターには最適な言語であることも付け加えておきたい。ツイッターのつぶやきは1回140文字までと制限されている。日本語という言語は、極めて文字数が少なく様々なことを伝えることができる。

 例えば、「情報」。日本語はたったの2文字で表現できるものが、英語では、“Information”と11文字必要となる。140文字は言いたいことが言い切れる。日本人にとっては、そんな文字数なのだ。インターネット上の情報の9割は英語だと言われている。インターネットを酷使する筆者としては、英語を速読、斜め読みができればと、何度日本語を呪ったことか。しかし、ツイッターでは初めて「日本語で良かった」と感じた。(もっとも中国と韓国語も同じ恩恵に預かることができるが・・・)

 140文字であるという手軽さが、ユーザーの利用を促進している。ブログも今や日本において利用者は2000万人を超える。2005年頃よりユーザーが増え始め、当時はIT(情報技術)リテラシーの高くない人も開設し、様々なことをブログに書いていた。しかし、ブログを持ってはいても、今はそれほど更新しなくなったという人も多い。これはブログの場合、文字数に制限がない。自分の考えというものを、ブログの1つの記事の中で書き切る必要が出てくるわけだ。読み手もそういうスタンスで臨む場合が多い。つまり、分析が弱い、論点が曖昧、考えが足りない、そうした批判を返してしまう人が多い。いわゆる「炎上」してしまう状態だ。

 ブログに書いている1つの記事など、その人の考えのごく一部でしかない。それにも関らず、痛烈な批判のコメントを返す人々がいる。いや、些細な批判のコメントでも同じだろう。ブログという公開の場で、批判のコメントを受けた人は、自分の全人格を否定されたかのような挫折感を味わうことになる。

 こうした悪循環が、気軽にブログを書くことを遠ざけてしまっているのだ。

 それに対してツイッターは、140文字しか書けない。初めから言いたいことの一部しか書けないのだ。そのつぶやきに至った背景は書かれていない。読み手も、書き手の意図すべてがつぶやかれているとは思わない。そこに至る背景、なぜ、こういうことをつぶやくのか、それを想像しようとする。その結果、無節操な批判は少なくなり、より多くの人が気軽につぶやくようになる。そういう好循環を生んでいるのだ。

 この好循環は、もう1つ大きな変化を日本人に与えている。アメリカと日本のブログの大きな違いは、匿名か実名かということだった。日本人の多くは匿名でブログを書いている人が多い。それに対して、ツイッターは手軽さゆえに、実名で登録している割合がブログに比べて比較的高い。批判にさらされることも少ない。言葉足らずなものでも、気軽につぶやける。実名をさらけ出しても構わない、そんなプライベートな領域がツイッターなのだ。
面白い例がある。私は日経ビジネスオンラインに記事を連載しているのだが、ツイッター上でもらうコメントは、「面白い」と言ったものが多い。それに対して、匿名でコメントがかける日経ビジネスオンラインのコメント欄は、ほぼ100%ネガティブなものだ。



1人ひとりが可視化される

今、都会には新たなライフスタイル、ワークスタイルが生まれている。
オフィスを持たず働く人。カフェを転々とする。

カフェ1→客先1→ランチオンMTG→客先2→カフェ2→客先3→客と懇親会

などこういうスタイルだ。

ある会社で働きながら、様々なネットワークツールを活用して個人事業を展開している人もけっこう現れ始めた。

 また、主に都市部においてルームシェアで生活している人が増えてきている。ルームシェアされている場所を転々と泊まり歩く人も、中にはいる。自分が定住する住処を持つものの、毎日人が集まる様々な場所に出向き、夜な夜な語り明かす人もいる。

 さらには、自ら住むルームシェアの場所を、情報発信のスタジオとして活用する者もいる。ネット動画配信サービス「ユーストリーム(Ustream)」がそのプライベート放送を可能にしている。パソコンと簡易なビデオカメラ1台あればそれで十分だ。熱い思いを持った者同士が語らうその現場を、ライブでウェブ上に配信する。その現場に来ることができなかった熱い志士がそれを見る。ツイッターを通して、インタラクティブなやり取りをする。

こうした新たな人は、リアルとネットの人脈ネットワークを活用して、自由に行動し、楽しみながら働き、生きるのである。

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログそしてツイッターによって、一番変わったものは何か。それは、1人ひとりそれぞれが何者であるのか。それがよりよく見えるようになったことだ。よりよく見せることができるようになったと言うこともできる。

 インタラクティブなインターネットがなかった時代、個人としてのアイデンティティは埋没し、組織名が全面に出ていた。「××会社の山田です」というように。人の信頼は組織の名前が与え、お互いのことを人ではなく、組織単位で見る場合が多かった。

 今日、初めて会う人のことを知りたいとしよう。これまでは、その人が何者であるのかという理解を深めるために集めた情報は、会社名と所属部署名だ。会社での役割という単位でしか、1人の人間を見なかった。

 今ではどうだろう。事前にその人の名前をグーグルで検索する。その人はツイッター上で、これまでに500回を超えるつぶやきをしているかもしれない。100にも上るブログを書いているかもしれない。会う以前から、その人が何を考え、何を楽しみ、何に憤っているのか。そうした個人の内面まで把握することも可能なのである。

 これからの時代、もはや組織というブランドは必要なくなる。自分という人間が何者なのか、それをブランディングする時代がくるのだ。アメリカでは既にパーソナルブランディング(『Me2.0 ネットであなたも仕事も変わる「自分ブランド術」』[ダン・ショーベル著、日経BP]に詳しい)というサービスまで生まれている。

 能動的に行動する人と、そうでない人との間で、大きな格差が生まれていく。それは日々拡大していく。
現在の組織において、何げなくはもちろん、必死に目の前の業務をこなしているだけでは、世の中で生き抜いていく力が日々失われていくことに気づかなければならない。

会社の中だけではなく、自分自身が1人の人間として、外に向かって能動的に発信し、行動し始める必要がある。自分は何者で、何ができるのかということを。

今現在の会社の業務時間内に、ツイッター、facebook、mixi、gmail、ustream、youtube閲覧などを禁止している大企業が多く存在する。
驚愕の事実であるが、こうした企業に未来はないのは明白である。

今50歳で日本の大企業の事業部長クラス、執行役員クラスの方々に声を大にして言いたい。

ソーシャルメディアに対して理解を示さない態度は、将来会社を牽引するだろう若手社員から「できない上司の烙印」を押される決定打となる。
つぶやきから始まるうねりに対して批判的な口調でその可能性を少しでもいぶかしむような態度も同じである。
しかも、使ったことすらなく、ネガティブな発言をしようものなら、現在たとえ何億円の受注をとってくるようなビジネスマンであれ、3年後の未来はない。

そして、あなたのそういうネガティブな発言は、若者からの求心力を失う大きなきっかけとなる。

今50歳で日本の大企業の事業部長クラス、執行役員クラスの方々に声を大にして言いたい。

あなたが築き上げた価値観、ビジネスセンスは、これからのソーシャルメディアの世界には通用しない。つぶやきから始まるネットワーク社会をもっと評価しなければならない。もっと能動的に関わらなければあなたの未来はない。


そして、今こうしたソーシャルメディアに片足半分そまりつつある人たちよ、あなたは小さな会社(たとえグローバル企業でも、社員数は数万人に過ぎない)の一流になりたいのか、世界に通用する人間を目指すのか。いったいどちらなのだ。

ソーシャルネットワークの拡大と維持には相当な労力が必要となる。
残業で忙しく、そんな暇がない?
そもそも忙しいなどという概念は存在しない。
忙しさは、優先順位で決まる。何に重きを置くかである。
残業に勤しむよりも、その時間をソーシャルネットワークの強化に費やす方が、
あなたの将来のためなのである。




批判されても良い。小さなアウトプットを出し続ける時代

 熟考を重ねて、限られたものだけを世の中に出し、それを問う時代は終わった。これからは、小さなアウトプットを出し続けることで、自分というブランドを形作る必要がある。ツイッターやブログで蓄積される「資産」は衆人の目に留まることとなる。そうした場所に、日々自らの足跡を積み重ねていく。そしてできあがったものが、その人の形となる。

思いついたものはすぐに共有する。

ひらめいたものはすぐに共有する。

少しでも良いなと思われたものは、絶賛する。

少しでも良いなと思われたものは、周りに周知する。

ネガティブな発言はしなくて良い。

すばらしいアイデアを言うことは難しい。

批判をすることは誰でもできる。

あなたが言わなくても、そんなことはみんな分かっている。

すばらしい言葉を吐けば良い。それこそが新たに生む価値なのだから。

それでも、能動的に情報を発信することで、批判にさらされるときもあるだろう。
構わない。批判されても良い。それに耐える力を身につけるのだ。
情報耐性力
ウェブ上で批判されたとしても、それを見ている人はごく一部だ。
その批判を真に受ける人もごく一部だ。
ウェブという公然の場で、批判にさらされた人は、世界中の人が自分の敵に回ったんじゃないだろうか。そういう錯覚に陥るときがある。
しかし、そんなことはない。情報耐性力を身につけ、発信し続ける必要がある。



「自らの名前」というブランド。誰もが一騎当千の時代

 ツイッターを活用して、次のような活動をし始めている人がいる。自らの名前というブランドだけを用いて。

ツイッターのリンクからこのページをたどってきた人にとっては、至極当たり前の世界である。
ここに書いてあることは、まったくレアな話ではない。


○「本日××にある○○ハウスにおいて、日本代表サッカーチームを強化するにはどのような手立てがあるのか。Ustream公開討論会を開催します!(来場者は会費1500円、ビール1本付き)」

○「数十万人にも増えたフリーター、ニート問題。○○ハウスにて、討論会を開催します!(会費:3000円)」

○「私はバングラディシュ、インド、モザンビーク、ザンビア。様々な窮状を見てきました。そのエッセイをメールマガジンとして公開し、世の中に対策を問う活動をしたいと思います(月額300円)」

○「野菜ソムリエです。次の土曜日の15時に××にて、試食しながら野菜ソムリエ授業をします(会費:2500円)」

○「私は様々なエッセイを書いています。これまでの実績URL(http://~)。今度の週末1000文字1000円で、あなたのエッセイをお書きします」

 数千人のフォロワーを持つ人がこうした呼びかけをつぶやけば、ものの数分で何十人もの人から、反応が返ってくる。そんなリアルタイムに事が進行していく。

あなたは今から今週末の休日に、見ず知らずの人を指定の場所まで何人来させることができるだろうか。そしてさらに、そのうえ数千円の参加費用を頂けるだろうか。。。

では、この点については来週の定例ミーティングで。

こんな20世紀の発言をいまだにしている人は、働き方を180度見直すべきだろう。
数千人のフォロワーを持つツイッターユーザーは1週間の間に、500人以上から意見を得て、
1週間の間に多様なプロファイルを持つ人とリアルで5人10人いやもっと、会い、議論を
ぶつからせ、従来の検討手順で考えれば、数ヶ月かけても到達しないほど成熟したアイデアを持つに至る。


すべての大企業の経営層に言いたい。

すべての社員に残業禁止命令を出せ。

すべての社員に副業命令を出せ。

すべての社員の評価をツイッターのフォロワー数など意義ある人脈ネットワークの大きさで評価しろ。

ここで書いていることがわからなくとも、このための人材育成に数十億円の予算を投じろ。


こうした人々はまだマイノリティかもしれない。
しかし、20世紀の革命を起こしたのは、一部のインテリだった。21世紀の革命は、こうしたマイノリティだが多数いる能動的にネットワークツールをフルに活用して動く人々によって起こされる。

こうしたらどうなるだろうか。
あれをしたらどういう結果になるだろうか。
考えなくても良い。
考えたところで、得られる結論はたいしたものではない。
自らたった一人で考え抜いたものなど、このソーシャルな世の中では、ほとんど価値はない。
ただ、動くのだ。
アマチュアは考えていろ。プロは動く。

どんどん動いていけばよい。動いた結果、得られたいくつかのものが、あるとき強力な磁力を放ってくっつきだす。
そして、核融合が生まれ、新たなイノベーションが発生する。

世界と人、そして働き、生きるということの変革は、もう既に始まっている。





ツイッターと「ノマドな人」がもたらす変革
目の前の業務をこなすだけでは、世の中で生き抜く力にはならない
。2010年日経ビジネスオンライン7月1日公開記事からリバイズ