雑喉 潤 『「史記」の人間学』
- 雑喉 潤
- 『史記』の人間学
古代中国に生きた様々な人間たちが織り成す壮大な歴史絵巻を描いた司馬遷の『史記』。
広く知られた歴史書であり、興味は惹かれるのだが、なにぶん大著であり、時代背景の知識が不足しているため、手に取るのを躊躇している人には、まず本書を読んでみることを勧めます。
新書なので、すぐに読み終えることができ、『史記』の大体の概略や、読みどころを抑えることができるでしょう。
後は、暇を見つけて、『史記』そのものに取り組んでみることです。
古典の場合、原典を読まずに、入門書だけで分かった気になってしまうのは、あまりに勿体ないことであります。
なにしろ、『史記』は、古来、日本人が特に親しんできた書物なのですから。
著者も本書のまえがきで言っております。
――中国の古典のなかで、日本人にいちばん読まれてきた書物の双璧は『論語』と『史記』である。
人間の修養と社会の規範のための経典だった『論語』とは違って、『史記』は何千年か前の、中国の原初形態の国家から、『史記』の著者司馬遷が生きていた、いまから約二千百余年前の、当時の現代までの歴史すなわち「通史」を書き記した書物である。
今日『史記』を読むことは、、『史記』の内容をつかむと同時に、飛鳥時代に遣唐使が『史記』を持ち帰って以来の日本人の教養史の重要な一面を探究することにもなるだろう。
本書を通じて、『史記』のアウトライン、そして、著者である司馬遷が、この膨大な大著を書き通した原動力とは何だったのか、を知れば、きっと原書も読んでみたくなるに違いない。
切れ味: 可
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安岡正篤 『十八史略』
- 安岡 正篤
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そもそも十八史略とは、この本のまえがきを引用すれば――
古代三皇五帝から南宋滅亡までの人間ドラマが描かれている。
今、私達が日常何気なく引用している言句、格言、四字熟語などの原典が豊富に収められており、中国の歴史、王朝史を知るための基礎的入門書として、まことに恰好な史書といえる。
となる。
司馬遷の『史記』には、名実ともに及ばないが、それでも、かなり著名な史書であることは確かである。
以前、陳舜臣の『小説 十八史略』を読んだことがある。
春秋戦国時代から漢楚の興亡、そして三国志など、激動の時代がドラマチックに描かれており、また、大陸的なスケールに満ち溢れた英雄、悪人、悪女などが次々に出てきて、飽きさせない。
ただ、あまりに長すぎるのには、少々閉口した覚えがある。
そこで、本書である。
上下二巻とコンパクトなのがいい。
この通史の中で、特に、見所と思われる箇所の原文を抜粋しつつ、東洋思想に博識な著者の解説と解釈が加わって構成されている。
もともとは、著者が、講演会だかで講義したものが、元になっているので、終始、話し言葉で進んでいくので、とても読みやすい。
講演禄のせいか、時に本筋から離れた余談に流れることもしばしば。
しかし、その余談での薀蓄が、結構面白かったりするのだ。
著者の安岡正篤は、戦前から、陽明学者として知られ、戦前戦後の政界の黒幕的存在であったとも噂される人物。
ぶっちゃけ、右翼思想の親玉のようなもんである。
本書の中でも、単に古典の解釈にとどまらず、それらの歴史的出来事や人物論を、現代の社会情勢などと結びつけて語っていたりするのだが、折に触れて、共産党の支配する中国などをあしざまに罵倒する言動も多く、辟易させられたりもする。
なお、現在、テレビ番組に出まくって荒稼ぎをしている占い師の細木数子が、晩年の安岡と知遇を得て、あげく結婚したことで、世に出るきっかけをつくったことは、以前、このブログで紹介した佐野眞一の『あぶく銭師たちよ――昭和虚人伝 』に、その詳細が書かれている。
ともあれ、著者のイデオロギーによるフィルターが濃厚にかかっているとはいえ、十八史略のエッセンスを大掴みにするには、お手頃の本であろう。
切れ味: 可
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ピーター・ドラッカー 『プロフェッショナルの条件』
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本書は、過去にドラッカーが発表した論文のうち、特に自己啓発に関連するものを選んで、編集されてある。
ドラッカーの著作は、文章が簡潔かつ明瞭で大変読み易い。
一つには、翻訳が優れているせいもあるのだろう。
とにかく、何を言わんとしているのかが、明確に理解できるということがいい。
逆に言えば、何を言っているのか、さっぱり分からない本や、中身のないものを、さらに水で薄めたようなスカスカのビジネス本がいかに横行しているかということだ。
さて、ドラッカーであるが、もう一つの魅力は、この手の本にありがちな、人は誰でも潜在的には無限の能力をもっているのだからと、一種のスーパーマン願望を煽るような無責任な言動が、一切見られない点だ。
人は、ごく一部の天才を除けば、能力に大差はなく、伸ばせる能力にも限度があるとし、その上で、では如何にして、人間社会の九十九パーセントを構成する我々凡人が、限られた能力を活かして、意義ある人生を歩むことができるのかを説いている。
「夢はかなえる」式の無責任に成功を煽り立てる馬鹿な啓発本を十冊よりも、ドラッカーのこの一冊を熟読したほうが、余程ためになると思うのだが。
最後に、本書の中で気に入ったエピソードを引用しておきたい。
――私が十三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこう言った。「今答えられるとは思わない。でも、五十歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
切れ味: 可
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池宮彰一郎 『四十七人の刺客』
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赤穂浪士たちによる吉良邸討ち入りの義挙を描いた「忠臣蔵」は、これまで無数の作家の手によって作品化されており、大筋のストーリーは、大抵の人も知っている。
その意味では、手垢がついた題材であり、後発になるほど、作品化するのが難しくなってくる。
そこで、池宮版忠臣蔵は、これまでの忠臣烈士の美談としてではなく、これを太平を享受する元禄期に起きた大謀略戦と見なし、その視点から、忠臣蔵を描き直している点に特徴がある。
吉良邸への襲撃を画する大石内蔵助率いる赤穂浪人たちと、それを阻止せんとする相手方の上杉陣営との虚々実々の駆け引きに緊迫感があり、そのテンションを保ったまま、クライマックスの討ち入りへとなだれ込んでいく。
吉良邸での戦闘シーンも、リアリティが感じられて良い。
現代風にいえば、赤穂浪士たちの討ち入り決行は、いわば、ビジネスでの事業プロジェクトの遂行に見立てることができる。
禄を失い、何の後ろ盾も持たない浪人集団が、この壮大な事業計画を如何にして成功させることができたのか?
そんな観点から読んでみれば、我々とは別世界の江戸時代の出来事である忠臣蔵も、何やら身近に感じられてくるから不思議である。
「忠臣蔵」のような使い古されたテーマも、それを料理する作者の腕次第で、装いも新たに蘇ることができるという見本のような作品であります。
切れ味: 可
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竹内一郎 『人は見た目が9割』
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良く売れている本のようなので購入。
タイトルの剥き出しなインパクトが、売れている最大の要因のように思えるが、内容自体は、タイトルほどに強烈なものではなく、少し温度差がある。
要するに、タイトルの勝利に尽きるとでもいうべき本。
本書中で紹介しているある調査によれば、他人から受け取る情報の割合について、話す言葉の内容は、一割にも満たず、そのほとんどは、相手の顔の表情、声の質、大きさ、テンポなどによるものであるという。
特に顔の表情は、五十五パーセントを占めている。
言語によるコミュニケーションよりも、非言語(ノンバーバル)コミュニケーションこそが、対人関係の決め手になるということです。
つまりは、タイトルどおり、「見た目」が全てです。
身も蓋もありませんがこの際、、「見てくれよりも中身が大切」、「顔よりも心」といった偽善的な匂いのする建前論を粉々に粉砕して、現実を直視し、声高に叫ぶべきなのかもしれません。
「見た目」が全てなのだと。
しかし、この論でいくと、ビジネスマンの間で、身に付けるべきスキルとして挙げられているロジカル・シンキング(論理的思考能力)とやらは、ルックスの前には無力ということになるのでしょうか。
となれば、七面倒な言葉の説得力を磨くよりも、せっせと外見や振舞いに金と時間と努力を費やした方が、出世の上でも上策なのかもしれません。
もっとも、外見を良くするといっても限度があるし、もともと土台が悪ければ、手の施しようもないわけですが。
切れ味: 可
甲野善紀 『剣の精神誌』
- 甲野 善紀
- 剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想
現在、古武術家として、最も知名度があると思われる著者が、あまり世間的に知られていなかった時代に著した渾身の力作。
執筆の目的を、本書まえがきから引用すると、以下のようになる。
――江戸時代中期、一千回をを超える他流との試合に一度も敗れなかったという桁外れの記録を持っていた剣客がいたのである。
その名を真理谷円四郎源義旭という。
本書は、この他に類を見ない記録と、門弟が、大名、旗本、平士、その他で一万人以上にも及んだ、という経歴を持ちながら、日本の剣術史のなかで抹殺されたに近い扱いを受けてきた真里谷円四郎という異端の天才剣客の成立過程と、その背景を焦点として、世界に例を見ない剣術を骨格とした、日本の「武」の精神文化史を、…・・・探査してゆこうというものである。
小説に出てくる創作上のヒーローではなく、現実に千度不敗の剣客家がいたとは!
自称450戦不敗の神話を誇るヒクソン・グレイシーも真っ青である。
この真里谷円四郎なる剣客は、「無住心剣術」という流儀の三代目にあたる人物である。
流祖の針谷夕雲は、宮本武蔵とほぼ同時代の人。
この「無住心剣術」は、他の武術においては、その流儀の生命線ともいえる様々な技や型などが一切ないのが特徴で、相手と立ち会う際は、相手の攻撃を避けることも受けることもせずに、片手に持った小太刀を、ただ真直ぐに眉間にまで引き上げて、引き落とすだけであるが、何故か、立ち会った相手は皆、必ず負けてしまうという不思議な剣法である。
通常の武術に見られる超人的な体捌きや剣捌きを一切使わないシンプルな動きだけで勝つゆえに「無住心剣術」、つまりは心法の剣と呼ばれていたようである。
で、著者の引用文にあるように、この不可思議な剣術が、何故、どのようにして誕生したのか、そして、三代目、真里谷円四郎の代に至って、その隆盛が最高潮に達したにも関わらず、どうして彼の代をもってして、流儀が消滅してしまったのか――を商才に論じつつ、それに加えて、この流儀の核になっていると考えらる「気」の概念、それも武術における「気」について、さまざまな伝書などを引用しつつ言及していて、興味が尽きない。
しかし、一番興味深かったのは、「無住心剣術」の強さを、武術家である著者の視点から推論している箇所である。
ということで、時代小説が好きな人たちには、下手な剣豪小説を読むよりも、よほど面白いでしょう。
切れ味: 良
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宮城谷昌光 『中国古典の言行録』
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古代中国史に造詣の深い歴史作家の手になるエッセイ集。
内容はタイトル通りですが、大変読みやすい。
著名な中国の古典(論語、孫子、韓非子、史記etc)の中から、自己啓発、日常の心得、人間関係、指導者への帝王学、経営戦略などに適用できそうな名言を選び、その解説を、著者流のアレンジも加えて、綴っております。
とっても長~い宮城谷小説の諸作品とは違い、お手軽なエッセイなので、すぐに読めてしまいます。
肩を凝らずに、かつ時間をかけずに雑学を身につけたい人に向いているでしょう。
ここに出ている言葉の意味をよく咀嚼しておけば、何かの席で、周りの人に、さりげなく薀蓄を垂れ、実は教養がありげな人と思わせることができるかもしれません。
切れ味: 可
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前田英樹 『宮本武蔵 「五輪書」の哲学』
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著者は、フランス文学や言語学を専門とする立教大学文学部の教授。
そして、時代小説やドラマで有名な柳生家の家伝である新陰流剣術の遣い手でもある。
古武術家の甲野善紀氏とも共著を出している(下記のお勧めの関連書籍を参照)。
それで、本書であるが、タイトルのままの内容です。
つまり、ろくに武術を齧ったこともない頭でっかちの小説家や、コンサルタントと称するような輩が書くような「五輪書に学ぶ~」式の、愚にもつかないものとは異なり、ストレートに武蔵その人の思想を捉えようと試みているのです。
あとがきで、著者もはっきりと書いております。
――この小さな本で私が書いたことは、『五輪書』という自伝的思想書がはっきりと示す意味であって、それについての私の想像でも付会でも解釈でさえもない。
著者は、『五輪書』の中で、武蔵が使っている「実の道」という言葉に着目している。
――兵法の道も、「商いの道」も、職として身に付けてゆくべき技であることに違いはないのです。
では、なぜその技を「道」と言うのか。
それは、これらの技がそれぞれの本姓において深く、極めて精確に通じ合っているものだからでしょう。
通じ合うこれらの道の総体を、武蔵は、「実の道」と呼んでいました。
――彼もまた、徳川の社会秩序が確立してしまった時代に、兵法という自己経験の意味を、一人でどこまでも問い直した人です。
武蔵は、まずその経験を、自分を取り巻くさまざまな職の技の中に置いた。
置いただけではなく、それらの職能を根源において同じ一つの生にしているもの、彼の言う「実の道」の本体を掴み取ろうとしました。
すなわち、武蔵にとって、兵法を極めることは、あらゆる道具を用いる職の技と根底で通じる「実の道」を極めることであったようだ。
彼は、生涯を賭して、「実の道」を追求した求道者であり、その「実の道」の底の底まで極め尽くし、言葉に結晶化させたものが、『五輪書』であったのであろう。
そういう事を知ったうえで、『五輪書』を読んでみれば、これまでのイメージとは違った武蔵の姿が立ち現われてくるに違いない。
また、武蔵の思想を、ほぼ同時代のヨーロッパに生きたデカルトの思想と対比させて考察しているのもユニークである。
切れ味: 良
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そのウインチェスター・M12を手にした者は、必ず何かの事件に巻き込まれる。
そんな魔性の銃と、奇しき巡りあわせで、それを手にした男たちの生き様を描いたオムニバス形式の連作短編集。
四つの短編が収められているが、共通しているのは、そこに登場する男たちの生き方に拘るスタイルの堅持である。
人生の何に対して、頑ななまでに拘るかは、人によって異なるだろう。
他人から見れば、何でそんなことに拘るのか、分からなかったりする。
が、この静かで、誇り高い自己主張のスタイルなくして、ハードボイルド小説は、成立しない。
そして、そのスタイルを貫くうえで、重要なアイテムになっているのか゜、この小説では、銃なのである。
どの短編も秀逸であるが、特に「斧」は、絶品です。
俗世間との関係を絶って、一人、山に籠り、猟犬と銃を相棒にして、猟生活を営む男のもとに、喘息持ちでひ弱な息子が訪ねてくる。
久しぶりの父子の邂逅の後、息子は、山小屋で、父と寝起きを共にしながら、都会で生活していたのでは、身に付けることのできない、サバイバルの術を学んでいく。
そして、息子の下山の日、思わぬ災難が二人に襲い掛かる。
ということで、未読の人で、関心を持った方は、是非とも本を読んでみてくださいな。
なんだか、アメリカの文豪ヘミングウェイの初期の頃の短編を思わせるような男の世界であります。
切れ味: 良
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K-1に出場するヘビー級の有名選手や、フルコン空手、総合格闘技のチャンピオンクラスと自由組手で立ち合って、ほとんど子供扱いにしてしまうエピソードは、数多くある。
また、プロ、アマを問わず、いろいろなスポーツの選手たちを指導しており、武術の身体操作をスポーツに応用させて、一定のパフォーマンス向上に寄与するなど、古武術ブームの立役者の一人でもある。
その著者が、本書の中で、頻繁に使っている言葉に「身体脳」、「統一体」、「呼吸」、「型」などがある。
「身体脳」は、頭で考えるのではなく、身体で感知・感応する力とでもいおうか。
身体脳を磨けば、五感力(あるいは六感か)が鋭くなり、全てにおいて反応が素早くなるという。
眼で追う動体視力では、見てから、脳で考えて判断する分、対応は遅くなる。
武術とスポーツにおける眼のつけどころの違いというわけだ。
「統一体」は、全身の力を統合した力を有効に使える身体の動きを差しているようだ。
スポーツのように、ウエイトトレーニングで、各パーツを鍛えたところで、身体の統一がとれていなければ、生み出される力もたかかが知れている。
また、武道でいうところの「呼吸」を身につければ、歳を重ねても関係はなくなるようで、むしろ歳をとった老人ほど、呼吸を活かせるので強いのだという。
小説やドラマなどで、老いた達人が登場したりするが、現実にそういう人もいるらしい。
で、これらを身につけるためには、空手の原点である「型」をやるしかないという結論に落ち着く。
現代スポーツの常識とされているウエイトトレーニングやランニング、格闘技ならお決まりのサンドバッグ打ちなども一切不要で、ただ、ひたすら「型」を練りこむことで、身体は確実に進化するという。
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切れ味: 可
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