喜びと光、悲しみと闇・・
ニュートラルな場所は、その真ん中にあります。
そこは、穏やかで静寂に包まれた場所であり、そこからは、光の世界も闇の世界もどちらも価値判断することなく、愛の眼差しで観ることができます。
私達は、その場所へと少しずつ向かっています。
光が善で、闇が悪
そのように捉えてきた時代は、だんだんと過去の記憶となって薄れていくようです。
喜びも悲しみも、どちらも愛を学ぶための必須項目であり、良い悪いの価値判断はないのです。
私の人生のストーリーでいいますと、最大の喜びは、夫と結婚したことであり、最大の悲しみは、夫を亡くしたことでした。
一緒に過ごす喜びは、ハートを広げ、愛する人との繋がりを感じることで、素直に愛を広げていくことができます。
では、失う悲しみからは、どうでしょう
そこから愛を学ぶことはできるのでしょうか
私自身の経験からも、悲しみからも愛を学ぶことができると確信しています。
愛する人を失うことで、はじめは、愛をも失ってしまったかのように感じてしまいます。
それは、この世界での物質的な身体がなくなってしまったことで、愛する人との繋がりが絶たれてしまったと思うからです。
でも、魂に死はないのです。
その真理を受け入れていくと、現実の世界の中でも、光となった大切な人からの繋がりを感じることができるのです。
そして、魂の存在に信頼が持てるようになっていくと、光となった大切な人からの導きや計らいに驚かされる出来事が、現実として現われてきたりします
例えば、今年の3月に、夫の13回忌が神奈川の夫の実家で営まれたのですが、その13回忌の日を知らされるずっと前に、私はその日を含めた4日間の東京のホテル滞在を決めていたというエピソードがあります。
そしてそのエピソードで何と
東京4日間滞在中、たまたま、13回忌と告げられた日の予定だけが、何故か入っていなかったというミラクル
他の日は、アロマセミナーの受講や、友達と会う予定など全て決めていたのです
この完璧な日程設定に、私はすぐに、夫の導きと計らいだと思いました
このように、光の世界に帰っても、大切な人とはずっと繋がっていて、相手は愛を伝え続けてくれているのです。
そのことに気付けば、悲しみは愛へと変わり、今度は、その悲しみから学んだ愛をこの世界で広げていけるのではないでしょうか
ニュートラルな場所へ
悲しみから学んだ愛を広げていくたびに、悲しみという闇の部分が悪であるというレッテルを剥がしていくことができ、
やがて、善悪の判断のない、穏やかで静寂に包まれたニュートラルな場所へと自然と辿り着くことができるのでしょう