何でもない日
取り立てて予定がない日・・
若かりしときには、何でもない日があると、心のどこかに焦りや罪悪感を感じ、のんびりすることができませんでした
豊かになるには競争に勝たなければならないという、当時の世間の価値観や、
自分のやりたくないことでも我慢してでもやり通すこと、忍耐を良しとするような風潮などに感化されていたからだと思います。
その頃、なぜ競争や忍耐ということに意識が向き感化されたのか、また、なぜそのことによって焦りや罪悪感が出てきたのか全く分かりませんでした。
でも、今なら、それらの意味が分かるような気がします
誰もが、神様です。
競争や忍耐は、神様である自分の魂には本来ないものです。
そのような競争や忍耐に感化されたのは、過去や過去世で経験した、競争や忍耐に対する魂のストレス(カルマ)が意識として出て、現実化されたからです。
意識は、どんなことであれ、現実化するのです。
覚えていない過去世での意識でさえも・・
私の場合は、過去世の貴族時代で身に付けてしまった意識、競争や忍耐というストレスが、表に出てきたのでしょう。
でもそこで、注意したいのは、目の前に出てきた魂のストレスに対して、意識を注がないこと
意識には、意識を注ぐものを強めるという性質があります。
さらに意識することで、その現象をより強くしてしまい、そのような現象をまた引き寄せてしまうのです
魂のストレスを解消するには、先ずは、「心地良くない現象は、過去の魂のストレス(カルマ)の現れである」ということに気付くことが大切だと思います。
人は、理由が分かると納得でき、意識が変わり、視点を変えることができるのです。
逆に理由が分からないと、理由を探そうとしたり、問題を解決しようとして、その心地の良くない現象にさらに意識を注いでしまい、
結果、もっと複雑な現実を引き寄せてしまうこともあります
ですので
今後、魂にストレスを溜めないようにするには
自分の想いに嘘をつかず
自分の心に正直に、本音で生きるということが大切なのです
そして、自分が心地よいと思うことを意識して選択し、行動していく生き方が、宇宙の流れに沿った、豊かさと同調できる生き方なのだと思います
私自身も、過去の魂のストレスに気付き手放し、心地良いことを選択していくたびに、魂は本質に近付いていき
今まで焦りや罪悪感を感じていた「何でもない日」を輝く日に変えることができました
浮き沈みのない平和な日常
誰からも縛られない自由なスケジュール
心の静けさと穏やかさ・・
何でもない日は、今まで気付かなかった空の青さや、花の香り、風の流れなどの美しさや心地良さ、その中にある神様の存在を感じさせてくれます
何でもない日
宇宙と同調できる日
過去のストレスの存在に気付き、意識を変え、自分にとって心地良いことをしていくことで、何でもない日の輝きに気付くことができるのでしょう