明日は、妹の一周忌です。
癌を経験し、命と向き合い、43歳で人生を卒業した妹・・
究極の命のドラマは、本人のみならず、周りの家族や友人や接してきた方々がそれぞれに心の奥にしまってきた問い
”死とは何か・・”
”生きるということは何か・・”
という問いを浮かび上がらせ、その答えへと繋がる真理の扉の前へと導いてくれる貴重な機会でもありました。
そして目の前の真理の扉を自らが開けたとき・・
魂に死はなく怖れるものではないということや、この世に生まれ生きることは、魂を磨き、より美しい世界へシフトしていくための成長の過程であるということなどが真に分かり、希望の光を心に宿すことができたのです
今は、その希望の光へと導いてくれた妹への感謝の気持ちで一杯です。
また、希望の光が教えてくれたことは、様々な経験をすることによって生まれる様々な感情が、魂を豊かにしてくれるということです。
人の心は振り子のように、悲しみや苦しみである陰の領域と、感謝や愛などの陽の領域を行ったり来たりして、その経験から魂に磨きをかけています。
深く大きな悲しみや苦しみであるならば、振り幅は、同じくらいの深くて大きな感謝や愛を知ることができるのでしょう。
ただ、人は悲しみや苦しみでさえも手放すことに怖れを感じ、心の陰の方向に振り上がった想いを握りしめ手放すことができずにいたりします
でもそのときに、真理や愛に触れることで、握りしめていた悲しみや苦しみを癒し手放すことができると、心の振り子は、対極にある感謝や愛の領域へと振り上がっていくのです
深く大きな悲しみは、深く大きな愛へ
心の振り子の振り幅は、心の豊かさの幅
心の豊かさの幅があれば、人の様々な想いが理解でき、痛みに寄り添い、励ますこともできるでしょう。
それは、自分にとっても喜びでもあり、お互いが輝く瞬間でもあるのです。
とても素敵な愛の循環ですよね
そして更に陰陽様々な想いを経験し、豊かさで満たされたときには、心は穏やかさや静寂を求め、心の振り幅も小さくなって、やがて、陰も陽も全てが愛であるという不動の一点を知ることができるのではないのでしょうか。
不動の心
静かな心となり、揺るぎない愛を知ることができたとき、自らが、どんなことも明るく照らすことができる希望の光となるのだと思います