回想のロンドン  3

 

 ユーリバテス号は、遅れをとり戻す意気ごみで、太平洋を横断していた。周囲に一切、島が見えないのが何よりの証拠だ。

 見渡すかぎり、蒼、蒼で、船尾から吐き出す白い泡が、海をかきたてては蒼い色に染まってゆく。風がつよく吹きはじめると、蒼一色の平原に波頭が生まれ、白い目蓋の群になって増えていった。

 

 海原、なんてぴったりした言葉なのだろう! まさしく、いまはその只中だ。甲板にいると、身体が船の動きに逆らうので、食堂に行けなくなってしまった。食堂のテーブルの上のものを、夫に部屋に運んでもらって、横になったまま口に入れる。はじめは少しづつ、だんだん大胆に。

 これは凄い発見!船酔いに朗報! はやく誰かに教えてあげたくなったが、バロン夫人の姿も食堂から消えたというから、案外同じようなことをしているのかもしれない。

 

 とうとう食事に集まる乗客は、男性二人と、この船の電気技師の妻、カラマシュコフ夫人(日本人)だけになったらしい。彼女はこんなにみるみるうちに日本から遠ざかる船のなかで、どう気持ちを整理しているのだろう。

 もう母のいない私にしてみたら、遠く隔てられていても、親が生きているからこそ、生じる悩みなのではないか。それに自分の子供がいるなんて!しかも留守中の子供の世話をしてくれる姑もいるのだ。日本、ギリシャ、そのどっちを向いても恵まれているってことにも…。

 

 一羽の鳥が、波に止まって怖がるどころか、何だか、波乗りを楽しんでいるようにも見えた。船が近づくと慌てて飛んでいってしまう。いったい夜はどこで羽を休めているのだろう。軒下も枝もない、この水だけの平原で。

 人間がいる限り、その欲望に満ちた地球で、幸せなのは鳥だけじゃないか。牛だって豚だって悲惨な生涯だ。どれだけの、それこそ地球を一周できるほどの血を流して人間の食料にされている。

 

 こんなことうっかり友人に話しでもしたら、たいてい、

「野菜だって生きてたのよ。」

と言われる。私は心のなかで怒ってこう話す。

「哺乳類には親子の感情があるのよ!殺し方だって

もっと繊細にするべきよ。イタリアでは、エビとかカニさえ、

生きたまま調理するときは、彼らに最も苦痛がないように

何処からナイフを入れるか法律で決まっているそうよ!」

 

 日本のあのぴくんぴくんしている、生き作りのお刺身なんかいじめに等しい。まだ生きている魚の目に醤油をかけて、飛びあがるのを楽しむとか(新鮮だという証明のため)、カニ、タコの釜茹で、などきりがない。

 

 旧約聖書に頻繁に出てくるのは、神さまへ捧げる供えもの、生きたままの子羊だった。それで生贄という言葉が頭から離れない。自分の愛娘を神に捧げたエフタ。(士師記11章34節)

 彼から、その深い悲しみの他に何を受けとればよいのだろう。神への信頼、契約が流される血でなされるものと譲っても。

 

 こうして子羊の肉を食べていると、農耕民族の、豊かな実りを神に祈る、その穏やかな祀り事に、ほっとする。

 でも、紀元前のチグリス・ユーフラテス河の辺りでも、最初は、地面にちょっとした土を盛って、地面より高いところに(洪水が頻繁だったから)神にささやかなお供えをしたのだ。

 そこまでは素朴な農耕民族の祀りに近かったのだけれど、その盛り土が増えて、紀元後には、どんどん人間の欲で、高さを競うようになった。そのうえ、より高い土地に、神殿ができて、祭司が誕生し、威張るようになってしまった。それで、とうとうバベルの塔までに発展したとき、神の怒りをかったのだ。

 

 神は競いあうことができなくなるように、地域別に異なる言語にしてしまわれたので、離れた土地の人どうしの言葉が通じなくなってしまった! この結果を招いたのも、人間の欲望に限りがなかったからということになる。ここのところの旧約は、かなり今は納得できるような気がする。

 

 人間の限りない欲望のため、今この瞬間でも、まだあどけない子羊が親と無理やり離される姿が頭をかすめる。しかもそれを食している私!

 矛盾にみちた連鎖!それをたち切る、ごまかす?ために音楽を聴いて寝るしかない。こんな習慣をかなり昔から作ってしまった。

 トランクの中からテープを取り出した。几帳面な字で曲目や演奏者が書かれていたので、聴いたことがなかったシューベルトのピアノソナタ(遺作bフラット)、をラジカセにセットした。

 

 この海の上の揺れはなんて気持ちがよいのだろう。まるで揺籠。眠りの果て死んでもよいような心地だ。

 海の蒼の明度が、黄昏色、濃紺色に沈む頃、食堂で夕食が始まる。買い物も食事の用意もしないで、こうして横になって聴いていられることを感謝せずにはいられなかった。

 

 bフラットの1楽章では、これ以上のロマンティックなメロディーはないと思うほど、7,8小節くらいから、右手が切なく美しく始まった。海のごく傍にいるせいか、想像することができた。遠くカスピ海の底(正確には湖底)に沈んでしまった国の悲劇と在りし日の繁栄を。(勝手な想像)  

 

 ピアノソナタにはほとんど背景がないからあらゆ場面を自由に想像できる。でもこのbフラットは、シューベルトの最晩年に作られたので、彼は考えられる限りのメロディーを、これでもかというくらい駆使している。この豊富なメロディーであと三つくらいは曲ができたはずと思った。ベートーベンなら五つかも。音楽史上、本当にもったいない。

 きっと彼は自分の死を予感して、もう作曲できないことを感じとっていたような気がしてならない。そうでなければこれほど惜しみなく才能を全開にするだろうか。

 

 2楽章はもう天国。ゆっくりとした左手。気品と悲しみにあふれている。何度もテープを戻して聴いた。そして自分でどうしても弾いてみたくなった。この東ヨーロッパ的な2楽章だけでも。

 

 3楽章は耳から少しも離れない。気がつくと、くちずさんでいる。荘厳さも加わっている、でも大げさじゃない。私にはこれを聴けというような自信めいたものはいらない。好きなのはこんな曲。湧きでてくるような、何度でも歌いたくなるような、でも決して忘れられない、闇から光、光から生に抜けていくような。

 

 終楽章は、ころころブレストが転がっていく。もうこの曲に決着をつけよう、でもまだ伝えきれない、感情のすべてを、私の最後のちからをこめて!とさえ言っているのだ。

 最後まで聴くのに45分かかったが少しも長く感じられなかった。(シューベルトのこのソナタとの出会いは、その後の私の人生を(大げさだ)、ロンドンでのすごしかたを、決める契機になった)

 

 夜半は、船が大きく揺れるたび、シューベルトどころではなく、舳先に積んである、あの大きな鉄のタンクがこの部屋に転がりこんで、部屋ごと潰されるのではないかと怖くて眠れなかった。

 

 今朝はよく晴れている。洗面所にいると、めずらしく夫の大きな声(身体を労わっているのか普段は大きな声をださない)。

「おーい 来てごらん すごいよ!」

ドアをあけて急いで甲板にでた。双眼鏡で海をながめていた夫が

「クジラだ クジラがいるよ。」

「どこ どこ」

「ほらあそこ おおきい黒い3角形が見えるだろ!」

「見える!あれがくじら!わっ大きい。すごい速さで泳いでる!」

 

 何とも言えないやすらかな気分。陸の旅ではどこかにフラっと観光したり、土地の料理を食べたりできるが、こうした船旅では、永遠に続くかと思う日常に、はっとする、非日常の海の生きものに出会える。彼らの行動そのままの、自由を尊重できるかたちで。

 

 幾晩も嵐のような時化が続いた。太平洋は思ったより手ごわい。船が沈んだら、火災がおきたら?病気になったら?不安がかすめる。この船に乗っている人達(船員も)は間違いなく全員そう思っているだろう。そういえば救命道具の説明もなかった。避けがたい何かが起きても悔いがないように毎晩お酒を飲んで紛らわしているに違いない。

 

 私は日記をつけることにした。でも金庫に入れておかない限り、紙きれなんか沈没したら海底から見つけられるだろうか。ある程度重量があるものだけだろう。ひょっとして残るのは、アルバ島に運ばれようとしている、この鉄製タンクみたいなものだけかもしれない。人生諦めが肝心。私には子供がいない。私がいなくなったって悲しむ人はほんの僅かだ。

 

 甲板にはカラマシュコフ夫人がいて、もう太平洋の真ん中にさしかかっているので、どちらかといえば、ギリシャ(第2の故郷)の方に心が傾いていた。明るい顔で、二人の子供さんのこと、ギリシャでは、女の子が法律上家を継ぐことなど話してくれた。

 

「男の子なんて、結婚して、彼女が一人っ子だったら、もう実家なんて帰ってこない。」

 本当にそうだと思った。羨ましい気がした。何がなんでも長男に、譲るという日本に比べて、ずいぶん新しく現実的な法律だ。

 

「それいいね 賛成! だって親の面倒みるのは、

お嫁さんより娘のほうがいいにきまってるものね!」

 

 「だから、オナシスと結婚したケネディーの未亡人

ジャックリーンね、オナシスの遺産はもらえないのよ!

だってオナシスには先妻の娘がいるでしょう。」

「なるほどね。そうなるとオナシスの死後、骨肉の争いが

ないわけね。尤もジャックリーンはもともと大富豪の娘さん

だから、ギリシャで争う気なんて毛頭ないと思うけど。」

 

「それはそうと、ロンドンに着いてしばらくしたら

ぜったいギリシャに遊びにきて! 島めぐりできるから。

ギリシャでは島が最高なの!夫は船乗りだから留守だし。」

「もちろん喜んで!わたしギリシャ人好き。気取らなくてホットで。」

(この時から、ギリシャに行く楽しみができ、一年後に実現したのだった。)

 

 やわらかい陽ざしの甲板で、二人で心底話し合えるのが嬉しかった。彼女もふだんギリシャ語で、習慣も文化も違う家族と暮らしていて、ずいぶん寂しい思いをしているようだった。

 

「ギリシャっていまでも大理石で床なんかできてるの?」

「そうよ、外に出れば大理石なんてごろごろあるわ。」

(彫刻がみんな大理石なのは特別なことではなかったのだ。)

「じゃー日本の憧れのあの大理石で、キッチンのシンクとかお風呂もできてるの?」

「バスタブもシンクも、もちろんそう。でも落とせば

コップは割れるし、だいじな陶器だってすぐ壊しちゃうのよ。

不便たらありゃしない。それにこまめに手入れしないと

すぐ汚れてくるの。主婦たちはステンレスのシンクに

みんな憧れてるのよ!」

 

 私はその頃、ヨーロッパに一歩も二歩も遅れている、日本の大工さん(男)が考えたキッチンが、おおいに気に入らなかったので、ギリシャの家の大理石のキッチンを見てみたいと思わずにはいられなかった。コップの一つや二つ割れたってステンレスより大理石のほうがはるかに良いに決まってる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散らばっていても       中田紀子

                   

あつめたい

右と左にただしく合うものを

月に照らされた水底の

ばらばらの微小な影さえ

 

ふれたい

水草に巻かれて

かたちを失くしているものに

あきらめきれない採掘船になって

 

かつて放射線状にひろがった髪

そのしたの生きいきとした顔

そのくちからこぼれていた声

 

さがしたい

だれのものでもなくなってしまった一片さえ

水をあやつる水夫になって

    *

透視する鋭い眼をもって

水深におもむくひとがいる

ばらばらに在るものが見守られる

流れ去ろうとする影さえ

 

散らばっている一つひとつをあつめ

父のもとへ還したいと思うひとがいる

もっとも近くにいて

決してそこから去らないひとが

 

月からとどくひかりより

採掘船の灯りより

水夫のまなざしよりも

 

もっとあたたかく

空の火をゆらし 

約束のようにあつめるひとが

 

                    

 

 

回想のロンドン 2      中田紀子

 

 

 このあと、実はもっと凄いことがこの船の行く手に待っていた。

夕食は2時間どころでは終わらなかった。故郷に帰ったが故に、子供がいるギリシャに帰りたいけれど、ずっと日本にも残りたくなってしまった複雑な心境の彼女が、涙目でワインをかなりのスピードで呑みはじめたのだ。そして泣きながらダウン。(どうすることもできなかったが、今なら言葉をかけてあげることができると思う。)

 

 その時ユーリバテス号の船長が乗客が集まっている食堂にやってきた。もちろんギリシャ人で、言葉は、母音が強調されるような日本語とギリシャ語が混ざっている。いかにも海の男という感じだ。日焼けして口ひげをはやして、ギリシャ人特有の身長低めの、がっしりした体格。彼は

「待てましター にぽんじんにあうことができたネー。なかーたさん(か、にアクセント、やけにのばす)」

と言って手がちぎれそうなほど握手をしてきた。夫も私も笑顔で

「お会いできてうれしいです!」

 

 かなりギクシャクしたそれまでの食堂の雰囲気を、船長が一変させたのは感謝すべきことだったが、バロン夫妻にはすでに会っていたせいか、握手はせず軽く会釈のみ。どうも船長は英国人をそれほど快く思っていない様子で、さかんに「なかーたさん」をくり返し、全く英語をしゃべろうとしない。こうなると私はなぜかまた肩身が狭くなってバロン夫人の顔色を恐る恐る窺うのだった。

 あくまで先に予約した私たちをたてて彼らにオーナーズルームを譲らなかったのは、もしかしてこの船長の考えであったのだろうと思えてきた。

 

 イタリアのワインやギリシャ、日本の酒も運ばれてきて

「呑もー なかーたさん」

が始まる。そのうち、船員たちが数名やってきて、コック長はおつまみの、レバーの唐揚げを山ほどもってきてくれた。(もてなしの料理はたいてい山盛りなのだ。)

「にっぽんのおさーけ、この料理とあうよ レモンをかけーてね!」

 酒好きの夫は満面の笑み。バロン夫妻はおつまみをおいしそうに頬ばってから、ほろ酔い気分で部屋に帰っていった。 

 

 それからが大変だった。レバーのから揚げは石鹸みたいなチーズの何倍も美味しかったが

「かんぱーい カンパーイ!黑いかーみの毛に ギリシャとニッポンに!」

 何度この船長の乾杯をくりかえしたことだろう。さかんに夫が時計をみる。それに気づいた船長は、立って壁のところに行き、時計を裏返しにしてしまった。

「いまかーらタイムなし。朝まーでタイムなーしなし 見ないネ!」

 

 意識が薄れてしまいそうだったが、私たちは黒い髪と両国へ乾杯しては呑み続けた。夕飯の片付けがないのだと思うと心底嬉しかった。くつろげた。そのうち船員の二人がシャツを脱いで上半身、裸になった。お腹に目と鼻と口がマジックで書いてあり、思いきりそのお腹を音楽に合わせて揺らし始めたのだ。あまりの滑稽さにお腹が痛くなるほど笑った。

 夜が更けてもその踊りは続いたが、何だか海が荒れてきて船が左右、前後に揺れだして、船酔いがはじまったので、部屋に戻ったが、夫はその後もチェスをつき合ったようだった。

 

 明け方になって私たちは結論した。

「ロンドンに行きたしと思えどロンドンはあまりに遠し。 ロンドンは遠くにありておもうもの。」

「アエロフロートかなんかにすればさっと着いたのに」 

愚痴をこぼしてしまった。が船では荷物の重量に制限がなかったので、二人ともレコードから録音した大量のテープ(その頃はCDなどなかった)、本、衣類、私は着物草履まで、一年分の日本食など、かなり大きなジュラルミンボックス4個に詰めて船底に入れてもらっているので、もう後戻りはできないのだ。

 

 朝の甲板に出ると、意外にも波が穏やかなので何となく予想はずれというか不思議な感じがした。

「太平洋のどの辺にいるのだろう?」

双眼鏡で見ると何やら島らしきものが見える。

「まさかひと晩でアメリカ大陸に! そんなわけないよね。この船はどこに行こうとしてるわけ?」

「北海道の室蘭に行くんだって!」

「それはやく教えてよ。 で室蘭でなにするの?」

何か溶鉱炉のような鉄製のでかいものを積むらしいよ」

「鉄なんて積んで重くて船沈まないかな~」

「積載量は計算してあるはずだ。慣れている貨物船なんだし。」

 

 やっと友人と大げさな別れをして日本を脱出したと思ったら日本にまた帰るみたいで滑稽に思えたが、真剣に、このことは内緒にしたいと思った。

 貨客船の航路の順序からすれば合理的で妥当なのだけれど。

「その大きな鉄のタンクみたいなものね、いったいどこへ運ぶの?」

一瞬不安がよぎった。またとんでもない近くに、なんだろうか。

「アルバ島だって!」

「アルバ島ってどこ?」

地球儀で探すと、パナマ運河を通過してすぐの地中海、ベネゼラ海岸沖にある小さな島だった。(記憶にミスありの時はご容赦) 

 

 室蘭では1泊するというので、早速、はじめての室蘭の町を歩いた。抜けるような秋の空が横浜よりひんやりした空気を運んできていた。古い倉庫がいくつかあり、北国らしく風雪に耐えられるような家なみが落ち着いて並んでいた。思いがけぬ国内旅行。

 

 翌朝すぐに出航かと思いきや、なにやら哭き声が聞こえてきた。鉄の大きなタンクはすでに甲板の舳先に括られていて、私の部屋からは前方の眺望が少し遮られていた。あまりに哭き声が度々聞こえるので、前夜紹介されたサントスさん(船長はじめ、さかんにサントスと呼んで〈さん〉をとれと言われたが)に聞いてみると、牛を積んでいると言う。食用なのか(食用なら生きたまま運ぶ?)、乳牛なのか、農業用耕耘機としてなのか、ともかく日本から、はるか遠い小さな島に数十頭も運ばれて行くらしい。ようやく何とか積み終わって、夕方に出航となった。

 

 これでいよいよ太平洋を横断して目的地に行けるのだと思うと相変わらずの白すぎるチーズとラムチョップの夕飯にも、勇気が湧いてきた。飲み会にならないうちに早々に部屋に戻り休むことにした。どうやら横になっていれば、(横になって食べれば)船酔いしないことがわかってきたので。夫は食堂でワインやギリシャの強いアルコールを呑みながらチェスを船長とかバロン氏と数時間楽しんでいた。まったく人嫌いな人なのだが、学生時代、囲碁部にいたせいで、チェスにも嵌ったのだろう。

 

 朝の甲板は空気が澄んでいて、洗顔しなくても皮膚が汚れない気がした。これから太平洋の荒波を超えていくのだと幾度となく思い、その先のパナマ運河をぬけ大西洋に、そしてイギリスに到達するのだとワクワクしていた。が、その時船の動きがぴたりと止まった。

 さすがに夫も不安そうだった。そのうち廻れ右をして、どうやら船は再び来た道を戻りはじめた。

 私は永久にロンドンには着けない!そう思った。サントスさんに

「どうしてこの船また戻ってるの?」

「牛のなかに、病気を発症したものがいて、室蘭で降ろすことになったんです!」

なまりのある英語で彼は一生懸命そう説明してくれた。

 

 再び室蘭に着いても下船する気力がなかった。この牛の積み降ろし以降、航路のことを尋ねるのはタブーになった。ギリシャ人の船なのだからギリシャ人のやり方で運行するよりほかないのだ。 

 乗客は昼間から、やけワインを飲みはじめた。

「なんか間がぬけてるね。無駄な費用もかかってそう。」

ひそひそバロン夫妻が小声で話し合っている。(でも彼らは横浜と室蘭をゆっくり見たはずだ)

 

 日本人だったらもっと緻密な計画を立ててから事を運ぶに違いないと私も思った。でも時計を止めて、徹底的に楽しむ人たちだから、このような思わぬハプニングにも柔軟に対応できるのではないかとふと思い至った。病気のまま、経済優先で、強行に牛を運んだとしたら、先方にも牛にも迷惑だ。尤もどちらにしても牛がいちばん可哀想だけれど。

「このやり方って、なんだか血の通ったすごーく人間的な気がするね!」

「そうそうロンドンまで45日かかるのだから1日延びたからってどうってことないよ。」

 諦めとは違う感じで私と夫は室蘭牛事件(と名づけた)にギリシャ的柔軟な決着をつけたのだった。

 

 横浜を出航して4日め、ようやく船旅が静かに始まった。相変わらず夜の「乾杯」は続いていたが。夜を重ねるたびに、文明発祥地の人は、イギリス人より、われらは優れているという自負があるように感じられた。馬鹿さわぎのなかにある温かみ、さらにそのなかに、黒髪に、有色人種に、東洋に、日本人に、好意的な感情。

 まるでオスマシの肩はったゲルマン民族の礼儀作法なんぞいらないぞという主張をみてとった。

                  *

 (その後ブリティッシュ・ミュージアムをゆっくり見て、また実際に、もぬけ殻のような、柱だけがバランス悪く立っているアテネの丘に立ってみて、大英帝国様はパルテノン神殿の屋根や、その下の壁の、超貴重で芸術的な大理石の彫刻などを、戦利品として持ち帰り(凄い技が必要だったろう)、得意そうに、自国のミュージアムに照明つきで飾っている、と理解した。だから、船長の態度も無理からぬことだったと痛感したのだった。

 ギリシャの青い空のもとでは照明はいらなかったはず。貴重な遺産である建築物や彫刻は、真っ白な大理石があの空に映えるように造られていたに違いない。アテネでそのままのかたちで、保存され守られるように手をかすのが紳士たる英国人のとるべき態度ではなかったか…むかしむかしから海賊でも有名なのだからまあしょうがないのかもしれない。)      

                                                            つづく