2025年9月のある日の朝のこと。近所の神社でよく会うオジサンから、LINEで仕事の勧誘の連絡が送られてきていた。彼は自身の小さな建設会社で何か新規事業をやろうとしているらしく、そのメンバーとして私を勧誘してきたのだった。その先日、私は彼との雑談中に最近会社を退職したことを伝えていたため、彼は私がフリーの無職状態であると思い込み、勧誘するチャンスだと考えたのだろう。だが、その時には私は既に次の会社に入社して働き始めていたため、勧誘されたところで応じる気にはならなかった。
とりあえず彼に案内された会社のホームページを見てみたが、内容が薄っぺらくてイマイチどんな会社なのかがよく分からなかった。記載されていたのは「私たちは世の中のために貢献します」といった抽象的な企業理念くらいで、具体的な事業内容、実績、社員数などは全く記載されていなかった。まるでハリボテのようなホームページであり、「なんじゃこりゃ」というのが率直な感想だった。
彼がLINEで送ってきた情報によると、新規事業として居酒屋の経営や弁当の配達といった事業を検討していたらしいが、そういった事業内容にもいまいち興味が湧かなかった。それになにより、自分は今後しばらくは他の仕事で地道に働いていくつもりなのだ。だから、今回の勧誘はなるべく彼が傷付かないよう、やんわりと断わっておいた。せっかく誘ってくれたのに無下に断るのも申し訳ないかと思い、「勧誘ありがとうございます」と誘ってくれたことへのお礼はキチンと言ったうえで、今後俺が仕事のことで何かあれば相談するようにも言っておいた。
だが、その断り方が気にくわなかったのか、或いは断られたこと自体が気にくわなかったのか、その日の夜に彼が電話をかけてきて、なんと約1時間半にも及ぶ長電話で俺に対してゴチャゴチャと文句を言ってきたのだ。
やれ「断りかたが失礼」だの「ウソをついている」だの、色々とワケの分からないことで責め立てられた。俺に対する勝手な想像・決めつけに基づく言いがかりが酷かったし、被害妄想で俺に対して様々な疑念も抱いていた。こちらがどれだけ断わった理由や背景について説明しても、いまいち理解できていなかったようだ。
私が返信していたLINEの文面に関しても、些細なことを気にして文句を言ってきた。私の「勧誘ありがとうございます」の「勧誘」という言葉が気にくわなかったらしく、「勧誘と言われて、俺プッツンときたよ!」などと言っていた。いや、今回のこのオッサンの行動は実質勧誘以外のなにものでもないと思うのだが(笑)
なぜかは分からないが、彼は「勧誘」という言葉になにやらネガティブな認識を持っていたらしい。本来、勧誘という言葉はべつに良い意味でも悪い意味でもないのだが。例えば、若い人が栄えあるアイドル事務所やプロ野球チームにスカウトされた場合には「勧誘された」と表現するし、カルト宗教団体やネズミ講などに誘われた場合にも「勧誘された」などと表現する。
そんな「勧誘」という言葉一つにいちいち過剰に反応してキレていることがおかしいし、そしてそれをわざわざ電話で伝えてくることも意味が分からない。2重に意味が分からない。「俺プッツンときたよ!」などと言われたところで、俺からすれば「へー、そうなんだ」としか言いようがない。
更には、「LINEでのメッセージのやりとり中に、一度も私の名前を呼んでくれていなかったのが失礼だと思った」などというワケの分からない文句も言われた。は?その日のオッサンとのLINEでのやりとりでは、単に相手の名前を呼ぶ必要性がなかっただけなのだが…。まぁ、要は俺にもっとかまって欲しかったんだろうね。
これまでにそのオッサンと直接会って話をしている時には、普通に「○○さん」と彼の名前は何度も呼んできた。だから、その日のLINEでのやりとり中にたまたま彼の名前を呼んでいなかったというだけで不満をこぼしてくることが意味不明だし、こだわるポイントがおかしい。普通の人なら全く気にしないようなことにいちいち拘り過ぎてて、つくづく面倒臭い人だなと思った。
そもそも、私のほうから何らかのお願いしたのならともかく、今回の件はそのオッサンのほうから一方的に話を持ちかけてきた「勧誘」なのだから、断わるのも承諾するのも私の自由であるはずだ。彼が私を勧誘してきて、私がそれを断った。単にそれだけのことだ。本来なら、それで話は終わりになるはずだ。
彼とは近所の神社でよく会うだけの参拝友達という関係であり、べつに金銭の貸借りをしていたわけでもないので、私が彼の勧誘に応じなければならない義務・義理など一切ない。例えどんな断り方をしたところで、その後にゴチャゴチャと文句を言われる筋合いなどない。ていうか、私から無視されずにキチンと返信をもらえただけでもありがたいと思って欲しいものだ。
俺からの返事に何か不満があったのだとしても、テメーのほうから勝手に送ってきた勧誘なんだから、いちいち俺に電話なんかしてこずに勝手に独りでキレてろよ。どんだけ俺にかまって欲しいんだか。勝手に期待をされたうえで勝手にガッカリされても、俺からすれば「知らんがな」としか言いようがない。
他人が自分の期待した通りに動いてくれなかった、期待した通りの反応をもらえなかったからといって、その人に対して攻撃的な態度をとっているようでは、精神が未熟な子供と同じだ。駄々をこねてる子供と同じ。要は、あのオジサンは俺に依存し過ぎなのだ。自分の幸せを他人に依存するな。
それに、他人に期待をしても、期待されている側の人にプレッシャーを与えてしまうし、期待を裏切られた時にガッカリするのは自分である。だから、その電話中に「他人に期待はしないほうがいいですよ」ということを伝えておいた。
すると、彼は口では「ノリキヨさんには何も期待はしていなかった、自分はただ誘っただけだ」というようなことを言ってはいたが、実際のところは俺に対してかなり期待・執着をして、断られたことに対して腹を立てていることが明確に伝わってきた。そうでなければ、彼が不機嫌になる理由がない。「ノリキヨが誘いに応じてくれないからノリキヨに対して腹が立った、だから腹いせにノリキヨのことを批難したい、裁きたい、攻撃したい」という深層心理が透けて見えていた。
言葉遣いも乱暴で「お前」呼ばわりまでしてきた。いったい何様?
いつもそんなふうに、言い易いそうな人にだけエラそうな態度をとってるのか?
その「お前」呼ばわりが非常に不快だったため、そういった言葉遣いをやめるよう注意をすると、「鳶の世界ではこんなの当たり前だ!そんな些細なことを気にしてるからダメなんだ!」などと、狭い世界での勝手な常識を持ち出してきて自己正当化していた。無茶苦茶である。
そこで「じゃあ、あなたは私からお前って呼ばれてもいいんですか?」と聞いてみると、彼は「・・・・・」としばし無言になった。彼は私のことを「お前」呼ばわりしておきながら、逆に私から「お前」呼ばわりされることには何か思うところがあったようである。舐めてんのか?
おまけに、電話中にいきなり何の脈絡もなく、やたらとエラそうに謎のマウンティング発言を繰り返してきた。
例えば、私は以前、彼に対して「かつて5年間ほどITエンジニアをしていたことがある」と過去の経歴について語っていたことがあるのだが、そのことに言及しながら「うちにはノリキヨよりも凄いITエンジニアなんてたくさんいる。アプリなんて皆作ることができる!」などと言われた。だが、なぜいきなりそんな発言をしてきたのかが謎過ぎる。
それを言われたところで、俺からすれば「はぁ、そうですか。それは良かったですねー」としか言いようがない。俺に対してそういう発言をすることで、俺から自信を奪いたいのだろうか?心理的に優位に立ちたいのだろうか?ちなみに、よくよく話を聞いてみると、自慢げに語っていたその「うちのエンジニア」とやらは自社の社員というわけではなく、外部委託の人たちらしい…。
更にその後も自慢げに、「俺から言わせれば、ノリキヨさんなんて人生経験の浅いひよっこだ!俺はこれまでに大変な思いをしてきた。君は死ぬほど大変な経験をしたことなんてないだろう!?」などと勝手な決めつけや不幸自慢をしてこられた。そういった発言をしてきた趣旨も意味不明である。私はそのオッサンに対して自分の過去の人生経験について喋ったことはほとんどなかったのだが、それにも関わらず、いったい何を根拠にそういった決めつけをしてきたのかも謎過ぎた。
俺だって、これまでに死ぬほど辛くて大変な経験ならば、いくらでもしてきている。それも、1冊本が書けそうなくらいに。だが、そんなことは人に対してエラそうにベラベラ喋るようなことじゃないだろう。辛すぎて人に語りたくないことだってある。マウンティング大会がやりたいのなら、勝手に独りでやっててくれ。
死ぬほど辛くて大変な経験をしていたとしても、重要なことはそういった経験そのものではなく、そういった経験を通して「今現在の自分がどんな人間になっているか」ということだろう。辛くて大変な経験そのものを自慢げに語ってマウントをとろうとしている人は本質からズレているし、そんなことは語られたところで「はぁ?だから何なんだよ!?」としか言いようがない。私より20歳以上も高齢のいい年こいたオッサンがそんなことも分かっていなかったようであり、驚き呆れる。
俺が諸事情あって前職を3ヶ月で退職したことも非難してきたが、人にはぞれぞれに複雑な事情や人生ルートがあるのだから、そんなことは他人がとやかく言うようなことではない。人の人生にずけずけと土足で踏み込んできてんじゃねーよ!
ていうか、俺が前職を退職したことを知るやいなや嬉々として勧誘の触手を伸ばしてきたくせに、俺に断られるとすぐに手のひらを返して退職したことを責めたててくるとは、言動が矛盾しているにもほどがある。
まぁそんな感じで、とにかくあらゆることをネタに俺のことを責め立てたくて仕方ない様子で、電話越しに終始ネガティブな念を感じたし、話も下手だから会話が色んな方向にフラフラと移り変わって支離滅裂で、結局何が言いたいのかが全然分からなかった。要は、俺に勧誘を断られたことの腹いせに、俺のことを責めたいだけだったのだろう。
私の不安感や無力感を煽ることで心理的に優位に立ち、自分の主張を押し通し、更には私のことを自分の意図通りにコントロールしようとしていたのかもしれない。まんまブラック企業経営者やカルト教団の教祖のような手口である。もっとも、彼本人はそういったご自身の深層心理には無自覚だったのだろうが…。
そういった彼の一連の言動からは、人生における不満感や自信のなさが透けて見えていた。自信がないからこそ彼の頭の中で色々な被害妄想が膨らんでいたのだろうし、自信がないからこそマウンティング発言を連発しては虚勢を張っていたのだろうし、自信がないからこそ他人から自信を奪おうとしていたのだろう。
あと、彼は神社でキチンと礼儀正しくお辞儀をしていない人たちに対してずいぶん攻撃的な視線を向けていることも気になった。「あのような礼儀正しくない輩は死ね!って思うよ。俺が(礼儀を)教えてやろうかな」などと発言していた。礼儀正しくない人たちを正そうとするのは結構なことだが、そういった人たちを見下しては優越感に浸っているようにも感じられた。そもそも、「教えてやる」という言い方が上から目線である。神様は彼のそういった言動を見て、どのように思っておられるのだろうか。
神社の神様の前で礼儀正しくふるまうことに越したことはないし、自分だって神社を訪れる人たち皆がそのようにして欲しいとは思っている。だからといって、礼儀正しくない人たちに対して正義ヅラをして攻撃的過ぎるのもどうかと思う。そのような人たちにずっと腹を立てていても、結局自分が疲れるだけだろう。もう少し心穏やかになってはどうかと思う。
いくら神社の神様の前でだけ礼儀正しくふるまっていても、実際にこの世で関わる人間に対して不遜な態度をとっているようでは、神社に参拝している意味がないだろう。
挙げ句の果てには、スピリチュアルに酔っており、独りよがりで自己満足の世界観に入り浸っている。例えば、神社で会った時には全く恥ずかしげもなく「今日は神社の神様に呼ばれてきました」とか「空に時空の裂け目が見えた」とか「かつての愛犬が飛行機になって姿を表してくれた」とか「私は直感が鋭いんだ」などと言っていた。他にも、彼のそういった発言は挙げていけばキリがない。おそらく彼は、自信がないからこそスピリチュアルに陶酔し、「自分は神様に選ばれし特別な者」であり「自分には特殊な能力が備わっている」とでも思い込みたいのだろう。スピリチュアルに依存している者のなかには、こういった選民意識を抱えた状態になっている人はよくいるものだ。
まぁそういった目に見えない世界のことを信じるのは自由だし、それで誰にも迷惑をかけないのであれば、そうしていればいいと思う。決してスピリチュアルを信じること自体が悪いわけではないし、スピリチュアル的な考えを上手く活用すれば人生を豊かにしていくことだってできると思う。私だって、目には見えないが神仏は確かに存在していると思うし、神仏は常に温かい心で我々を見守ってくださっていると信じている。
だが、このオッサンのように、世の中の物事に対して何でもかんでもスピリチュアルと紐付けた恣意的な解釈ばかりして自己正当化をしたり、自分のことを神様に従順な人格者だと思い込んでは他人に対して上から目線・マウンティング気質な言動をとったりするのはお控え頂きたいものだ。
ここからは俺の推測になるが、ハッキリ言って、あのような地に足がついていないうえコミュニケーション能力に難のある人が堅実に会社を経営できているとは思えない。会社の経営者なら、顧客折衝や部下との信頼関係構築などが必須であるはずだ。あのような人にそういったことができているとは、とても思えない。
どれだけの規模の会社を経営しているのかは知らないが、雇った社員やバイトに対してもあのような態度をとっているようじゃ、人も次々と辞めていることだろう。だからこそ、人手不足に陥って、俺にも勧誘の連絡をしてきたという可能性もある。
ていうか、今回のように雇用関係でも何でもない私に勧誘を断わられたくらいでゴチャゴチャと文句を言っていたということは、ましてや雇用関係になった後に退職でも申し出ようものなら、ありとあらゆる人格否定を以てギャーギャーまくし立ててくるであろうことが容易に想像できる。
そして、何よりもおぞましいと感じたのは、普段神社の境内で神様に対して礼儀正しくふるまい、信心深く拝んでいる(ように見えた)人間が、そういった言動をしてきたことである。もっと良識ある人かと思っていたが、結局は「自分のことを凄いと思ってもらいたい、他者を自分の思い通りにコントロールしたい」という、エゴの塊みたいな人だったようだ。
あのような人間が神社の神様の前でだけは良識人ぶって正義ヅラをしていたと思うと、吐き気すら感じた。神社やスピリチュアルに帰依するのはけっこうだが、神様に相対している時と同様に、目の前にいる人間に対してもっと敬意や思いやりをもって接するようにしてもらいたいものだ。
そんなこんなで、あの人との電話にずいぶん疲れた。本来、俺にはあのようなオッサンの不快な長電話を相手にする義務も義理もなかった。だが、これまで1年以上にわたって仲良くしていたこともあり、一時の感情でこのような形で関係が破綻するのもなんとも残念なことだと思い、なんとか心穏やかになってくれないものかとじっくり対話を試みようとしていた。が、どうもムダだったようだ。マトモに話ができるような相手ではなかった。
こんなことなら、マトモに相手をせず、さっさと電話を切ってやれば良かった。ていうか、あんな何が言いたいのか分からないグダグダな長電話につきあってくれる人間なんて俺くらいしかいないだろうから、そういう意味でも俺に感謝して欲しいものだ。人の善意に甘え過ぎなんだよ!
あと、先にも書いたように、彼は俺から勧誘を断わられたことに関してネガティブな想像(すなわち被害妄想)ばかりしており、そういった疑念を基に俺のことを批難してきていた。だから、俺から言わせれば、彼が自ら俺との関係性を破壊し、俺という貴重な友人を失ったように見えた。すなわち、彼が勝手に自滅していったような感じだった。
現に、俺はその電話がかかってくるまでは、彼のことはべつに悪くは思っていなかったのだから。普段からあらゆることをスピリチュアルに結び付けて解釈するクセが強く、フワフワして地に足のついていない感じがして、見ていて少し心配になるくらい「危なっかしいな」とは感じていた。ただ、それも彼が純粋であるがゆえなのだろうと思って、特に否定したりはせず、適度に話を合わせつつ笑いながらそういった話を聞いていた。それゆえに、今回いきなり豹変して、電話であのように攻撃的且つ自分勝手な言動をされたものだから、もう本当にビックリした。あのような人間だったのであれば、勧誘に応じなくて本当に良かった。
まぁ、あのようなズレているオッサンに自分のことをどう思われようがべつにかまわないのだが、その代わり、もう関わってこないでくれ。俺の心身の健康に悪影響だから近づいてきて欲しくないし、関わりたくない。ていうか、もはや身の危険すら感じた。あのように勝手な思い込みが激しいうえに話の通じない人間は、いつ何がキッカケで何をしてくるか分かったものじゃない。
後日、母にもこの話をすると、「そんな危ない人とはすぐに縁をきりなさい!今後一切関わらないようにしなさい!」と強く言われた。まぁ、そりゃそうなりますわな(笑)
とはいえ、もうほとんど関わることはなかろう。なぜなら、これからは彼が神社に参拝に訪れる15時~16時の時間帯に参拝することは避けるようにするからだ。俺が神社に参拝に行った時に、境内の駐車場をのぞいてみて、もし彼の車があればその日は参拝の時間帯を改める。俺が参拝中に後から彼が来た場合は、目を合わさないようにして境内を速やかに立ち去る。しつこく話しかけてきたり、つきまとってくる場合などには、わざと寡黙になり「話のつまらない人」を演じることにする。あのオッサンも、会話していてつまらない人とはあまり話をしたいとは思わないだろう。勿論こちらからLINEのメッセージを送ることはないし、あちらからの電話もメッセージも全て無視する。
それにしても、神社での貴重な参拝友達だと思っていただけに、あのように攻撃的な言動をしてくる人だったとは残念だ。なんとか、もっと心穏やかになって欲しいものだが。あれが素の人格というわけではなく、酒でも飲んで酔っ払っていただけであって欲しいものだ。いずれにせよ、今回のようなご自身の言動を深く反省して、悔い改めてくれることを祈っている。
だが、今回の件で、自分の幸せを他者に依存することが、どれだけ他者を不快にさせるのかが良く分かった。あのオッサンのそういうところは、反面教師としよう。そういう意味では、あのオッサンに感謝である。
今回のオッサンのように、自分の幸せを他人に依存し、勝手に期待をして、その人が自分の期待通りに動いてくれなければ腹を立ててしまう。人間ならば、誰にだって、心のなかにそういった見苦しい側面は少なからずあったりする。そういった心を完全になくすことは難しくとも、極力小さくして生きていきたいものである。
それに、今回の件は自分が今後執筆する小説の良いネタにもなった。とにかく、今回の件で被った被害よりも、学べたことに目を向けよう。何事もプラス思考が大事である。
そして、極論を言えば、これも全ては自分の心が引き寄せたことなのだろう。心当たりはある。もう、あのような人物や体験を引き寄せないように、今後は心を改めて生きていこう。この世の全ては自分の心が映し出された鏡のようなものなのだから、俺が変われば、自ずと自分が関わる人たちも変わるだろう。