「3.11」

最近のことのように思えるけれど 

もう10年経つのですね。

 

14時46分、通年は社内放送があって

社員は黙祷するのですが

今日はテレワークだったので

NHKの番組を見ながら黙祷しました。

 

身内の方を亡くされた現地の方のお話を聞くと

本当に胸がつまります。

 

 

10年前のその時・・・

 

私はいつものように職場にいて

ミーティングをしていました。

 

尋常じゃない大きい地震で

窓がキシキシ気持ち悪い音をたてて

フロアもしばらく フラフラ揺れていたような・・・

 

机に潜ることもせず茫然としたまま

しばらくすると 

みんな仕事に戻っていたように思います。

 

でも窓の外を見ると煙が立ち上って 

ただならぬ雰囲気。

(1枚だけ職場から写した写真が残ってました。)

 

その後、電車が動かないとか 

コンビニが空になっているとか

情報が少しずつ入ってきて 

次第にざわついた雰囲気に。

 

会社での宿泊に備えて

部署から代表が備蓄品を取りに派遣されたり、

(当時、30階ぐらいの建物だったので

高層階の部署は地下までの往復でひどい目に)

早々に帰宅する人などで職場も騒然としてきました。

 

そんな中、会社から家までGoogle mapで

徒歩6時間と確認した私は

歩いて帰ろうと思い立ったのでした。

 

確か翌日、友人と約束があって

早く家に帰りたかったのと

 

当時は登山に夢中でほぼ毎週、登っていて

歩くのには自信があったので


「平地の6時間なんて楽勝~。

5時間ぐらいで着いちゃうかも。」

って軽い気持ちでした。

 

同僚にも「なんかウキウキと出て行ってたよ」、

と後に言われました。

 

本当になんてバカだったんだろう・・・いろんな意味で・・・。

 

 

張り切って出発した私ですが、

街は大変なことになっていました。

車道は車で大渋滞。全く動く気配がなく

歩道も帰宅しようとする人で溢れかえってました。

 

携帯も全く繋がらなくて 

コンビニの公衆電話には長蛇の列。

 

ようやく非常事態なんだと目が覚めた私ですが

もう戻ることもできず 

流れに乗ってトボトボと難民のように歩くだけ。

 

誤算だったのは

アスファルトに革靴は山で歩くのと

比べものにならないぐらい

足への負担が大きいこと。

 

2時間ぐらい歩いたところで 

足が痛くて痛くて・・・。

 

そして この日も夜は冷え込んでいたのですが

温かい物を買うこともできず、 

 

すっかり惨めな気持ちで

会社からアルファ米にお湯入れて持ってきたものを

道端に座って食べました。

 

途中、中学校を開放して休憩させてくれたのは 

ありがたかったなぁ。

 

ご飯食べると 少し元気が出て

後半は人も少なくなった道を

ゾンビのように歩き続けました。

 

夜中1時も過ぎたころ (出発して8時間以上)、

仕事もあって 会社で様子を見ていた夫から

「電車が動いたので 先に家に着いた」と連絡が・・・。

 

それを聞いた途端、疲れがどっと出て

1歩も歩けなくなり 

家から30分の地点で座り込んだ私は

車で回収されたのでした。

 

完歩ならず。

 

 

 

でも・・・ 現実はそれどころでなかったわけで

 

家に着いてからニュースで見た津波の画は

衝撃で壮絶すぎて現実のこととは思えず

ただ茫然としていまいました。

 

 

そして 情報を知らなかったとはいえ

少しでも浮かれた気分だった自分に

本当に腹がたったし、

反省しました。

 

 

=============================

 

それでも その後、しばらくはその時の体験を元に

会社に運動靴を置いていたり、

簡易的な防災グッズ一式を持ち歩いていたりしたのに

 

今はすっかり気も緩んでしまいました・・・。

 

今日、いろいろな番組で当時の映像見ながら

当時のことを思い出しましたが

また気持ちを引き締めないといけないですね。

 

まだまだ被災地の苦しみは続いている、

いつも思い続けるのは難しいけれど

一年にひと時でも思い返すのは必要だなと思いました。

 

今日一日は静かに

偲びたいと思います。