norihideのつぶやき

norihideのつぶやき

デジタルや透明水彩での絵を描いた
りアニメーションを制作する仕事を
しています。

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その日を栄に夜寝床についてもなかなか眠ることができずアイマスクを付けてみたりとかiPodTouchに落語を入れて聞いてみたりとか色々工夫をしましたがこれといった効果なく睡眠時間はだんだん減ってきました。
ちなみに落語は面白かったです。それがきっかけで新宿にある末廣亭に一度行って生の落語を初めて聞きました。

睡眠に神経質になりながらもなかなかその問題に上手く作用する方法は見つかりませんでした。

そいう中で仕事の見通しも思うように立たず同時に妻との関係も少しづつ音をたてながら崩れて行くのも感じていました。

そしてある日とうとう妻の方から「別れたい」と離婚話を切り出されます。
私は「あぁ、とうとう来たかぁ」という感じでその時、自分の中で何かが壊れて行くのを感じました。

何度も妻に離婚するという考えを変えてもらえないかと話をしましたが彼女の気持ちを変えることは難しくとりあえず妻は実家に帰り別居する事になりました。

その頃からなんとなく自分自身が前は何事もやる気が出ていたり楽しめていた事が殆ど無くなった変化に気がつき一度友人に頼んで心療内科を紹介してもらいました。

紹介されたクリニックに行って先生と色々お話をして僕は「鬱病にかかっていますか」と尋ねたら「今あなたは、普通の状態と鬱病の間にいます」と言われました。

軽めの精神安定剤を処方してもらいしばらく通いましたがある日、私の担当の医師が体調の問題で長期休暇を取るとのことで違う医師に見てもらう事になりましたがこの医師と出会ってしまった事で私の人生がおおきくかわってしまうことになってしまいました。

何度かその医師の診断を受けていたのですがあまり良い感じの方でなく診断を受けるたびに自分の状態が悪くなっているのを感じました。

そしてある日、その医師が診断室に入って来て私の顔を見るなり「なんだ暗いしけたツラをしているな」といわれ私はその言葉に驚きながら「そんなに暗い顔をしていますか?」と尋ねたら「トイレに行って自分のツラを見こいよ」その言葉に愕然としている私に「もっとスカッとする薬でも出してやろうか」と言われました。

私はその医師の言葉にひどく傷つき今までどうに保っていた気持ちも音を立てて崩れて行くのを感じました。

その日を境にそのクリニックに行くのはやめましたが私の状態は急激に悪化して行きました。

どうしたら仕事のこと家庭のことが良い方向へ行かせることができるのか毎日、毎日、自分を追い込むように考え続けました。

しかし、2人の関係は修復することはできなく離婚が決まりました。とても、とても悲しかったですがどうにもなりませんでした。

離婚届を2人で出しに行っって2人だけの最後の食事をして別れました。
私はそのまま隅田川沿いを歩きまわりを辺りを見て誰もいない事を確認してから社会に出てからはじめて大きな声を出しながら役30分程、歩きながら泣き続けました。

その後、来る日も来る日も現状を変えるために頑張って、頑張る毎日を送りました。

その結果、ある日、普通にパソコンを使っていたのにマウスを動かす手が動かなくなり何故か考えても、考えても分からずそれを機会に身体への異常が現れて来ました。

まず、朝起きると必ずトイレで吐くようになり食欲も落ちて数日後には血が混ざった状態で吐く毎日になりました。

次に起こったのは歩いていないと足の震えが止まらなくなり部屋の中をずっと歩き続け疲れ果てて寝るという状態が続きました。

朝起きてからの吐き気、足の震えが止まらないことへの恐怖心からお酒を飲むと震えが止まるので仕事の打ち合わせがない日は昼間から強目のお酒を飲む日が続きました。

しかし、このままこんな事を続けていると自分はアル中になってしまうと思いお酒に頼るのをやめ、再び疲れるまで部屋の中を歩き続けました。

仕事のことは、頑張った成果が現れいくつか決まり中でも自分が一番やりたかったFlashでのアニメーションの臨時の講師が決まってこれから頑張ればまた忙しくなると思い久しぶりにやる気が出ていました。

しかし、足の震えや朝の吐き気は、続いていました。
そして、たまたま荷物の整理に来ていた元妻に相談すると早急に病院を探してくれて後日その病院へ付き添ってくれる事になりました。

その後、元妻と病院へ行き、足の震えを止める薬を打ってもらいました。
そするとすぐに足の震えが止まり元の普通の状態になったので病院の帰りに元妻と食事をして別れました。


これでまた頑張れると思ったのですが3日たつとまた、足の震えが出て今度は自分1人で病院へ行きまた、注射を打って震えを止めてもらいました。

そして、2日たつとまた足の震えが出て来て今度はチック症も出て来ました。
再度病院へ行くと足の震えとかチック症が起こるの原因は精神的なものから起きていると診断されそこで極度の鬱病と言われました。

そして元妻が二度目の荷物整理にきたときに病院からの診断を告げると「もう私のできることの範囲を超えているので田舎のお兄さんに相談しましょう」と言われ兄と連絡を取りました。

私のその時の状態を元妻から電話で兄に連絡をとってくれ説明してくれました。
その後、私も兄と話し兄が東京にきてくれる事になりました。

その日から2日後に兄は東京に来てくれ私の状態と見て「一度田舎に帰り治療に専念しよう」と言いました。
私自身も、今の状態では選択の余地がないと思い、田舎に帰る事を決めました。

東京では決まっていた仕事先へのキャンセルのお詫びやマンションの売却の手続きなどをするため数日東京に残りました。

兄が田舎へ帰る飛行機の切符を送ってくれてとうとう東京を離れる日が来ました。私は元妻と暮らしたマンションの各部屋に「さよなら」と声をかけて飛行場へ向かいました。

飛行場には元妻が見送りに来てくれました。
私は、結果的に離婚する事になりましたが元妻には、今でもとても感謝をしています。

飛行機で田舎についた飛行場では兄が迎えに来てくれていました。
そこから実家へ車で長距離の兄とのドライブをしました。

その間、私は、苦しみからは解放されましたが自分の人生が全て終わった感じがしてただ、ただ、車を運転する兄の横で泣き続けました。

車で実家へ向かう間、兄はすごく私に対して気配りをしてくれました。途中での食事も体に栄養のいいもので美味しいものを勧めてくれました。

とてもありがたい事でしたが病気のため食欲がなく食べることがほとんど出来ませんでした。
でも、兄にはとても感謝しています。

実家について2日間ほど兄は一緒にいてくれてそして兄は自分の暮らす街へ帰って行きました。

これから実家でゆっくり暮らしながら自分の病気と向かい合いながら過ごすのかと思っていましたがその考えは父に打ち砕かれました。

母親は、なんとか私の病気を理解しようと色々と尽くしてくれましたが父親からは「なんだ、こんなポンコツになって戻って来やがって」と言われ私の病気に、理解しようとする気持ちは一切なかったです。

妹は、私の病気を治療するクリニックを探してくれたり色々気を使ってくれたり何よりも私が田舎に戻って来ていつでも会える事を喜んでくれました。

田舎でぼんやりと、ただ、ただ、「もうこれで自分の人生は終わったなぁ」と思いながら病院と自分の部屋にある布団と1人で摂る食事のテーブルが私の居場所でほとんど自分の部屋に居ることが多かったです。

そんな日々を送りながら過ごして約1年半ぐらい経ってからでしょうか妹がまた私がまたパソコンへ向かうことが出来るようになった時の為にインターネットにつながるようにセッティングをしてくれていたパソコンに向かってネットをやる気になったのでした。

普通に手が動かなくなることも吐き気がすることもなく再びネットをするようになっていました。

気が向けば実家で飼って居る犬を散歩に連れいつの日からかわかりませんが気がつけばそれが日課になっていました。

日々、少しづつですがもう改善することがないと諦めていた病気がゆっくりですが良い方向へ向かって行きました。

とても気の強い犬でしたがある日私向かって来たので対決して私が勝ってからほぼおとなしく散歩をするようになりました。

この犬とも色々思い出がありますが中でも両目が見えなくなる病気、緑内障にかかった時にはショックでした。
病院へ連れて行きましたが改善することはなかったです。

その日から犬と散歩をするときは、障害物にぶつからないようにロープを短めに持つようにしました。

目は見えなくなっても元気に散歩したり、食欲も旺盛だったのが何よりも救いでした。

私の病気も奇跡的に薬は手放すことは出来ませんでしたが良い方向へ行き田舎暮らしもゆっくりと過ごし父との対立以外は順調に行っていました。

田舎にいてある日、ビックリがすることがありました。半分放置していた私のwebサイトを見てメンズ雑誌に掲載するイラストの仕事の依頼があったのです。
奇跡です。

もう田舎に住んでいたのに東京からまたそういう話が来ると思わなかっです。
早々に出版社の方に連絡を取り現在、田舎に住んで居る自分で問題ないかを確認しました。

先方からは問題なしと言われギャラも自分の考えて近かったので受ける事にしました。後は、自分の病気と向き合って先方に迷惑をかける事なく仕事を進めることです。

凄くドキドキしたし、ここでこの仕事を落としたら本当にイラストレーターとしてやることは、終わってしまいますが逆に考えればこれはチャンスだと考えるようにしました。

久しぶりの仕事なのでけっこう試行錯誤しましたがなんとか無事に締め切り前に先方にイラストを渡すことができました。

この仕事が私にとって一歩前に出た感触がふわっと出て来ました。でも、それは、それは、小さな一歩です。

それから2年間の間に来た仕事はごくわずかでした。
僕の中でもう一度、東京でイラストレーターとして活動したいという気持ちが強くなっていました。

しかし、問題は、山ほどありました。まずは、母や妹や兄をどう説得するか、仮に承諾してもらっても人がたくさん居る中でストレスが溜まりまた、病気が発症する可能性もあります。

何日も、何日も、考えて一つの決心が決まりました。
とある大規模な場所でクリエイターと出版業会との交渉会が東京で開催される事になったのでそれに申し込み東京に出て病気が発症またはストレスを感じなければそこでもう一度考えようと思いました。

1人で展示する作品を作りそれを直接当時の展覧会を行う会場に送る手はずをとりました。そして不安を抱えながら東京へ出発しました。

約4年ぶりの東京は飛行場に着いてもストレスを感じる事なく「あぁ、帰って来たんだなぁ」という感じでした。

大規模な展示会で多くの人混みの中でもストレスを感じることもなく逆に、友人や仲間に再び会えたり営業したりとても充実していました。

そして兄に自分の考えを言ってみました。兄の考えは出来ることならこのまま北海道に残ることを進めるけれどどうしても、東京にもう一度戻りたいなら一つ約束をしてもらいたいと言われました。

それはまた、病気の状態が悪くなり再発してどうにもならなくなったら無理をしないで必ず田舎に戻るということでした。

私はその条件を兄と母に約束をしました。

まずは東京へ出発するまでにしなければならない事を箇条書きしてみました。
1、出発日。
2、なるべく少ない荷物にして荷物を送る準備をする。
3、住むアパートが決まるまで10間ほど泊まれる場所を探す。

ざっくりとしたスケジュールで後々、困ったことがありました。

まず、荷物を入れるダンボールを近所のスーパーからもらい必要最低限のものをチョイスしてまとめました。だいたいダンボール5個ほどでまとまりました。

後は、母と、妹に頼み引っ越し先が決まったら荷物をクロネコヤマトで送ってもらう事にしました。

引っ越し先が決まるまで泊まる格安のビジネスホテルも友人のアドバイスで決まりとても助かりました。

東京までの飛行機も昔じゃ考えられないくらいのこれも格安のチケットを購入できました。ちなみに航空会社はまたジェットスターです。

まずは、問題なく東京に着き、格安のビジネスホテルで必要な手続きを済ませました。一休みした後、軽く食事を済ませ東京で住むための物件探しを始めました。

しかし、ここで現実の壁にあたります。仕事を暫く休んでいた僕にはなかなかアパートを借りることは難しかったのです。

しかも、今思えばたった10日間で住むところが決まると言う僕の安易な感が招いたものでした。

焦れば焦るほど決まりませんでした。仕方がなく同じイラストレーターの友達を通じて本来、自分の住みたかった場所とは程遠い街に9割がた決めていました。

そんなことを他の友達に話をしたら「私たちのような独身の人がそんなさみしいところで暮らすのは良くないですよ。私がネットで物件を探してあげます」と言われわずか数分で住みたかった場所での物件を探してくれてました。

そこまでしてもらったら後は、自分で頑張るしかないです。数件当たってやはりなかなか決まりませんでしたが何となく見たい物件があったのでメッセージを出したらその不動屋さんから直ぐに返事が来て会う日を決めました。

不動産屋に行って物件をいくつか見せてもらいどれにしようか迷っていると担当の人が「賃貸のアパートは賃貸用に作られていますよ」アドバイスをしてもらいお風呂とトイレが別れているお手頃なものに決めました。

後は、契約してもらえるかどうかです。ここで私は、変に隠し事をしないで仕事はこれから見つけることをを正直に話をしました。

すると担当の若い人が「仕事が先か、住むところが先かといえばやはり住むところが先ですよね」と言ってくれ大家さんも承諾してくれて保証人は兄になってもらいなんとか借りる事ができました。

東京に戻って来てわずか10日間、今考えると無謀な計画でよく決まったなぁと思っています。物件を仕事中にもかかわらず探してくれた友達、不動屋さんのお兄さん、保証人になってくれた兄に感謝をしています。

現在も私は東京のあるクリニックに月一で通いながら再びイラストレーターとして活動できるよう頑張っています。

現在、鬱病というなかなか人には、理解してもらう事が難しい病気を抱えているている私と繋がってくれている皆さんには本当に感謝をしています。
ありがとうございます。