先週末、東京に行ってまして
朝、銀座のbillsで朝食。
福岡との違いを体感したかったのと
私は窓が多くて開放的なカフェが
大好きなので、朝早くから
開いてるbillsを選んでみました!
11:00チェックアウトだから
子供のいない週末くらい
ゆーっくりすることもできたけど
昨日のセミナーのアウトプットを
したかったから8:30 openは
かなり好都合だった!
“東京=並ぶ”イメージが
あったので8:30より前には
到着してエレベーター降りたら
びっっくり。
『ここ、日本よね?』
billsのコンセプトとして
海外ぽい雰囲気の内装とかも
あるんだけれど
なにより見るからに
ほぼ日本人がいない。
15分ほど待って席に
案内されるとき、
店員さん曰く
『5組くらいしか日本人
いません。最近はずっと
こんな感じです😆』
とのこと。
とても爽やかに言ってましたが
120席近くある店内が
ほぼ満席の中、
5組しか日本人が
いないだと?!
と、福岡billsと
空気感が違くてビックリ。
アウトプットしようと思って
テキストなど持って
来たわけですが
それより空気を
味わいたくなりました😂
店内は様々な言語が
賑やかに飛び交い、
子連れも多く
赤ちゃんがソファに立ったり
飛んだり跳ねたり、
大泣きしてたり・・
でも
別に誰も気にしてる
様子なくて。
それぞれが、
それぞれの時間を
それぞれ楽しんでいる模様。
少なくとも、私が目視した
範囲では子連れを
睨みつける人なんて
いなくて
自分達の時間を
楽しんでいたんですよ。
そんな光景を見て
シンプルに・・・
これこれ!!
良いわあぁ〜〜〜🥹🤍
と朝からじわじわ喜びに
心が震えました。笑
たくさんの言葉が飛び交い
たくさんの価値観が入り混じり
たくさんの常識が同じ空間に
存在している時間。
まるで、世界なわけです。笑
肘をテーブルについて
反対の手のナイフで
リコッタパンケーキを
ぶつ切りしながら
食べてる人もいるし
帽子被ったまま
コーヒー飲んでる人もいるし
ソファに立つ2歳くらいの子の
腰を片手でホールドして
子供は立たせたまま食事してる
人もいる。
きっと
日本人的マナーで言うと
テーブルに肘はつかずに
両手にナイフとフォークを持って
上品にリコッタパンケーキを
切ることがいいだろうし
食事の時間や屋内では
帽子を脱いだ方が
いいだろうし
座るためのソファに
いくら赤ちゃんといえど
子供を立たせるなんて
言語道断
かもしれない。
ここで言いたいのは、
決して
マナー違反を
許して良いじゃん!
とか、
推したいのではなく
その側面だけ見ても
私たちは何も知らない
ということ。
そして
「正解」にとらわれた
生き方は生きづらい
と改めて感じたことです。
極論、
全員『間違ってるかも』
と思っていれば
世の中に愛が溢れると思う。
別に私は
マナー講師でもないし
留学経験はあるけど
世界各国に永住してるわけ
でもないから
世界各国のマナーとか
ルールのことを
当然、全部は知らない。
子育ての認識や
街での子供に対する
態度の違いも
海外では「子供に優しいな〜」
と感じることは多いけど
海外=全員が子供に
優しいわけもないし
日本と同じように
犯罪もある事もわかる。
SNSだと
「子連れ様」に厳しい
”子育てしにくい国NIPPON”
みたいになってるけど
別に現実世界では
子供に優しい人とも
たくさん出会う。
体型や見た目に対して
日本にいる時ほど
人目が気になったりしなくて
留学中は気持ちが
超楽だったんだけど
世界からルッキズムや
差別がなくなってない事も
理解する。
こんな感じで
マナーでも
子育てでも
子連れでのお出かけでも
体型でも
ファッションでも
なんでも全部知らないのに
”絶対に
間違ってない「正解」”
ってなんなの?
って最近思うんですよね。
例えば、味噌一つとっても
九州の味噌と
東北の味噌も違う。
どっちが正解?
その味噌を使った
味噌汁の味だって
いりこ出汁から作るか
あご出汁で作るかで
味も全然違う。
どっちが正解?
あご出汁の
九州の味噌だとしても
(九州の県も違うし)
わかめと豆腐の味噌汁か
大根人参きのこ豚肉の豚汁かで
全然「家庭の味」も
違うじゃないですか。
どれが正解?
きっとそれが家庭の味なら
その味噌汁が”正解”と
思って育ちますよね。
まあ味噌汁くらいなら
インスタント味噌汁も
たくさん存在してるので
そんなに「正解」に
とらわれないと思うけど
マナー、子育て、
子連れでのお出かけ、
体型、ファッション。
今の時代、
大人の振る舞いの
「正解」を過剰に決めよう
とする傾向にある
感じがかなりしてて
SNS見てると疲れる時が
ありませんか?
でも実際は
国も違う、地域も違う、
家庭も違う、親も違う。
日本でもそう。
エリアも違う、都道府県も違う、
地域も違う、家庭も違う、
親も違う。
「家庭」とか「親」って
一括りにしても
親の親も違う、
親の親の性格も違う、
夫婦同士の気質も違う、
夫婦の仕事も違う、
マンションか戸建も違う、
兄弟の有無も違う。
・・・こうやってすべて
を考えていくと
(そもそもそれも不可能に近い)
むしろ私たち一人一人、
「違うことが当たり前」
じゃないですか?
同じことが怖いくらいに。笑
だからこそ、本来なら
「自分は間違ってるかもしれない」
と言える姿勢があることが
自然ですよね。
お味噌汁なら
「そういうお味噌汁もあるよね」
それ以上も、それ以下もない。
と言う感じで。なんなら
「へ〜こっちのお味噌汁も
美味しいじゃん!」
と言えたらお互いにとって
豊かだと思うわけです。
でもSNSの発信たち、
どうでしょう?
「普通はこう」
「常識的に考えたら」
「ちゃんとした大人なら」
「親なんだったら」
こう言ってる人たちが
めちゃくちゃ多くない?
私も少し前までは
いわゆる「常識人」だったから
わかるんだけど
ここにとらわれてると
非常に生きづらいんですよね、
世の中に敵が多くて。
こう言う人たちって
自分の中のバケツに
「正解」が溢れていて
「正解」を持ってる自分に
「安心感」があるわけです。
「うん!私は正しい人間だぞ」
「そう!私はなんて常識的で賢いんだ」
「本当に真面目な私!」
のように。だから
自分と同じような
「正解」意見を持つ人は
受け入れやすかったり
”味方がいる”とわかった
安心感によって
「普通はそうよね!」と
発言に勢いがつくけど
自分と違う意見を持つ人を
見つけた際には
敵にしか思えない上に
自分の正しさや正義感に背くから
「こんな意見が世の中に
蔓延ったら危険すぎる!!!」と
ここぞとばかりに
批判し、排除したがり
「安全」を脅かされる敵が
怖いから、受け付けたく
ないんですよね。
でも、覚えておきたいのは
そういう場合
相手にも
自分と同じように
”「正解」があること”
なんてとっくに
忘れてます。
だから、心豊かに
生きるためには
もれなく私たちは
全てを知らないし
それぞれが思う
「正解」は自分が見たいように
見てる世界にしか過ぎない。
とわかった上で
人と関わるときには
「自分は間違ってるかもしれない」
と、恐怖や謙遜があるわけでもなく
自己犠牲をしてるわけでもなく
フラットに言えるスタンスが
”人格力”なんだなと感じました。
ここまで読んでそれでも
「郷に入れば、郷に従えでしょ」
とか、色々思い浮かぶ場合
「なんでそうやってモヤるん?私」
と1年くらいかけて
モヤポイント、考える機会が
あるといいよ。笑
この世界にたったの1つも
「当たり前」とか
「正解」って
実は、ないからね。
(交通ルールとか注射の仕方とかは
当然まったく別の話)
だからこそ、私たちは
「正解」にとらわれない
内面から育てていきたいですね😆
