昨日は祖母の一周忌でした。
そして今日は祖母の誕生日。89歳の誕生日だな。
「100歳まで生きてね!」と小学校のころは、祖母の誕生日に手紙を渡していました。
祖母が亡くなったのは、12日の23時28分。間もなく米寿を迎えるときでした。
「きっと、誕生日と命日が一緒は嫌だったのね。」と家族と話しました。
昨年の今頃は、病院で家族と、祖母の話をしていたころでしょう。葬儀屋さんに連絡して、祖母がお家に帰れるように手配しているのを、待っていました。
もう、一年経ったのか。
でも、祖母が亡くなった気がしない、というのも変かもしれないが、私を含めた家族全員が亡くなった直後も祖母の話をしていた。
悲しくて涙が出たけれど、祖母が悲しみを連れて行ったかのように、私たちは正気であった。
人が目の前で亡くなるという経験が初めてだった私にとって、なんとも不思議な感覚だった。
きっと、テレビのように、大泣きして、泣き崩れるのだと思っていたが、そうではなかった。
「あれも、これもやってあげればよかったと挙げれば、きりがない」と母は言う。「私たちには、祖母と過ごした”思い出”がある。それがあれば、大丈夫」
いまでも、祖母が使っていた部屋を”おばあちゃんの部屋”と呼び、祖母が使っていた椅子に母が座るようになっても”おばあちゃんの椅子”と呼んでいる。祖母が使っていたものたちには、そういう固有名詞がついている。亡くなったからといって、その存在が消えるわけではないのだ。
人の死とは、悲しいものだ。
この悲しみが、またいつかやってきてしまうと思うと、今回のように一年を過ごすことができるのか不安になる。
しかし、人生とは悲しみを乗り越えていかなければならないのだ。
年長者を敬えとは、その悲しみをいくつも乗り越えた人たちだからなのかな、と思った。
祖母を思うと、涙が出るが、今年も一年頑張ろう。
泣きながら書いたから、変な文章になっているかもしれないが、まあ仕方がない。
そして今日は祖母の誕生日。89歳の誕生日だな。
「100歳まで生きてね!」と小学校のころは、祖母の誕生日に手紙を渡していました。
祖母が亡くなったのは、12日の23時28分。間もなく米寿を迎えるときでした。
「きっと、誕生日と命日が一緒は嫌だったのね。」と家族と話しました。
昨年の今頃は、病院で家族と、祖母の話をしていたころでしょう。葬儀屋さんに連絡して、祖母がお家に帰れるように手配しているのを、待っていました。
もう、一年経ったのか。
でも、祖母が亡くなった気がしない、というのも変かもしれないが、私を含めた家族全員が亡くなった直後も祖母の話をしていた。
悲しくて涙が出たけれど、祖母が悲しみを連れて行ったかのように、私たちは正気であった。
人が目の前で亡くなるという経験が初めてだった私にとって、なんとも不思議な感覚だった。
きっと、テレビのように、大泣きして、泣き崩れるのだと思っていたが、そうではなかった。
「あれも、これもやってあげればよかったと挙げれば、きりがない」と母は言う。「私たちには、祖母と過ごした”思い出”がある。それがあれば、大丈夫」
いまでも、祖母が使っていた部屋を”おばあちゃんの部屋”と呼び、祖母が使っていた椅子に母が座るようになっても”おばあちゃんの椅子”と呼んでいる。祖母が使っていたものたちには、そういう固有名詞がついている。亡くなったからといって、その存在が消えるわけではないのだ。
人の死とは、悲しいものだ。
この悲しみが、またいつかやってきてしまうと思うと、今回のように一年を過ごすことができるのか不安になる。
しかし、人生とは悲しみを乗り越えていかなければならないのだ。
年長者を敬えとは、その悲しみをいくつも乗り越えた人たちだからなのかな、と思った。
祖母を思うと、涙が出るが、今年も一年頑張ろう。
泣きながら書いたから、変な文章になっているかもしれないが、まあ仕方がない。
