自分の研究室では約半数近くが留学生であり、国際色が豊かであるため、ゼミでのプレゼン資料や研究室内でのメールは原則全て英語。フランス、アメリカ、カナダ、イギリス、フィンランド、中国などそれぞれの出身国が違えど、英語が共通語だ。自分はまだまだ勉強不足で中学校で習ったレベルでの会話になってしまうが、自分の言いたいことが相手に伝わると本当に嬉しい。

企業で言えば、楽天は社内の公用語を英語にし、あと2年後に英語を話せない社員は全員クビという指針を立てた。またユニクロを展開するファーストリテイリングもほぼ同様。社会は英語を話せる人を求めている。

さて小学校から高校までの英語教育はというと、読み書きすることが主となっており、高校卒業したからと言っても、外国人と流暢に話せる人はほぼ皆無である。自分を含めた世代は小学校での英語教育は無かったが、今の小学生は英語の授業がある。貴重な数学や国語の時間を割いてまで、確保した英語教育の場なのに、社会に出たらその会話力は無いに等しい。

ではなぜ読み書き中心なのか。それは、明治以来、欧米の進んだ文明からより多くの知恵や知識を得る為に、英文を読む必要性があった。その為に、リーディングに力を入れてきた。しかし、日本が高度成長を迎え逆に世界に向けて発信していく立場に立った時、アウトプットが必要となり、それまで以上にライティングがより重宝された。それはセンター試験を始めとした、各試験でリーディングとライティングばかりが問題として扱われていることからもわかる。しかし、IT時代を迎えた今、論文の翻訳や映像の自動翻訳はGoogleやYoutubeなどの技術で応用されており、日々改善されている。そのため、文章に関しては言語のボーダーは消えつつある。それに対して、人対人のコミュニケーションはどうか。企業のグローバル化に加え、飛行機などの交通機関の発展によって、世界中を人々が飛び交い、人と人のコミュニケーションの機会は増えつつある。つまり今必要なのは、リーディングやライティングではなく、会話力なのだ。

勿論前者二つを否定しているのではない。会話をする上でも文法が必要なためとても大切であり、書類に関しては全てこれらの力が要求されるため、必要であることは十二分にわかっているつもりだ。要は日本はこれだけ英語の授業時間を割いているのだから、もっと話せるようになれということである。勿論、自分はまだまだ若輩者であり、人生のイロハも全くしらない者だが、今まで生きていた中で、リーディングやライティングで苦労したことは無い。辞書さえあれば、ある程度乗り越えられる。しかし、会話は瞬発力が必要となるため、辞書など使っている暇はない。

以上より、自分は少人数制で国際交流がてら海外の人とのコミュニケーションの機会(勿論全て英語しか使えない)を小学校時代から積極的に取り入れるべきだと思う。現状での日本のALTは授業内で正しい発音を教えたり、その国の文化を伝えたりといったことが多い。しかし、正しい発音や文化を調べる作業
はネットを利用すれば、直ぐに解決できることであり、ALTの必要性は感じられない。例え授業に必要でも大人数であれば、コミュニケーションではなく、所詮講義になってしまう。その為には、外国人を連れて来るのに、財源と労力が必要であるが、日本の将来のためへの投資と考えれば、安いものだ。

私立や積極的な公立の学校では既に取り入れられていると推測できるが、国策としてやらなければ全体の向上にはならない。少子高齢社会の日本では、英語よりも先に国語を身につけろなんて言っている余裕は無い。国語力も大切だが、ディベート力をつける授業をしろと言いたい。勿論文化と言葉を継承する上で国語は大切である。

結局、社会が求めているものに合わせて、教育現場も変わっていくべきだ。急ぐ必要はないとも考えられるが、小学校での教育課程を変えても小学1年生が大学を卒業するまで15年近くかかる。つまり、15年後の日本を考えてから、今何をすべきかを考えなければならないのだ。

最後に、偉そうに英語教育の大切さを言ったが、最初に書いたように自分の英語力は全然無い。だからこそ、自分を含め、これから社会の中心になっていく世代が頑張っていかなければならない。

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