ZAKZAKにこんな記事があったので取り上げておく。

2010.04.21 ZAKZAK「会社にゆとり世代がやってくる!」

前回もゆとり世代について述べたが、大人達(旧世代)はあまりにもゆとり世代をグループ化し、批判の対象にしたい様だ。これは述べた通り、バブル経済崩壊後という時代背景に育った世代として見るべきであり、グループ化して見るよりも個々人を観察するべきなのである。

さて今回の記事は、ゆとり世代が上司に反論をするだとか、飲み会について来ないなどの事が書かれているが、果たしてそれはゆとり世代にのみに当てはまることだろうか。記事の中ではゆとり世代の一人がこう述べている。「我慢することばかりだから鬱になる人が多いのではないか」。自分は我慢する事は大人として社会に生きる上で必要不可欠なものだと思っている。だから多少この発言には首を傾げるところもあるが、客観的に見ると、否定はできない。何故なら、上司との飲み会を快く思っているサラリーマンがどれだけ思っているか、また年間の自殺者数の増加を見ればその言葉は事実を捉えているからである。勿論先に述べたように、取引上の付き合い等、大人の複雑な関係があるから、上司の誘いは簡単には断れないのもわかるが、果たしてそれは飲み会と言う席でなければいけないという必然性があるのだろうか。会社関係の仕事なのだから営業時間中に会社内に結論まで持っていけばいい話なのである。

また上司に反論をすると言うのは、理にかなっていないこととなれば単なる反骨であるが、正しいと思ったことはどんどん言うべきなのではないか。自分の意見を言わずに単に上司の言われるがままに動くから、今の腐敗した日本があり、イノベーションを起こせない企業体質になっているのではないか。

まさにそれは議論の重要性であり、そういう意味ではゆとり世代(自分はこの言葉が好きではないので、バブル崩壊後に育った世代としておく)はそれは認識ができている気がする。別に学校で教わった訳ではないが、TVなどのメディアに囲まれていると自然と身についていた気がするし、社会が複雑化するなかでも身についていった気がする。理系は論理がしっかりしていなければ話にならずに、真理に向けて議論を重ねることが多いが、文系は比較的そういった議論が手薄であり結論が客観的ではないものになる傾向がある。勿論最近では改善されつつあるが、一昔前は議論もなく、偏差値やレポートでの結果のみで上層部にのし上がった現在の上層部が若手の反論を批判するだけでは、何も生まれない。反論を検証し、正しいことをしっかり認めていくことが大切なのではないか。

そういった意味で、ゆとり世代を単なる批判の対象にするのではなく、その活力なりその世代特有のセンスを生かすことが最大の利益になる。逆に単純に批判している会社は衰退へと向かっていくだろう。

批判ばかりしている会社側(特に採用者)はよく考えて欲しい。その人達を採用したのは誰か。それは自分達自身であり、彼らを批判することは自分の人を見る力や先を考える力が無能であると証明しているのと同義なのである。

日本の優秀企業研究―企業経営の原点 6つの条件 (日経ビジネス人文庫)/新原 浩朗

¥800
Amazon.co.jp

いらない人は一人もいない―アメリカの成長企業が採用しているビジネス・シンキング/タック川本

¥1,365
Amazon.co.jp