自分を含めた年代の人達は「ゆとり世代」と言われている。これは文部科学省が学習指導要領の改訂で総合の時間を増やしたり、キツキツした授業時間設定の改定など、所謂ゆとり教育を受けたことからこのように名付けられた。

勿論揶揄であることはわかっているのだが、正直その当事者の立場からすると、イラッとくる。企業の採用者も「これだからゆとり世代は…」などと言い、この世代を一塊で見ている傾向が強い。勿論、団塊世代、団塊ジュニア世代、新人類世代など〇〇世代と言う名はあるのだが、例えば団塊世代は日本の高度経済成長を支えた人達などプラスのイメージがあるのに対して、ゆとり世代は何も考えない受動的な人間というマイナスのイメージしかない。

しかし、他の名付けられた世代に対する見方もそうだが、単なる偏見である。団塊世代でも自分で考えずに所謂自己中になっている人も多くいるし、ゆとり世代でもしっかりと物事を考え周りを見渡せる人も多くいることを忘れてはならない。何も考えないとか受動的なのは世代だからじゃなくて、一人ひとり個人の問題が主である。ただ教育とは敏感なもので、指導要領が変わったことにより、総じて人格も少なからず影響を受けていることも有り得なくはないので、長い期間を置いて次第にわかるデータは、大変興味のあるところだ。

これは前々から言っているが、時代は常に変化するもので、人間も時代に合わせて成長する。今の40代や50代が今10代、20代と同じ環境にいたら果たしてうまくやっていけるだろうか。それは正直難しいと思う。若者には若者なりの悩みや喜び、娯楽があるのだ。勿論その逆も同様だ。

先にも述べたように、教育の影響も少なからずあるだろうが、以上の議論から考えると、どちらかと言うと時代背景が平均的な人格を決めているとも取れる。では、ゆとり世代はなぜ受動的と捉えられるのか。答えがそこにあるのかも知れない。ゆとり世代以降はバブル崩壊後の俗に言う失われた10年(一説だと失われた20年)を生きて、経済も下がり続け、官僚や政治家、経営者の不祥事を毎日ニュースで見るなどの経験をしてきた。「成功」という言葉が世間から消え、「失敗」ばかりが目に付く世の中をくぐり抜けている人たちが安定志向、受身になるのはごく自然な流れではないか。

大人たちは彼ら(自分も含まれるのだが)を否定するところから始めるのではなく分析して、彼らなりに何ができるのか、自分たちに無い何を持っているのかというのをうまく引き出さなければならない。会社で言えば、自分たちの様になれという上司の命令は市場から離れろと言っていると同義とも考えられる。顧客も様々いるが、ゆとり世代の気持ちをよく知っているのはゆとり世代自身なのである。20代を相手にするのに、50代がいくら頭をひねっても同じ20代が考える方が、客も共感を得る。彼らは過去に囚われないアイディアをきっともっているはずだ。ジェネレーションギャップは相手を否定するのではなく、自分達に足りないものを補完し合うべきなのである。

最後に、この文章は筆者が当事者であるため、自己満足の様に感じたかもしれない。しかし、どうにか客観的にこの問題を捉えようとしているのをご理解頂きたい。

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