自分の周りでも、就職が決まり4月から会社へ行く人も多い。

そこで思ったのだが、なぜ日本の会社は未だに新卒採用制度をとっているのだろうか。一昔前は大学を卒業した新社会人は会社の中で上司に育てられ、そのまま出世をして、最終的には定年を迎えていく過程があった。しかし、時代は変わり、終身雇用ではなくなったことかつ会社側としても即戦力が欲しくなったことで、会社は新人への教育は手薄になっていると経営者は口を揃える。勿論小さな規模の会社、新人教育に熱心な会社があることは事実であるが、社会全体を見るとそれは例外に分類化される。

会社として即戦力が欲しいのであれば、完全な実力主義にするべきだと思う。つまり、新卒制度を廃止して、アメリカの様なシステムを構築するべきだ。

これには会社側の要求を満たすだけでなく次の側面がある。それは、実力主義にすることで、会社全体の能力向上に直結し、世界を相手にする企業はよりグローバル化することが可能となること。また、終身雇用ではなくなることで再雇用する際に、新卒採用制度だけだと、その人達に例え能力があったとしてもそれを評価されないことを防ぐ、即ち年齢という枠に制限がなく平等な機会が与えられるため、より公平な社会ができると考えられる。

この議論は能力のある人から見た立場であって、十分な教育を受けていない弱者にとっては不利になるとも考えられる。しかし、経済がグローバル化、高度化することで、実力主義の流れは止めることができないし、弱者がいるからと言って、能力のある人を潰すのは日本の悪しきしきたりとしてやめた方がいいと思う。だからと言って弱者を軽視する訳ではなく、なぜ弱者になるかというのは、根本的には教育が一因と考えられ(勿論、頭の回転の個人差はあるが)、教育に差が出るのは親の収入であるという客観的データもあり(ベネッセ教育研究開発センター調べ他)、親の収入に大差がつくのは…と突き詰めて行くと政治の体制が整わなくてはならない。さらに詰めていくと、以前述べたベーシック・インカムの話題に片足を突っ込んでしまうが、ここでは本題ではないので、ここで止めておく。また上で述べた弱者の定義も曖昧である。その分野で、他人より劣っているというだけで、他の分野での成功の可能性が否定されている訳ではない。どんどんチャレンジするチャンスが増えるのだ。

ここで述べたことはもはや進行形であり、あと数年もすれば実力主義化するだろう。でもよくよく考えると、戦後では勉強の出来る人は学者になり、絵が得意な人は画家になり、歌が得意な人は歌手になっていた、もしかしたら今よりもより実力主義だったとも考えられる。ここ数十年(特にセンター試験が導入されてから)、国民は均一化され、他人がやっているから自分もやらなくては、具体的には他人が会社に務めているのだから自分も大企業にいって働かなきゃという強迫観念的要素があることは否定できない。同様に企業側も新卒採用をしなくてはという考えに縛られすぎだ(今時そのような考えに縛られている会社はどこも経営が悪くなっているが…)。本当に能力のありながら、その専門性の狭さ、また年齢がかなりいっているという単純な理由でドクター即ち博士が日本で軽視されるのはこれが原因だろう。その結果、その分野での能力に欠けているのに、大学での成績、大学自体の知名度だけで企業側に採用され、非効率な仕事をしているのだと思う。その最たる例が官僚であるが。一体どれぐらいの人が本気で日本を考え、仕事をしているのか。

採用者側は旧来のシステムで出世しているのだから、その枠でしか考えられないのは悲しい現状である。

つまり結論としては、行政側からのフォローを発展させつつ、実力主義化、最終的には新卒採用撤廃をすることで、日本は改善された労働システムになっていくだろうし、そうすべきである。

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