世の中から核兵器なんてなくなればいいのに。こんなことを今までは思っていた。でもよく考えてみると,核兵器を完全に排除したところで地球に完全な平和は訪れるのであろうか。

核の平和的利用と称して,核を使うのはいいが,それを核兵器に転用するかは一国の責任者ただ一人によって決められる。勿論,現代民主主義国家では一人が決めるなんていうことはほぼ不可能だが,世界全てがその様な国家ではないことは周知の事実である。このように一人によって左右するような核に関して安全利用なんぞ語れるはずがない。

また,万が一核兵器が世界から消滅した際何が起こるか。それまでは核によって均衡がとれていた力関係が崩壊し,新たに国家間の紛争が起きるだろう。その他には,核兵器自体がなくなったことに対しては世の中は一時的に平和を確信するが,時間が経つにつれ,今度は核の技術に対して警戒心を持つのではないか。あの国は核兵器の知識を手に入れたとまた,核兵器の恐怖が訪れるのである。人間は恐怖が消えると新たなに恐怖を作り出すのである。

更に地球市民という立場をとると,地球での最強の武器は保持しておかなければならない。水爆等も存在するがなるべく強力な武器の保持が求められる。宇宙人が侵略して来る事態は遠い将来において来ないとも限らないため,それに対応できる力は持っておくべきである。

この様に核所持肯定派的に事を書いてきたが,自分自身は核の被害を受けた,唯一の国日本に生まれた故,一国の核の保持には批判的な立場である。また世界に被害者が二度とでない事を切に願っている。但し,国単位ではなく,国連など,地球単位でみた場合,上記の理由も含め,保持をしなければならないと思われる。ここでいう,しなければならないとは,義務ということではなく,しょうがなくという意味で用いる。平和であることが何よりであり,正直こんなものに頼って欲しくない。核兵器は単なるものであって悪いのではなく使用者のモラルがどうなのかだけなのである。

そしてここで使う地球における「平和」も核によって形作られるとしたらそれは虚像をみているのに過ぎず,真の平和社会は訪れない。一体,平和とは何なのか。今後も深く考えていきたい。