旧石器時代、人類は火の使用を学び、食物を火で加工する術を学んだ。諸説、もっと前から知っていたということもあるが、実際に使用されたのはこのころであろう。

そして肉等、生の食物を火で加工することにより、栄養価の高いものをより多く吸収できるようになり、寿命が伸びていったと考えられている。それまでは2世帯同居までが寿命を考えても限界だったことが、寿命が伸びる事で、3世帯同居が可能になった。このことで、子供の育て方などを祖父、祖母の立場からアドバイスできるようになり、2世代のみの時代よりも知識の伝達ができるようになった。

このようにして歴史の中で言えば、ごく最近1970年代まで、世代間の知識の継承が行われてきた訳であるが、核家族が増え、老人の面倒を見なくなった現代人はもちろん核家族ゆえの恩恵を受けている一方で、大切なものを失っている気がする。例えば、核家族になり、行動範囲が大きくなったり、少ない人数グループなので迅速な判断ができるというメリットがあるのに対して、やはり上でも述べた知識、文化の継承、また人との付き合いを家族という小さな社会で身につけるということができなくなったり、老人の死に向き合いづらくなり、生と死に関しての意識の薄れが見られるようになってしまった。

もちろん、昔、大昔にもこんな状況はあったことは自然なことではあるが、今問題なのはそれが社会のシステムとして構築され、老人排除の動きになってしまっていることだ。ましてこの記事自体もおかしいのかもしれない。まだ田舎の方では旧システムで動いている所もあるが、大都市では殆どその光景も見られない。まずUターンラッシュのニュースを見れば、孫とその祖父母が離れて生活しているのは明らかだ。

以上より、なんか私には今起きている社会問題は全て核家族化によるものではないかと思えてしまうのだ。今やその核家族自体も崩壊に向かっている。高校生の家出など、傷口は広がる一方だ。

「嘘つきは泥棒の始まり。」そんな老人達の言葉を非科学的だと耳を塞ぐのではなく、傾けてみてはいかがなものか。