「力士にとって休場は重大。本人が言わない限り私から休めとは言えません。(秋場所の中止は)ファンあっての大相撲です。ファンの方が待っていらっしゃっている以上、考えられません。」
これは相撲協会北の湖理事長の言葉であるがここで言うファンとはファン全員の気持ちを代弁したものであろうか。ここまでの報道では秋場所は問題がグレーであれば問題の二力士を出場させるとしている。それに関しては、秋場所を中止すべき、または問題の力士を出場停止にすべきというファンもいることをわかっているのだろうか。勿論相撲は他のスポーツよりも伝統や習慣を重んじることはわかっているが、21世紀になった今、スポーツとしての相撲のあり方を真剣に考えなければならない。即ち相撲界の閉鎖的な環境を打破しなくてはならない。

これは首相の座を投げ出した福田総理を含め政治の話にも繋がるような気がする。Youtubeでは福田総理が麻生太郎氏に「キャラとは何か」ということを本気で聞いている動画がある。どうやったらキャラが良くなるかという建設的な質問ではなく、キャラ自体の意味を彼は知らなかったのだ。政治の世界では、政策をぶつけ合い国の為に働いてくれている政治家がたくさんいることも知っている。ただ庶民が日常会話で交わす言葉をわからなくて庶民の気持ちがわかるのかと疑問を持ってしまう。ただ別に言葉を知っているから庶民の心を知っているという訳では決してなく、自分が言いたいのはそれをわかろうと努力して欲しいということなのである。そして結果論として、彼は政権を投げ出してしまったのである。麻生氏に聞いていることもわかろうとしている姿なのかもしれないが、それまでの人生でその言葉を耳にしなかった彼の言動を含め、政治の閉鎖的な一面を垣間みてしまった。

「閉鎖的」であることに多少のメリットはあるが、上記の二つは少なくとも国民の税金で生計を立てているのであり、国民にオープンである必要がある。小泉政権時代、民営化が叫ばれたが、本当にしなければならないのは国自体の民営化ではないのか。