今や大学生のみならず、小学生の夏休みの宿題までもが、wikipediaのお世話になっている人が多いようだ。別にwikipediaに書いてあることを自分自身否定する訳ではないし、インターネットを小学生が利用するのは、パソコンやネットに触れられるということでいいと思う。しかし小学生のみならず、一つの媒体で調べてそれで終わりというのは、物事の捉え方を一方面からしか見れなくなるのではと危惧する次第である。
本や辞典等で同一な事を調べてもそれぞれの媒体によって、表現の仕方が違ったり、別な知識を得られることが多々ある。それによって世の中で接するものに対して様々な角度から論評することが将来的にできるのではと思うのである。
でも、それならば本一冊だけを引っぱり出して宿題を完成させるのも同様であり、wikipediaに何も非はないのではと思ってしまうかもしれない。しかし要点だけが纏められ、その引用元も不明確なwikipediaを使うよりも、本を開き長々とした文章から要点だけを自分なりにピックアップする過程を踏んだ方が、本人にとっても達成感や、要点を纏める能力が得られ、与えられた宿題以上の成果が長いスパンで出てくると思われる。
宿題が終わればそれでいいのではなく、そこまでの道のりを見てあげることが親や教師側に求められている真の宿題の様な気がする。
結果だけを求める現代資本主義社会のなかで過程の重要性を見直すためには、小学生以下に対する教育の中に見いだされるものなのかもしれない。