自分は受験勉強,そして大学での勉強を含め,今までの勉強では全て,公平な客観的問題ばかりこなしてきた。そして洗脳された様に,自分はまだまだ未熟ながら,客観的思考が自然にできるようになり,もしかしたら日常生活でも人一倍に客観視ばかりしているかもしれない。というかしている気がする。

自分は小さいころから,あまり自分の欲望をむき出しにはしてこなかったと思われる。多分,兄弟の中で一番上で,妹とか,家族全体をまとめることばかり考えて,そんな性格になったのだろうか。まあそれはどうでもいいとして,そんな自分の性格に受験とか客観視訓練をし,完全に客観人間としての自分は,これまでの人生は『~がしたい』という欲望とか,『好き』とかいう恋愛の感情等どちらかというと主観的なことを捨ててきた(敬遠してきた)。

これを書きながら,上で言っていることも全て言い訳に過ぎないと自分を客観視するのも事実である。

話は戻ると,自分は完全に主観を捨てたかというと否である。『~高校,~大学に入りたい』『将来はこんなことをやりたい』と言った感情はある訳であるからである。

ではやはり,自分は欲がない,恋愛には縁がないというのは単なる言い訳か。

いやしかし,同窓会等で周りを見ていると,失礼ながら勉強や就職を心配せずに今を楽しんでいる人達は本当に楽しそうである。逆にしっかり将来を考えられている人達は客観的な立場から物事に意見できている。

『客観と主観』
両者はバランスよくあるべきで,頭でのスイッチの切り替えが必要であると思う。でも極端に言ってしまえば,どちらが人間に必要なのか,これは全く答えを導けない命題なのかもしれないが,誰か解説をしてくれるならしてもらいたいものである。

最後になり全く論理性がないが,例としてあげるとピカソを始めとした絵描きは配置やテーマ等は客観性のあるものを掲げるが,色を付ける側も受け取る側も「きれい」「汚い」を感じ取るのは主観である。果たしてこの差異は何なのであろうか。