早朝の特別な地下鉄
今回は私の地元である愛媛県へと向かいます。飛行機を使えばすぐにつくのですが、私の幼馴染と会ったり、高速バスでの移動だったりするので朝5時から移動します。辺りは暗いですが、この暗さが私のテンションを引き立ててくれます。いつもの風景の中で誰もいない状況って心が躍ってしまいますよね。
6時数分発の1000N系に乗車します。この電車は南北線開業当初からいた1000系をリニューアルして使われています。また、ブルーリボン賞も獲得している名車です。とはいえ、最近は故障続きで寿命が近い車両ですけどね。そのためか、最近は新車も投入されています。また、この車両は一二年前くらいにさらに更新されて、ドアチャイムがブザー式から変わりました。
八乙女駅の高架区間を通過したのち、黒松駅に到着しました。大晦日だからなのか、意外にも多くの人が電車に乗ってきています。黒松駅は天井が吹き抜けになっているところがあり、デザイン的に好きな駅の一つでもあります。
次は旭ヶ丘駅です。この駅は住宅地がある為か、市営のコミュニティバスが通っています。また、ここから仙台駅へと向かうバスもでています。あと、この駅の近くには台原森林公園という場所があり、たまに蛍も見ることが出来ます。
そんな台原森林公園は暗くて何も見えません。でも、いつもは見れる景色が早朝で見れないのもまた一興。面白くてたまりません。私の心はひたすら踊り続けます。早く行きたい。でもこのままでも居たいという相反する気持ちが私の中でなぜかマッチして心が躍動し続けます。
次は北仙台に到着します。北仙台駅では仙山線に乗り換えできます。英検を受けるときもよくこの駅で下車します。北仙台駅に着くとここからいよいよ仙台市街地の中心部へと入って行きます。仙台駅へと着実に近づいていきます。
北仙台駅のロングストレートの後に車体を大きく曲げて勾当台公園駅に到着します。この時点でだいぶ乗客が増えてきており、写真を撮るのも一苦労。いつもなら通勤客が出ようと必死になっているところですが、今回は乗る人だけです。
そして広瀬通駅へと到着します。広瀬通駅では私がコロナのワクチンを接種したビルのすぐ近くです。ちなみにですが、副作用で3日ほど寝込みましたね。ですが母からは勉強しろとの一点張りだったのを思い出します。
切れていて見ずらいですが、仙台駅に到着します。と言っても、ここからだとあおば通駅が一番近いですが。いよいよ地上の電車に乗ることが出来ますよ。いつもは地下鉄移動なので非常に楽しみですね。
仙台空港アクセス線に乗る
仙台駅に到着すると、コロナの副作用でゲロした私と同レベルの勢いで帰省客を吐き出します。吐瀉物は流れてJR仙台駅という下水溝の出口を目指します。無論、私もその一人です。
連絡通路は途中で経由する店がまだ開店前なので一度地上に上がります。まだ朝日は少ししか出ておらず、夜明けと呼ぶには少し早い感じです。でもまた、これがテンションを上げます。
ニューデイズにて買い物をしたのち、三番線にて仙台空港アクセス線を待ちます。その間、右手にはプレハブの701系がいました。これから白石まで移動したときにはよくこの車両に乗らされていますが、今日は嫌という感情よりも絵になるという気持ちがあります。
左手には気動車の割には加速が化け物であるハイブリット車のHB E210系。車内をちらっとしか見たことがありませんが、電気に変えるための発電機を積んでいるためか、結構車内は狭かったはずです。
6時42分発の仙台空港アクセス線仙台空港行に乗車、伊丹空港みたいに名取市と岩沼市に跨っている仙台空港に移動します。
今回乗車するSAT721系はE721系500番台と連結することがあり、内装や設備自体もE721系と酷似しています。じゃなきゃ連結できませんしね。え?JR北海道?なんのことでしょうか?
内装は相変わらずの硬いシートに突っ張りだした背ズリ。空港アクセス線のくせして狭い通路というひどい様。まぁ、狭軌なのがいけないんでしょうけど、JR西日本の関空快速は座席数を減らすことで対応してますから頑張ってほしいものです。トイレはしっかりとバリアフリー対応で高評価です。しかし、
こ れ は ひ ど い
紫外線カットの窓ガラスをケチって青いフィルムにするなんてまぁなんて酷いケチっぷり。なんでだよ。
なにがともあれ、電車は定刻通りに仙台駅を発車します。最初は朝日に照らされる仙台市街地を徐行しますが、橋を過ぎたあたりから電車が急加速して長町駅へと向かいます。
途中で広瀬川を渡って貨物線と合流し、長町駅へと入線します。
長町駅は仙台市営地下鉄と乗り換えができるほか、東北新幹線も見ることが出来ます。ここから新幹線を見るときはだいぶ早く見えますが、新館背に乗ってると、在来線に負けるんじゃねぇかってぐらいに遅く感じます。
元々長町は仙台第二の都市と言われるほど大きくは無かったのですが、最近は新しい施設が増えてきたためか、結構栄えている印象です。
長町駅のすぐ近くに位置しているのは太子堂駅。長町駅を発車してものの数分後には到着します。ですが、この太子堂駅を過ぎた辺りから仙台の田舎な部分がチラホラとお見受けできるようになります。
辺りにはビニールハウスが見られます。ここから東北本線は名取市街地で再度賑わいを見せるも、名取以南はだいぶ田畑が多くみられるようになります。
南仙台駅に到着です。南仙台駅から南は地上駅となります。この駅は夕方ごろには帰宅ラッシュで混みこみになるところです。でも早朝の今は特に乗る人はいませんでした。あと、南仙台駅は名取川を南に渡ったところにあるので名取なんじゃね?って一回思ったのですが、どうやらこのエリアだけなぜか仙台市に入るそうです。
電車は周りの景色が賑わいを見せる地域を走行した途端に減速。名取駅に入線します。名取駅は仙台エリアの東北本線の中でもそれなりに珍しい4番線も持つ駅です。理由はここから東北本線と仙台空港アクセス線が分かれるから。利用客もそれなりにいる駅です。
名取駅発車後、仙台空港アクセス線は単線高架区間に入って爆走しだします。壁が近い分なおさら早く見えます。日も出てきて明るくなりだしました。
美田園駅に到着すると車体を大きく傾けて停車します。足腰がそんなに強くない私はこの駅がそんなに好きではありません。この駅は一度、某ドラマの主人公と名前が一緒だったため、コラボしたことがあります。
美田園駅を発車すると再度車体は大きく傾いて高架区間から一気に地下区間を走行しだします。これは、仙台空港の滑走路の邪魔にならないようにするためです。つまりどういうことか、
仙台空港駅に到着するという事です。ここから最初の目的地である大阪へと向かうわけです。
仙台空港
元々仙台空港は矢ノ目飛行場という海軍の基地で、GHQに支配されていました。
1956年にGHQから返還され、その翌年には仙台飛行場として開業しました。開業して以降、航空会社が次々と空路を広げていき、ここ仙台空港にも多くの旅客機がやってきました。また、1964年には仙台空港と改名しました。
1986年には国際線にも対応するために滑走路を拡大して、1990年にソウル・グアム便が就航、結果、東北初の国際空港となりました。また、その後にも多くの便が就航したために、新ターミナルを建設し、1997年に全面開業しました。
2011年にはみなさんご存じである東日本大震災が発生しました。旅客、従業員のみならず、周辺住民までもがターミナルビルに避難しました。震災発生5日後には滑走路を部分復旧させ、米軍の飛行機が着陸しました。また、空軍が管制官の仕事を担ったので、空港機能が復活しました。
震災から一か月後には臨時便の旅客機を飛ばして本格的に復旧しました。また、最近は新たな搭乗口も造られ、進化を続けています。
そんな仙台空港でお土産を書く予定でしたが、あんまりよさげなものが見つからなかったので買うのをやめてしまいました。買っておけばよかったなぁ。
やっぱり正月からなのかだいぶ混んでます。うわぁ。ちなみにですが、今回乗るのはANAです。
萩の月の馬鹿でかい広告です。実はこの広告、元々はパタパタでの発車案内だったんです。最近はテレビに変わりましたが、パタパタが一番見やすかったです。
いざ大阪へ
8時手前の飛行機に乗って大阪へと向かいます。機材はB767でした。多分、12月30日で移動する人が多いのでいつもならB737のところが、変ったんでしょうね。前に乗ったときはB767でも国際線仕様でした。今回は国内線仕様です。
空港にエアロスターのワンステップらしきものが。ここからだとよくわかりませんが、確か朝野君がこういう窓の車は珍しいなんて言ってた記憶があるんですよ。一応撮っておきました。
さて、飛行機は一気に轟音を立てて急加速。座席にめり込まれるような感触が伝わります。飛行機に乗ったとこは何度もあるのでそんなに嫌ではありませんが、今回は怖かったです。なぜかというと、フラップをずっとパタパタさせているから。しかも取れそう。B737でもこんなにパタパタさせたことは無いのに。
飛行機が空を飛んでしばらくすると、一つ大きい山が見えてきます。恐らくこれは磐梯山です。磐梯山は東北のリゾート地にそびえる大きな山で、小学校の頃の修学旅行ではこの辺りに行ったのを覚えています。
1888年には、磐梯山山頂北側で水蒸気爆発で山体崩落を起こしています。結果、その時に発生した岩が川をせき止めて五色沼が出来ました。なんなら5万年前にも川をせき止めて猪苗代湖を造っています。
2007年には日本地質百選、2011年にはジオパーク入り、2016年にはミシュラン・グリーンガイドから一つ星評価を受けています。
私は修学旅行以外でもここに行ったことがあるのですが、その時はあいにくの強風で私は火口を見ることが出来ませんでしたが、父が必死になって見に行ったのを覚えています。何度か足を滑らして危うく落ちるところだったらしいです。怖いなぁおい。
日本アルプスを越えていきます。やはり雪をかぶっていますね。学校で必ず習わせられる山脈ですから知っている人も多いでしょう。
そもそもなんでアルプスって呼ばれているのか。皆さんご存じの通りアルプスはヨーロッパにあるアルプス山脈ものです。アルプスはその雄大な姿から高山の代名詞として名をはせており、いつしか景観が似ているものは何でもかんでもアルプスという名前を冠するようになったのです。
そんな日本アルプスの魅力は何といってもその姿と自然と言えるでしょう。険しい岩山、美しい稜線、白く輝く雪化粧、可鈴な高山植物などの様々な自然を見つけることが出来ます。さらにはジオパーク、国立公園、ユネスコパークなんかにも選ばれていることも考えると世界にも日本アルプスは認められていると言っても過言ではないでしょう。
こちらは恐らく三重県でしょうか。奥に見える川は木曽三川でしょうね。日本アルプスとは一転して海と家々を見下ろすことが出来ます。
三重県といえば近鉄とJR東海の戦いが見どころなのではないでしょうか。近鉄の特急しまかぜやひのとり、アーバンライナーに伊勢志摩ライナー、それにあらがう特急南紀と化け物快速みえという構図は一回で良いからまじかで見てみたいものです。名古屋には一度行ったことがありますが、紀勢本線には乗ったことがありませんからね。ちなみにですが、私は一度近鉄の伊勢志摩ライナーで賢島に行ったことがあります。その時はまだ幼く、電車のことなんてデザインでしか好き嫌いを判別できませんでしたが、また乗っていみたいと思わせる特急でした。
恐らくこれは奈良上空を飛んでいる写真ですね。奈良といえばこちらも近鉄王国でJRはボコボコのけっちょんけっちょんのマヨネーズにされているイメージですが、大和路快速や臨時特急であるもののまほろば号もあることを考えると意外と張り合おうとしているのではないでしょうか。
そういえば私が通っている塾の校長がここに行ったことがあると言っていましたが、法隆寺付近で自販機とコンビニが無く、飲み物を我慢させられたとおっしゃっていましたね。まぁ、田舎ですからね。
飛行機は関西本線にとって最大の障害であった生駒山地を越えていよいよ大阪府へと入り、急旋回して伊丹方面へと目指します。ここから伊丹空港まではあと10分くらいしか猶予がありません。
少し奥らへんに見えるのが大阪城です。昔はいま飛んでいるところでさえも城であったことを考えると大阪城の規模感がいかにすごいもであったのかを感じることが出来ます。そう考えると、徳川家康が二の丸、三の丸をぶち壊したい気持ちになったのも納得です。ちなみにですが、私はここにある観光施設にてゴム製の手裏剣を貰ったことがあるのですが、その手裏剣が空港の手荷物検査にて引っ掛かり、慌てた結果航空券をなくしてしまうという醜態を晒しています。
大阪市街地へと入るときには避けて通れない淀川です。仙台市民はよく広瀬川は大きくて自然豊かだと言い張りますが、雄大さにはこの淀川には敵わないと思っています。ここを過ぎると伊丹へはもうすぐです。
伊丹空港です。ここは住宅地のど真ん中に位置しているために住民と揉めているイメージがあります。けど、急行やモノレールで移動できることを考えると関空よりもこっちの方が便利なんですよね。
大阪駅へ向かわん
ここが伊丹空港です。私が大阪府へと行くときにはいつもこの空港を利用しています。前にも書いた通り、便利ですから。
伊丹空港は昭和14年に大阪第二飛行場として開かれ、昭和34年には国際航空路線に必要な空港として第一種空港として大阪国際空港と改名しました。当時はアジアの航空路線を担当していましたが、1960年代後半から北米・欧州からの航空路線も担当するようになり、1964年には初のジェット機がきました。
平成6年には関空が開業し、国際線の担当は関空に任せて伊丹空港は国内線を担当するようになりました。
空港にある赤い店は大阪に来たら外すことのできない551の豚まん蓬莱です。コンビニのものばっか食っていると、ふと恋しくなっちゃうんですよね。ここでは買いませんが大阪駅にて購入します。
大阪府方面の出口を出ると大阪モノレールの駅である大阪空港駅に移動できます。ここからモノレールに乗って蛍池駅に移動。その後は阪急の急行で大阪梅田を目指します。
やってきたのは2000系です。大阪モノレールとしては初めてVVVFインバーターによる制御方式を導入した車両です。最近は3000系が出ているはずなのですが、大阪に行くたびに乗る車両はこれです。あと、顔面が銀座線の01系とか02系に似ている気がするんですよね。
車内は車両との連結部には仕切りは無く、開放的です。うるさいんじゃねなんて思ったんですが、意外にもそんなに気にありませんでした。
定刻通り電車は大阪伊丹空港駅を発車しました。この時に一番びっくりしたのがドアチャイムが阪急と同じという事。何か接点でもあったのでしょうか。
蛍池は大阪国際空港駅から一駅先にあります。結果、直ぐについちゃうのであんまりモタモタはしていられません。今回私は座席に座りましたが、一番いいのはこの時は何かにもたれて、阪急乗り換え時だけダッシュで行って一番に乗り換え、席に座るのが良いと思います。
蛍池で待っていると茶色のカッコイイ車両がやってきました。1000系ですね。走行装置に低騒音型機器を採用して車両の騒音の低減を図りました。高効率な車両機器を採用し、照明をすべてLED化の直接照明して従来の車両から半分のエネルギー削減に成功しています。座席端部の仕切りを大型化して急停車時にも対応できるようにし、手すりも併せてつけられています。
車内はやはりの混雑。座るのは厳しく常に立っていました。11月の夜中に大阪に行ったときは何とか座れましたが、今回はやはり12月なので座るのは難しそうです。
と、書いたものの何とか十三から座ることが出来ました。と言っても、ここから座ったところであんまり恩恵は無いですけどね。まぁ、ありがたいことに変わりはありません。
昼食を食べよう
電車は大阪梅田駅に定刻通りに到着。何度か大阪には行ったことがあり、幼いころに住んでいた地域でもある為大阪駅まではなんとか行くことが出来ました。このあとは幼馴染と会食をするためにも急がないといけないので、少し歩くペースを早めます。
しかし、大阪は仙台の進化スピードとは比べ物になりません。前見たときと景色が違い過ぎて普通に迷子になりました。幼馴染から場所の手がかりを教えてもらいつつ頑張ってお好み焼きのお店に到着しました。ゆかりというお店です。
ご飯は結論から言うと普通に美味かったです。流石は天下の台所大阪です。ちなみに、幼馴染の名前は聡(仮称)と尚氏(仮称)とします。聡と尚氏に関しては兄弟で尚氏が弟です。
聡「久しぶりやなぁ。」
私「そうやね。前あったのはいつぐらいやろか?」
尚「腹減ったわ。まず注文してほしい。」
聡「はいはい。」
私(広島焼食いてぇけど、大阪で頼んでいいんか?)
聡「じゃぁ、俺広島焼。」
尚「おれ普通ので。」
私(神かよ)
「広島焼で。」
そんな感じの他愛のない会話しているとまもなくやってきました。味は麺がもちもちでめちゃくちゃ美味かったです。地元に帰ると親族が経営している店があるのでそので食べますが、やっぱり広島焼が良い。
しばらく食べていると
尚「おれ焼きおにぎり食いてぇ。」
聡「えぇ、この店焼きおにぎりないやん。無理やろ、諦めんかい。」
尚「嫌や。」
私「じゃぁ、つくっか。普通のおにぎりなら頼めるし、それを焼こう。
てなわけでおにぎりを注文して焼きおにぎりを作ります。でも普通の油ではやはり上手く焼けません。なのでマヨネーズをぶち込んで焦げ目をつけますが、ちょっとしか着きません。
どうしたものかと悩んでいると、尚氏がえいやっとお好み焼きソースを掛けました。直後、お好み焼きソースが沸騰、辺りに飛び散ります。
尚「あっつぅ!!兄ちゃん何とかしてや!」
聡「無理に決まっとるやろ!自分の穴は自分でふけ!」
と言い合いに。その間、私は鉄板の電源をすぐに切り、ソースを端に捨てました。普通に熱かった。
いろいろありましたが、何とか焼きおにぎりは完成しました。味は普通に美味かったです。ソースでテンパりましたが、あれが味噌のような役割を果たしてくれたので味がしっかりとついていましたし、焦げ目もしっかりついていました。何気に、ソースを入れたのは英断だったのかもしれません。
うめきた新駅
その後は、私がうめきた新駅に行きたいと要望したため、聡が連れて行ってくれました。
うめきた新駅です。近くにはワークステーションもあり、ここで少し長い空き時間が出来ても大丈夫そうですね。また、噂に聞いていた通り、顔認証だけで通過することが出来る自動改札もありました。行きたかったですが、JR西日本公式アプリを入れる必要があったのでしませんでした。代わりに、通行券を購入して駅内を移動しました。
写真にある通り、案内板があります。電車がやってくると上部の案内板に表示されます。大きく表示されるのが良いですね。大変見やすいです。
案内板には湖西経由敦賀と表示されています。元々サンダバは富山まで行く特急でしたが、北陸新幹線開業で金沢までになり、今回の延伸で今度は敦賀止まりとなりました。正直言って大阪と金沢の距離が空いた気がしますね。新幹線延伸は通常は良い事なんですけどね。我らがサンダバがどんどん弱まっている気がして、いつかサンダバが消えそうで怖いです。あと、個人的な感想なんですが、サンダーバードとしっかり表示されていることにも時代を感じてしまうのは私だけでしょうか。大阪駅の三色LEDのイメージが強いのでサンダバという表示が一番しっくり来てしまいます。
でも、特急電車がしっかりとここ大阪駅に到着するようになったのは非常に好感が持てます。今まで大阪から和歌山に移動するなんて言ったら時間をかけて紀州路快速乗るよりも、くろしおに乗った方が便利ですが、乗り換えが面倒でしたからね。一本で移動できるようになったのは非常に素晴らしいです。あと、自動で場所が変わるホームドアなんかも素晴らしいです。
551蓬莱
大阪に来たら一度は食べてみたいのは551の豚まん蓬莱です。まだ幼稚園だった頃にたまに買ってくれて食べました。当時は天王寺駅にある出店で購入していましたが、今回は大阪駅にて食べます。やっぱうまいです。コンビニのとは比べ物になりません。ジューシーでめちゃくちゃ美味いです。うめきた新駅の近くで食べましたが、あまりにも美味しくて二個ぐらい食べてしまいました。実家に帰ったらどうせたらふく食わされるのに。ちなみにですが、このことを叔母さんに伝えたら私たちも食いたいから買ってほしいと頼まれ、父が30分間ならばされてました。
ところで皆さん。なんで551って名前なんだろうって気になったことはありませんか?まぁ、数字を採用するなんて企業なんて普段はなかなか見ませんからね。蓬莱を創った人は羅邦強で、蓬莱という名前よりもお客さんから親しみを持ってい貰いつつ、覚えてもらうための名前を考えていたそうです。しかし、なかなか名案は浮かんでこず。そこで休憩のために煙草を吸ったそうです。その時に外国のたばこである555(スリーファイブ)を嗜んだ時に閃いたのです。漢字や仮名文字は中国や日本でしか通用しませんが、数字ならば万国共通なので誰でも覚えれます。その時の本店の電話番号が64-551だったので、ここ(55)で一番(1)を目指すという意味も込めて551蓬莱という名前になりました。
再出発
ハービスという場所で自分たちが乗るバスを待ちます。写真に写っているバスは神姫バスのエアロバスです。私はこのエアロバスは乗ったことが無いのでいつか乗ってみたいバスの一台でもあります。たしか、リコール隠しがあったときに生産されていて、多くのバス会社が購入するのを差し控えたバスであったはずです。ですが、今は問題はないはずです。
やってきました。今回乗るバスである瀬戸内バスの三菱エアロエース。今回乗る最後の公共交通機関でもあります。このバスで私の祖父が待っている伊予西条駅へと向かいます。そしてここで幼馴染とはお別れです。
この新型のエアロエースは8速AMTを搭載して、2ペダルで運転することが出来ます。さらにアクティブ・サイドガード・アシストや歩行者検知機能付のアクティブ・ブレーキ・アシスト4、ドライバー異常事対応システムを搭載しました。このアクティブ・サイドガード・アシストはバスの死角にバイクや自転車がいると、バス側面にあるセンサーがバスが曲がる際に反応して、そこにバイクなどがあることを知らせてくれます。
また、搭載されているエンジンは6S10エンジンで小排気量化、軽量化を果たしつつ、強大なエンジンの回転レンジ、一層進化した2ステージターボ、高圧コモンレールシステムなどを導入した結果、ノンストレスな加速性、強力な動力性能を獲得しました。その上、ISSを採用して燃費も向上しました。
AMTがもたらすスムーズな走りに加え、車内移動が容易な客室フラットフロアなどの快適設計になっており、乗客のみならず、運転手の負担軽減も図られています。
さらに、小排気量のエンジンとAMTが融合することで運転手によって差が生まれやすい燃費を極力良くなっています。二酸化炭素の排出量を極力抑えて排出ガスのクリーン化がされます。
大阪市街地を縫うように進んで海老江ランプから高速に入ります。阪神高速3号線です。ちなみにですが、奥に見えるのは阪神電鉄です。
阪神高速3号線は大阪市西区から神戸須磨区までを結ぶ全線が高架化されている高速道路です。1966年に京橋出入り口~柳原出入口が開業し、その2年後には柳原出入口のさらに西に生田川出入口が、京橋出入り口の東側に若宮出入口ができました。1970年には西宮IC~摩耶出入口が開通し名神高速道路と接続。さらに月見山出入口付近で第二神明道路と接続します。そして1981年にはついに阿波座JCT~西宮ICが開通したことで全線開通しました。
しかし1995年にあの大災害が発生しました。阪神淡路大震災です。これによって全線損傷。東灘区では635mにわたって高架橋が横倒しになりました。多分、多くの人がテレビでその映像を見たことがあるのではないでしょうか。それから1か月後には姫島出入口~武庫川出入口が復旧しました。なお、一般車は武庫川出入口にて通行規制される国道43号線の影響で尼崎東出口までしか通行できませんでした。
1996年には一気に修復工事が行われました。2月には摩耶出入口~京橋出入口が復旧しました。7月には京橋出入口~柳原出入口が復旧。8月には深江出入口~摩耶出入口、柳原出入口~月見山出入口が復旧。9月には武庫川出入口~深江出入口が復旧しました。これで全線復旧しました。
2008年には芦屋出入口~摩耶出入口で初の終日通行止で集中工事を行いました。2010年には湊川JCT開通。これにより31号神戸山手線と接続できるようになりました。その3年後には海老江JCT開通により2号淀川左岸線と接続しました。さらに海老江JCT~姫島出入口を6車線化しました。その2年後には武庫川出入口~深江出入口で終日通行止による集中工事を、1年後には阿波座JCT~尼崎西出入口で終日通行止による集中工事を行います同時に尼崎本線料金所で料金収受を終了し、設備も撤去しました。2019年には尼崎PA供用再開します。そして湊川出入口~京橋出入口で終日通行止のよる集中工事を行います。どんだけ工事すんねん。2022年には摩耶出入口~芦原出入口で終日通行止でリニューアル工事を行います。その1年後には京橋出入口~摩耶出入口でリニューアル工事を行います。マジで工事しかしてねぇな、この道路。
バスは大阪駅に向かうときに渡った淀川を再度渡ります。やはり、大阪から移動しようと思ったら基本的にこの川を渡ざるを得ないですよね。
淀川は琵琶湖を水源とする一級河川です。上流地域は武田信玄が見たかった瀬田川、中流部では宇治川と呼ばれ、桂川、木津川と合流したときに淀川と呼ばれます。
淀川は日本で最初に大規模な治水工事が行われた川としても有名です。時代は4世紀の頃です。淀川と古川に挟まれた小高い土地(旧茨田郡)に幾度も襲い掛かる洪水から守るために仁徳天皇によって淀川左岸に堤防が造られます。茨田堤(まんだのつつみ)です。茨田堤が古事記や日本書紀にもチラホラ記載があります。茨田堤の正確な場所は分かっていませんが門真市にある堤根神社ではその名残を見ることが出来ます。また茨田に堤を作るときに二か所の難所がありました。そこにどのようにして堤を作るか悩んでいた時、天皇が夢で「武蔵の人強頸(こわくび)と河内の人茨田連衫子(まんだのむらじもこ)を捧げよ」というお告げを聞きます。まず、強頸が川に沈み、人柱となって一か所完成しました。この堤を強頸絶間(こわくびのたまえ)といいます。一方河内の衫子は瓢箪を川に投げ入れ、「瓢箪を沈めることができなければ、それは偽りの神のお告げである。」と言ったと言われています。直後、突風が吹きますが瓢箪は当然沈まず、流されていきました。結果、衫子は助かり、そのまま堤防が造られました。この堤防を衫子絶間(ころものたまえ)といいます。
明治時代では淀川は非常に浅い川となっていました。長岡京の頃から江戸時代まで瀬戸内海へと抜ける水運の要所として活躍してきましたが、明治時代には砂が堆積したことで水深がどんどん浅くなり、下流の水深は40cmとなります。流心も一定ではなく、昨日通った航路とは翌日には別の航路を通り、40石積んだ船がやっと通れるレベルでした。淀川の中でも特に浅い所は人夫が小舟に乗って河床を掘るという一時しのぎでなんとか通っていました。
明治時代に招かれたオランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケらが治水工事を行います。目的は水深を1.5mに保ち、蒸気船が淀川を経由して京都から大阪湾まで抜けれるようにすることです。工事では草木を井形に編んで石を沈めるて水深を深める技術を用いました。工事は明治20年代まで続きました。
明治18年に淀川であった大洪水により、明治29年に河川法を制定しました。これにより、淀川改良工事が本格的に行われることとなります。元々淀川は蛇行した川なので一度洪水が起こると手が付けられなくなります。そこで、当時の大阪の市街地から北側に新たな放水路を作る工事が施されます。結果、守口から大阪湾まで繋がる新淀川により、安全に流せる水の量が飛躍的に増加し、洪水が滅多に起こらない街となります。
三ノ宮
バスは最初の停留所である神戸三宮に到着します。神戸三宮はJRや阪急、阪神、神戸市営地下鉄、ポートライナーが一堂に集結するターミナル駅です。西のチートである新快速もこの神戸三宮に停車します。最近は駅ビルの開発もあるので期待度も高いエリアです。
1868年に三宮神社のすぐ南に外国人居留地が出来ました。これにより、神戸三宮が大きく発展するきっかけが生まれます。
神戸港が日米修好通商条約により開かれた時には、ここに多くの商業施設が西洋人によって出来たそうです。居留地西側には次第に清の中国人が集まっていき、現在の中華街も生まれました。三宮神社の西脇を南北に貫くトアロードは市内の山手と居留地を結ぶ大動脈でした。また、同タイミングで備前潘藩士がイギリス・フランス軍と三宮神社付近にて衝突する神戸事件が発生しました。これにより、神戸は一時期英仏軍によって占領されます。対応に当たった伊藤博文は初代兵庫県知事を務めました。
1874年に阪神を結ぶ関西最初の鉄道が開通し、三ノ宮駅が誕生しました。この時の三ノ宮駅は三宮神社のすぐ近くに位置していました。今で言う所の元町にあたるといえば分かりやすいでしょう。
1899年に居留地は日本に返還されますが、三宮周辺は商業地として賑わい続けます。
1905年には官営三ノ宮駅とは別に東に600m離れたところに阪神電鉄のターミナルが建設されます。1931年には官営三ノ宮駅は高架駅に改造され、阪神三宮駅と同じ場所に移されます。
それから5年後には阪急電鉄も三宮に乗り入れてくるようになり、百貨店、映画館が続々と建設されるようになります。
第二次世界大戦末期には神戸三宮は鬼畜米英により禿散らかします。戦後は闇市が栄えるようになり、元町と三宮を結ぶセンター街が出来ます。三ノ宮駅南側には31万㎡のイーストキャンプがありましたが、返還されます。なお、1956年に返還されます。
それ以降は国際会館や神戸新聞会館などの大型施設が建造されるようになり、戦前よりも栄える大ターミナルとなります。
神戸三宮にて数十人のお客さんを乗せてバスが出発します。しかし、このタイミングにてとんでもない情報が入ってきました。どうやら通行予定である鳴門大橋が渋滞により7kmもの渋滞。これにより、一時間遅れが見込まれるとのことです。冗談じゃねぇ、じゃぁ瀬戸大橋はどうなんだよ、と思いましたが、瀬戸大橋も同様の大渋滞であるため、予定通り鳴門大橋を渡るようです。大丈夫かなぁ、これ。
明石海峡大橋
バスは神戸三宮を出発してから早急に阪神高速3号線に入って明石方面を目指します。高速道路の方は意外にも混んでおらず、エアロエースのエンジンが警戒に吹きあがります。
若宮ICからバスは直角に向きを変えてに山側へと進みます。神戸本線を跨いで月見山ICを抜けると再度、直角に向きを変えて海と平行に進みます。
須磨IC、垂水PAと抜けていくと名谷JCTから阪神高速5号線湾岸線に入り、垂水JCTに向かいます。この垂水JCTが非常に大きく、円形に広がっています。ここに来たのはこれまた幼い幼稚園の時以来なので、新鮮に感じます。なんていうか、こういう大きい構造物って男のロマンですから興奮します。
料金所を過ぎてバスは巨大な垂水JCTを抜けて神戸淡路鳴門自動車道を通ります。明石海峡大橋の途中まではトンネルの中を通り続けます。
バスはトンネルを抜けると同時に明石海峡大橋を快走します。奥に見えるのは恐らく明石市街地です。時間的にも太陽が綺麗に海に反射して美しいです。額縁に飾っておきたいくらいです。ですが、写真には綺麗に写っていませんね。すみません。また、案内通り混んでいるのは鳴門大橋で明石海峡大橋は難なく通ることが出来ます。
さて、現在通っている明石海峡大橋ですが、この橋はご存じの通り兵庫県神戸市と兵庫県淡路島の淡路市を結びます。全長3911m、主塔の高さ298mと世界トップクラスの吊橋として今日も活躍し続けています。
基本的には運転で通るのが一般的ですが、橋の上を歩くことができるプロムナードや、主塔頂上まで登ることが出来る体験ツアー、大阪方面まで見渡せるレストランもあります。また、存在感も凄く、神戸市街地から見上げられるその姿は雄大です。私もこれまた幼稚園の頃に帰省した際には船からこの橋を見上げていました。ライトがちかちか光っていて綺麗だったので、今でも印象に残っています。
明石海峡大橋が建設された当時は鉄道で本州と四国を結ぶ本州四国連絡架橋事業の計画でした。その名残が徳島県に腋毛の様に生えている鳴門線です。もし計画通りならば、ディーゼル王国徳島県の一部の路線に電車が走っていたかもしれません。
1985年に着工し、僅か10年でこの世界最大級の橋は完成しました。しかし、発案時まで遡ると1969年にルートが決定しています。つまり、発案時から完成までかかった年月は約30年です。でも、こんなに大きい橋を30年近くで計画から建設まで漕ぎ着けたのは素晴らしい事なのではないかなと思います。
工事中にはこれまた日本最大級の大災害である阪神淡路大震災により、橋の中心部が大きく移動するという事態が発生しました。これにより、橋は図らずも1m延ばされます。また、建設中に起きた大地震でしたが、これといった被害は見当たらず、そのまま工事は続行されました。
工事が終了したのは1995年です。完成当時に橋が阪神淡路大震災によって伸びたので計測した際の長さは上記の通りで、当時世界一の規模を誇るイギリスのハンバー橋を越えて世界一の橋となりました。
また、橋の下には多くの船の航路が設定されており、今日も船が多く行きかっています。
淡路島
バスは明石海峡大橋を渡り切り、これから休憩する室津PAに向かいます。ハービス大阪を出発してから数時間、バスは最初の休憩に入ります。
こちらの方がよりバスが見やすいですね。奥に広がる瀬戸内海の景色を見ることが出来る絶景スポットです。サービスエリアとしての機能は必要最低限のものばかりです。トイレと大き目なファミマがあるくらいです。ファミマ店内には四国コラボした商品がチラホラと置かれているぐらいで、それ以外は普通にお菓子やおにぎり、サンドイッチ、飲み物ぐらいしかありません。
景色が綺麗ぐらいしかこのPAは書く要素が無いので淡路島の解説に入ります。淡路島は瀬戸内海東部にある巨大な島で、本州などを含めると日本で11番目に大きい島として、瀬戸内海で一番大きい島として位置しています。人口は12万人で淡路市、洲本市、南あわじ市に三分割されています。
淡路島が出てきたのは神話含めるならば紀元前よりも前にあり、古事記、日本書紀には最初に誕生した島と記されています。淡路島が出来た経緯は神話によればイザナギノミコトとイザナミノミコト、それぞれの神の近くで漂っている大地を完成させて、国造りを命じたとされています。
天浮橋(アメノウキハシ)に立って、他の神々から授かった天の沼矛(アメノヌボコ)で世界を固めるために大地を搔きまわします。
そして、沼矛から滴った雫が凝り固まって島が形成されました。自凝島(オノコロ島)と呼ばれました。二神はこの島に降り立って夫婦の誓いを結びます。
さらに、国生みの儀式を行います。結果、次々と島が誕生し、大八州(オオヤ島)が誕生しました。この島が国土を形成し、今の日本が誕生したとされています。
このときに最初に誕生したのが淡路島です。ちなみにですが、私は最初ウキウキで神話の話を書いていましたが、今はもう書きたくない気持ちでいっぱいです。PCの予測変換で出てこない漢字ばっかりで、いちいち打つのが面倒くさいです。正直もう書くのが苦痛なので辞めますね。すみません。
大渋滞
分かりますかね?バスは鳴門大橋手前にして大渋滞に会います。神戸三宮にて言われた通りの大渋滞。嘘やろ…。大阪に住んでいた時はスムーズに行けた記憶があるのに…。でもまぁ、三菱ふそう最新のバスであるエアロエースにはコンセントにWi-Fiもついているので時間を余裕でつぶせるだろうと思ったその時でした。私の席だけコンセントが刺さらない。なんで…。しかもWi-Fiはバスにいる人が総出で使うので重くなります。月末だからギガもそんなに余裕がない中のこれはキツイ。
渋滞があまりにも凄すぎて書くことが無いので渋滞の原因でも解説しましょうか。高速道路における渋滞の原因の7割は交通集中によって起こるものです。この交通集中が発生する理由の内、上り坂及びジグザグ道が6割を、インターチェンジなどと接続道路がそれぞれ約1.5割、トンネルが約1割です。今回は恐らくこの先にある淡路島南PAにて入ってくる乗用車と元々来ている車とで交通集中を起こしているのでインターチェンジなどに当てはまります。
インターチェンジなどによって引き起こされる渋滞はシンプルに交通量が増えていくのと、合流する車に道を譲るために車速を落としてしまい、次第にそれが渋滞となってしまうパターンです。
もう辺りはすっかり暗くなってしまいました。予定時刻から余裕で一時間を回っています。これどんだけ待たされるんですかね。スマホのバッテリーも限界を迎えています。晩御飯も食べていないのにここまで待たされるのはさすがに厳しいです。
そしてかれこれ1時間半待たされてバスはやっと大鳴門橋を走行します。もう日は沈んでいるので景色を見ることはできません。
大鳴門橋は前に渡った明石海峡大橋同様に歩いて渡ることが出来ます。また、展望台も備えており、そこからは鳴門の渦潮を見ることが出来ます。
大鳴門橋は本州四国連絡橋の一つとして計画され、1976年5月に着工しました。1985年に開通し、全長1629mの規模を誇ります。開通時には東洋の「夢の架け橋」と呼ばれてもてはやされていました。まぁ、これよりも圧倒的に巨大な橋を淡路島に行くときに通ったのですが。
大鳴門橋建設時には「鳴門の渦潮」と呼ばれる急流の海峡に建設するため、海流への影響を最小限にする多柱式主塔基礎を採用し、安全性のみならず、景観にも配慮されて造られています。橋の耐用年数は200年と見積もられており、管理には最新の技術を用いています。
建設当時には一日平均7853台が通っていました。しかし、明石海峡大橋が出来た時は一日平均16500台が通っています。その後も増加傾向を続けており現在はその1.5倍ほどの交通量を誇っています。開通した影響で24時間、短時間で輸送することができ、生鮮食品の輸送量が増加しました。それのみならず、今回私が乗っている高速バスを始め、多くの高速バスがこの道路を使って四国内へと入ってきています。人が入ってくるのならば逆も然り、ストロー現象が最大の問題となっています。
説明は以上です。ここからは渋滞が無いのでバスはエンジンを大きく震わして少しでも遅れを縮めるために走り出します。
疾走
鳴門ICを抜けます。実は大鳴門橋は高速道路ですが、国道にも指定されているので関西の高速の様に、高速道路内に料金所を構えています。今回は愛媛県まで抜けるのでここでは降りません。
その後、バスは鳴門JCTを直進して香川県へと入り、恐らく津田の松原SAにて休憩します。なぜ恐らくという書き方にしたのかついてですが、実はどこを走っているのか詳しく覚えていません。なので、このような書き方なります。他のブロガーのブログを拝見しますと吉野川SAと出てきたのですが、建物の構造が吉野川SAと似ていなかったことと、徳島にしてはあまりにも都会過ぎる写真を持っていたので香川としております。なので、高速での渋滞でスケジュールが狂ったがためにこうなったという体にしておきます。
ここにもコンビニとしてファミマがありました。西日本のファミマ強すぎんか?今回は特に用は無いのでお手洗いだけして即刻バスに乗り込みます。
暫くバスに乗り続けていればやっと二番目の停留所である三島川之江ICに到着します。ここでバスは高速を降りて停留所に向かいます。市街地方面へと向かうのではないかと思っていましたが、ICの目と鼻の先に停留所が構えており、人を降ろすと即刻発車します。
この時点でバスは1時間遅れまで回復しています。すげぇな、バス運転手。高速でぶっ飛ばすとなると、どうしても湾岸ミッドナイトが脳裏に浮かびます。そのバスは、自ら意思があるかごとく、狂おしく、身をよじる様に、走るという…
バスは新居浜ICにて高速を降ります。ここから下道です。目指すは新居浜駅前です。新居浜駅と言えば特急しおかぜ・いしづち号が止まる駅ですね。また、貨物も置かれているところなので、できれば行ってみたいです。まぁ、一番行きたい駅は伊予西条駅なのですが。
バスは丁寧に新居浜駅前の正面まで向かって、新居浜駅で多くの人を降ろします。ここで結構の人が降車していました。私はここから二つ先の伊予西条駅まで向かいます。
バスは海側へと向かい、県道13号線に出ます。そして間もなく新居浜西バスターミナルに到着します。ここで降りる人は少なかった印象です。まぁ、ここで降りるんならば、一つ先の伊予西条駅か一つ前の新居浜駅という事でしょう。
バスは出発するや否や県道13号線を疾走していきます。本来ならば、ここから三井造船の工場が見えるのですが、闇夜に紛れて何にも見えません。
県道13号線の西の交差点に着くと、バスは国道11号線に入って西条市を特急いしづちの如く駆け抜けていきます。
バスは途中、左折して県道140号線に入って、経由地である伊予西条駅へと向かいます。私の目的地はもう目と鼻の先です。段々と建物が増えていきます。駅前に近づいています。
西条駅前に到着しました。長かったです。途中の渋滞がひどかったです。途中叔母さんから「来るのが遅いけど、どしたん?」と、連絡がひっきりなしに来たので困りました。何がともあれ、目的地に到着です。
バスの運転手が丁重に荷物を降ろしてもらい、実家へと向かいます。駅から実家までは祖父が来ていたので、祖父が送迎してくれます。
着いて早々待ち構えているのは祖父からのハグです。御年73歳のくせして腕力は健在、普通に痛いです。
その後は車に乗って実家まで向かいます。車はSAIという高級車です。シートは本革なので高級なのは薄々感じていましたが、調べてみると、あらビックリ。中古でも79万円近く。スポーツカーばっかり見ているので安く感じますが、普通に高級セダンでした。なんてものを乗ってやがる…
祖父から仙台の暮らしついて質問攻めに会います。学業はどうか、進学先は、夢は、等々。入学当初はなんも変哲もなく思える質問も、この時は刃物の様にグサッと刺さります。止めてくれ…
祖父は老人とは思えない程の安全運転で警戒に山を登ります。辺りには仙台市街地では決して見ることのできない美しい星々が見られます。
川を渡ると直ぐに私の実家に到着します。かれこれ19時間の移動でした。まぁ、大阪で滞在しましたが。それでも長い移動に変わりありません。クタクタです。
家の扉を叩いて入ると、エプロン姿の小柄な老婆である祖母が走ってきます。足腰弱いのに大丈夫なんか?叔母もダッシュで来ますが、こけます。38歳よ。老婆に負けてどうする。先行き不安過ぎんか?
リビングに入ると手巻き寿司が置かれていました。まぁ、移動中はまとも食べれていないので、ご飯を食べれるのは幸せです。有難く頂きます。祖母の手巻き寿司は美味しいですが、案の定量が多い。いったい何合、米を使ったんでしょうか。
何とか平らげると今度は祈祷です。私の家は天理教を信じているので、実家に帰ると、いつも祈祷をさせられます。ですが、あほくさい、なんて思ってはいけません。実は、私の家系はみんな若くして死んでいます。子供が成人したくらいには、大抵多くの人がポックリ逝ったそうです。しかし、私の祖祖父母が天理教を信仰していたので、これを機に侵攻すると、恐ろしい程の長寿になったそうです。とりわけ凄いのが祖祖父母。現在100歳越えで、足腰の弱さと目の悪さを除けば健康体なんだそう。たまに祖母が心配して会いに行くのですが、行くたびに「何、心配しよん?顔真っ青やんか。血行悪いぞ。私より先に逝くんか?」とか抜かすらしいです。強すぎるだろ。
なにがともあれ、このような都合上、頭ごなしに否定できません。親神様など、他三体の神様へ無事を感謝し、頭を下げます。正直なところ、私は天理教徒でありながら、神様の名前を親神様と御霊様ぐらいしか把握していません。あと親様という神様がいた記憶がありますが、調べると神様が一体しか出てこなくて、神様に対しては申し訳ないばかりです。まぁ、生まれてすぐに入ったらしいのですが、正直そんなことは中学に入学して初めて知りましたから。最初に祈祷をしたときは普通に仏教か神道の神様なんだろうとばかり思っていました。
祈祷し終わると風呂に入ります。風呂は広く、そしてめちゃんこ熱いです。最初に入ったときは驚きました。思わず声をあげましたね。私は温くて長時間入る派なので、これは厳しい。まぁ、郷に入っては郷に従え、というヤツでしょう。
あとは、直ぐに寝ます。睡魔が厳しすぎて、もう寝ます。これしかすることが無い。
読んで下さり、ありがとうございました。