朝の準備 

 地元に帰省して最初の食事を摂ります。作ったのは祖母です。メニューは味噌汁とご飯、卵焼きでした。ご飯は米がしっかりと立っており、バクバクいけます。味噌汁は仙台で食べるものよりも美味しく感じます。卵焼きは出汁が濃いですが、普通に美味しいです。

 朝食を食べ終えると次は歯を磨きます。洗面台に行き、予め用意していた歯ブラシで歯を磨きます。洗面台は非常に寒く、足が凍って地面から離せなくなりそうなほど、床は冷たいです。眠気が一気に覚めます。

 歯を磨き終えると、寒い洗面台から、いち早く暖かいリビングまで走ります。廊下の床も冷たく、靴下を履いてこなかったことを後悔しました。

 リビングではセキセイインコのミイちゃん(緑色の鳥だから)が文字通り、元気に羽を伸ばしていました。暫くするとミイちゃんはバサバサと飛んで祖父の頭の上に乗ります。父は「信頼されとるんやなぁ。仙台に長く居たから、ワシのこと忘れとるわ。」と言っていました。

 本当にそうなのかと思って調べてみました。真っ先に挙げられるのは高い場所に行くため。セキセイインコはこの時、人間をそこら辺の木と同じ認識で頭に上ります。祖父は禿げているので、インコとしても安定して止まることが出来る筈。可能性はあります。

 次にあり得そうなのがインコが頭に乗ることに快感を覚えていることです。祖父の頭は禿げてはいますが、大抵はニット帽を被っており、その温かさに快感を覚えている可能性です。また、基本的に親しもうと祖父は努力しているので、乗っても良い人という認識なのかもしれません。

 祖父に乗った後に私の頭めがけて一直線に飛んできました。頭からはインコの重量を十二分に感じることが出来ます。普通に重いです。私は祖父とは違いフサフサ。おまけに勉強中で前傾姿勢という状態です。インコはツルツルと滑って落下しそうになります。必死に飛んで頭に着地しますが、何度も落下しかけます。終いには髪を数本ちぎって、飼い主である叔母のところに飛んでいきます。返せよ、私の髪。

 インコは叔母の方にピタッと飛び乗ってコミュニケーションをとろうとします。叔母の命令通りに動くの見る辺り、インコは頭が良いんですね。

 

母方の家へ 

 母の家は昨日通った新居浜にあります。祖母の車を借りて祖母の家へと向かいます。母方の家は祖父が胃がんを治療して明日の元日に退院、祖母は若干ボケ気味という非常に心配な状態です。私はここに行くのが正直怖いです。おっちょこちょいな祖母が一人で一体どこまで真面な生活ができたのか。非常に元気だった祖父が一体どこまで弱っていたのか。それらが不安でたまりません。

 写真に写っているのは国道11号線です。前日の高速バスでもここを通っています。徳島市から松山市までを結び、元々は讃岐街道と呼ばれていました。

 1885年に当時の国道31号線(東京から愛媛県までを結ぶ路線)の一部が当時の国道30号線の一部となりました。つまり、国道31号線と国道30号線が重複したわけです。その四年後には国道50号線(東京から香川を結ぶ路線)に、丸亀~高松間が追加されました。

 1920年には旧国道30号線が国道21号線となります。その他、東京から四国に達する国道は宇野から高松の船を通るルートに変更されます。これにより、旧50号線が徳島まで延長されます。また、高松から高知へと向かった旧32号線は善通寺を経由して高知市へと向かう道路の国道23号線になります。さらに、松山へと向かう旧31号線は国道23号線から西進して松山へと向かう国道24号線となります。

 1952年にごちゃごちゃしていた徳島~香川~松山のルートがまとめて一級国道11号線となります。ですが、この後に区分が無くなり、現国道11号線となります。

 暫く走行して左折、県道11号線に入ります。グーグルマップでは楠中央通りという愛称がついていますが、祖母は堺筋と呼んでいます。どうやら地域住民はこの呼び方をしているとのこと。間もなく予讃線の下を通ります。

 マルナカと呼ばれているスーパー辺りで左折して祖母の家へと向かいます。暫くすれば祖母の家が見えてきました。家の駐車場を見ると車が日産のセダンに変わっていました。恐らくスカイラインだと思います。

 家のドアを軽くたたきます。

「ばあちゃん。おるかぁ?」

 私が呼びかけると祖母は小走りでドアを開けました。

「帰ってきたんね。」

 父方の祖母同様、直ぐに抱き着きます。母方の祖母は父方の祖母よりも10歳年上だというのに抱き着く力が父方の祖母と遜色ありません。まぁ、スポーツマンでしたから。いや、女性だからスポーツウーマンなのか?どっちでもいいですが。

 家に入って最初にすることは祖祖父に御参りする事です。祖祖父は確か戦時中に戦死したはずです。陸軍の三式輸送艇艦長を務めていましたが、終戦直前に艦内で蔓延していた病原菌に犯されて死亡したはずです。ちなみにですが、それなりのイケメンです。

 

正月の準備 

 

 御参りが終わると、祖母から正月の客人を迎えるための準備をします。まずはテーブルの準備です。父と私がテーブルを持ち上げて準備します。テーブルはかなりの重量で体力をかなり消耗してしまいました。

 次に冷蔵庫の整理です。祖母は綺麗にしているからと言っていたのですが、母が

「絶対汚い!去年はそうやったやんか!」

 と一蹴。冷蔵庫を開けます。案の定汚く、消費期限切れのケーキや総菜なんかが顔を出します。当初は数分で片付く予定でしたが、余りにも汚すぎて整理に時間が掛かるので、先に祖母とマルナカに向かいます。

 マルナカはイオングループのマックスバリュ西日本が展開するスーパーです。瀬戸内地方や兵庫県に勢力を広げており、祖母はここを愛用しています。

 道中は1kmもなく、若い体をもってしては何の苦労もいりません。しかし、祖母は御年80歳近い年齢。歩くのも一苦労です。結果15分程の時間を要してしまいました。年を取るということは、こういうのを見てしまうと恐ろしく思えてしまいます。

 品ぞろえは仙台のスーパーとはあまり変わりありません。ただ、みかんやキウイフルーツは目に見えて安いです。流石は愛媛県。この類は抜群に安い。祖母はこれに手を伸ばして買い物かごに入れます。他に蟹と揚げ物が入ったオードブルを購入しています。

 家に着いた時にも冷蔵庫の整理は続いており、今度は掃除をします。まずは、床に着いたシミからです。駆逐してやる。この家から…シミを一つ残らず。

 そう生きこんでいましたが、実際は大戦末期ぐらいに厳しいものでした。長期間放置していたためにシミが完全に浸み込んでいて落ちません。冷蔵庫の整理が片付いてもシミは落ちなかったので、今度は洗剤を買いに行きます。

 DCMまで向かい、洗剤を購入します。仙台にもDCMはありますが、ムサシやカインズなどにしか行ったことが無いので新鮮に感じます。

 また家に帰って早速洗剤を掛けます。一部はあっさりと駆逐されましたが、いくつかは時間が掛かりそうです。なので、洗剤をかけてから少し時間をかけてみます。その間に地域住民に挨拶をします。祖母は顔が広いので帰省したら必ずと言っていい程見回りをしなければなりません。 

 なので準備をしていると祖母から悲鳴が聞こえました。何ぞやと思って急いで駆けつけると祖母がこけていました。どうやら洗剤を誤って踏んでしまった模様。幸い母が支えたことにより骨折などの大怪我を負うことはありませんでしたが、あおたんが出来たとのこと。

 とりあえず祖母を車に乗せて知り合いの家へと向かいます。まずは祖母の同級生の元へと向かいます。ここから数分もせずに到着しました。インターフォンを鳴らしてみますが特に反応はありません。再度鳴らしますが依然として反応はありません。祖母曰くパチンコに行っているのではと。田舎はこれしか娯楽が無いからねぇと言っていました。

 次に向かうのは祖父の同級生です。こちらは基本的にいつでもいると言っていたので期待大です。しかし、インターフォンを押しても反応はありません。こちらも不在なのかと思いながら車の方へと向かいます。すると、祖母からまたもや悲鳴が。振り返ってみると段差につまずいて倒れそうになっています。いくら母が支えているとはいえコンクリにこけると骨折してもおかしくないので全力ダッシュして祖母を支えます。なお、あと一歩足りず左肩しか支えることが出来ませんでした。ですが、母が尽力したおかげで何とか祖母に大怪我が及ぶことはありませんでした。そして祖母の悲鳴を聞きつけてか、家の中にいた祖父の同級生が慌てて玄関から出てきました。

「奥さん!大丈夫かいな!?」

 祖母と同じ年齢のはずなのに祖母よりも速いスピードで祖母のもとに駆け付けます。そして介抱して車まで乗せてくれました。こちらの方は明らか元気そうです。後から聞いたのですが、どうやら祖父の同級生は趣味で運動をしていたとかなんとか。成る程、どうりで体が俊敏に動くわけです。

 お昼時をとうに過ぎていたので今からご飯を食べに行きます。向かう先は天一です。祖母が久しぶりに食べてみたいと言いだしたからです。もう80歳以上なのに豚骨ラーメンなんて重くて食べれないのでは? 

 ですが、そんな心配をよそにあっさりを注文して食べだします。そして意外にも食べるスピードが速いです。本来ならゆっくり食べる予定だったのですが、あまりにも速過ぎたので私も食べるペースを速めてしまいました。

 豚骨ラーメンは案の定うまいです。やっぱコッテリで麵が硬いのが一番です。私が通っている学校では醤油ラーメンが人気なのですが、豚骨ラーメンがどう足掻いても一番美味いと思います。個人的に一番好きな豚骨ラーメン店は一風堂。まだ白丸しか食べれていないにわかですが、いつかは赤丸にも手を出してみたいです。

 

見舞い 

 

 ご飯を食べ終わると再度家に戻って掃除の続きをします。洗剤が効いたのか全ての汚れが落ちました。そこからゆっくりしようと思いましたが、叶いませんでした。理由は祖父の見舞いに行っていないからです。

 という訳で今度は愛媛県立新居浜病院に向かいます。通称県病院です。県病院は私が知っている姿とは違い、所々に木を交えたお洒落な姿になっていました。恐らくリフォームをしたのでしょう。最初、ここの病院に掛かって癌だと断定するのに3~4週間近くかかったのですが、東北で母がパラガングリオーマと断定されるまでに一週間も要さなかったので、遅くね?と思っていました。ですが、ネットで調べる限り普通は22日くらいかかるので普通ぽいです。逆になんで母が一週間もせず断定されたのかが不思議です。

 取り敢えず、看護師に頼んで祖父を連れてこさせます。見る感じ今までの姿とは変わりありませんが、やはり筋肉量が落ちています。元々はそれなりに腹回りが大きかった祖父ですが、明らかに痩せています。やはり癌との格闘は苦労したと、祖父の体から痛いほどに伝わってきます。ですが、気力はそんなに落ちている様子はありません。いつも通りギャグを決めていきます。祖父のギャグは相も変わらず一級品ですが、どことなく私の心には悲壮感が漂います。本当に大丈夫なのか、無理をしていないのか、過呼吸になってしまう程心配になります。

 祖父には出来る限りの笑顔を作って何とか病院から出ます。大変苦しい時間でした。ちなみにですが、祖父は元日には退院できるそうです。

 病院を出て車を待っていると、仙台ではもうお目に掛かれる機会が減ってきているエアロミディが来ました。調べてみたところエアロミディの中でもPA-MK2と呼ばれるものだとそうです。2005年の新排ガス規制に対応するためにIC付きターボエンジンである6M60で5速MTが、9mノンステップバスにはオプションでATが、2005年の秋には9mワンステップが設定されています。また、この代からサスペンションはエアサスに統一されたとか。

 ですが、三菱のリコール隠しによって、この代のエアロミディはあまり買われることがありませんでした。特にATはレア中のレアで、仙台市交通局が二台採用したぐらいしか私の手元では情報がありません。

 

から揚げを買いに行く 

 祖父の見舞いも終わり、やっとゆっくりできると思いましたが、母が思い出したように言ったのです。

「そういえば、カリッジュは?」

 カリッジュというのはこの辺りでは非常に有名なから揚げ店。話によるとサイズが大きく、非常にジューシーなんだとか。

「あぁ、しまった。買うのを忘れとったわ。」

 祖母が言います。てなわけで買い物に向かいます。もう16時だよ。ばぁちゃん。休ませてくれや。

 そうしてカリッジュまで向かいます。店内は子供向けの玩具や観葉植物なんかが置かれており、奥の厨房で老夫婦らしき人が調理をしています。やはり正月の準備なのか、多くの人が椅子に掛けて待っています。飽き飽きしたので外に出てみると、とんでもねぇ奴がいました。

 白色の80スープラですよ!なんちゅうカッコよさでしょうか。私はランエボやインプ、セリカ、GT-R、GTOみたいなハイパワーターボ+4WDみたいなスポーツカーが一番ロマンに感じる人なんですが、それでもスープラはいつ見ても五度見するぐらいカッコいいです。それにスープラはGTOとドラッグレースにおけるライバルですからね。

 80スープラのリアウイングはやはりあのド派手な見た目。仙台でもたまに80スープラを見かけることがありますが、そっちのスープラはウイングを変えているんですよね。正直なところ純正ウイングの方がかっこいいと思います。あと、TRDも貼られていますね。やっぱりカッコイイです。正直なところデザイン的には現行スープラが一番好きなのですが、ウイングはやはり80が一番です。

 マフラーは拳丸々スッポリと収まってしまいそうな程大きいものでした。愛媛県に来て最初に見るスポーツカーがまさかのこれだとは…仙台よりも楽しめるかもしれません。

 スープラを10分ほど鑑賞していましたが、そろそろから揚げが出来る頃なので店に戻ります。戻ったころには既に会計を済ませており、これから出ようとしていたころでした。

 家に帰る途中でから揚げを摘まみ食いしましたが無茶苦茶美味いです。噂通りのジューシーさで危うく口の中を火傷するところでした。また、ショウガや塩などで味を聞かざらず、素材本来の味で勝負をしているような感じでした。こういうのは、後で自分なりにアレンジするときに幅が広がるので、その姿勢も含めて好印象です。衣はサクサクというよりかはザクザクと形容した方が良いでしょうか。しっかりと調理されているんだなと伝わります。

 

晩餐 

 

 家についてやっとゆっくりできると思ったのも束の間。16時をとうに過ぎていました。父方の祖母からは17時くらいには帰ってくるように言われたので、もう車に乗って帰らなければなりません。

 なので、ゆっくりすることはできずに車に乗って西条市へと向かいます。日はとうに傾いています。愛媛県の夕暮れは同じ太陽とは思えない程綺麗で、仙台の夕焼けとは明らか違った姿を見せます。愛媛の方が空気が良いように感じます。

 仙台は田舎なのに周りの人たちが都会都会と口をそろえて言うので呆れます。一番ひどかったのは、修学旅行で京都市街地を歩いて回ったにも関わらず

「仙台は京都とため張れる都会だな。」

 と言った時には、こいつマジかよ。ってなりましたね。京都と仙台って規模が違いすぎますよね。仙台にもJRはありますが、快速列車なんてめったに来ません。いくら同じ新幹線があると言えども、東海道新幹線と東北新幹線を一緒にされては困ります。個人的には民度も違います。京都人はプライドが高くゲスいというのは一理ありますが、それ相応の誇りと歴史があります。仙台人は京都人よりもプライドが高くてゲスく、歴史も文化もまともに開花したのは伊達政宗が発展に尽力してからです。

 一番イラっと来たのは愛媛には新幹線が無く、鉄道も貧弱でアクセスが終わっていると言われた時です。愛媛県西条市出身の十河信二がいなかったら新幹線なんて絶対開通していません。路線本数を見れば確かに愛媛の方が鉄道は貧弱かもしれませんが、仙台にはない路面電車がありますし、大規模な私鉄である伊予鉄がいます。仙台には市営と空港鉄道、阿武隈以外はパッと出てくる私鉄はありません。しかも、どれもこれも伊予鉄の足元にも及ばない弱小会社です。

 失敬、少し下らないことを書きましたね。車はあっという間に西条の実家に到着しました。私の実家はいつ見ても大きい家です。やっぱ良い家です。

 家に帰宅すると、早速ご飯を食べます。昨日と同じあのかっぱ巻きです。流石に二日間これは飽きます。ですが、口に詰め込んで食します。もう味も覚えていません。一応これ正月のブログなので( 投稿6月)

 正直、楽しみにしていたのはご飯よりも父方家族の言葉の掛け合いでした。まぁ、言葉選びが秀逸なんですよね。我が家は。また、酒が入るとこれが特に面白いです。我が家には明石家さんまを9等分した才能が与えられているようなものです。いや、明石家は流石に盛ったか?まぁ、良いか。

 

団らん 

 

 なんだかんだ言って食事に1時間かけて完食します。そして、次にしたことはマリカです。我が家では正月になると親戚同士でマリカ大会をします。そこで猛威を振るうのがルナ姉ちゃん、レナ姉ちゃんと呼ばれる二人です。特にルナ姉ちゃんに関しては去年は誰一人として手が付けられなかったので、今年度こそはボコボコのケッチョンケッチョンのマヨネーズにしてやろうという訳です。

 私はどのキャラが強いとか良く分からなかったので、大抵キャラデザで決めています。特に選んでいるのはスプラのボーイ(紫)です。マシンは単車のスタンダードなもにしています。まぁ、これが一番好きなので。一年ぶりの対決ですが、腕は上々です。150ccでトップを安定して取れる段階まで来ています。ルナ姉ちゃんレナ姉ちゃん両方とも大阪で大学生生活を送っているので、マリカをする時間がないはずです。恐らく善戦することが出来る筈です。

 7時になると祖母が見たい番組があるのでこれを観ます。大晦日や元日の番組は大抵豪華なので見ていて非常に面白いです。特に面白いと思ってみていたのは「ザワつく!」です。高嶋ちさ子の言葉の切れは一級品です。遠慮がなく、ぼろ糞に言ってしまう辺りが好きです。私もあそこまでの語彙力と頭の回転力を付けたいところ。ああいうタイプは絶対にボケることはありませんね。

 あと、正月といえば歌唱番組ですね。歌唱番組と言えば、一時期ネットで「ビビデバが紅白でねぇってどうなっとんねん!?」という騒動がありました。私もこれを知ったときは「うせやろぉ…」ってなりましたね。色々調べてみたところ、利権問題やネット中心の人気であること、ツアーで星街さんが忙しい事などが挙げられます。

 個人的な話になりますが、私はボカロとかVの歌とか全然嫌いではありません。未だに昔のネットでしか流行ってねぇ陰陽師とか、ゆとりで流行ったウマウマとか聞きますし。ボカロに関しては1歳児から(なぜか)聞いていた重音テトのお茶目機能とか、千本桜とか、オーバーライドとか、テトリスとか、メズマライザーも好きです。東方関連になってしまうますが、最近出されたHelp!me! ERINN!とかはもう腕を上下しながら聞いています。Vの歌は最初にお婆さ…宝鐘マリンさんのI’m Your Treasure Boxに出会って、美少女無罪パイレーツや、猫背のイラストレーターである時雨ういが歌ったロリ神、らでんさんが出したまいたけダンスやしめじダンスも聞いています。(しめじはデスノートの動画からしったけど…)

 ですが、私の父は紅白には大満足でしたね。まぁ、父は根っからのB'zファンでして…。ゲストでB'zが出たときは「うぇ!?」って声を出していましたね。

 

参拝 

 暫くして、0時になると和室に連れていかれます。理由は天理教の神様をお迎えするためです。この作業は父と祖父が共同で行います。鏡を開けるときには、たまに寺とかで聞くであろう「オー」という声を出しながら変なマスクを着けて作業します。これが失礼ですが、馬鹿面白いんですよね。普通に笑いそうになります。想像してみてください。自分の祖父と父が「オー」と声を出しながら変なマスクを着けながら小さな扉を開けていく様を。無茶苦茶シュールです。ですが、ここで笑ってしまうと怒られるので必死に舌を噛んで堪えます。

「んっぐ…WWW」

 隣から笑い声が聞こえてきました。見てみると叔母さんが酔っていたのか、3分近く遅れてなった除夜の鐘にツボっていました。

「静かにせんかい。」

 祖母に怒られて何とか収まりましたが、逆にこっちが余計に笑いそうになってしまいました。先ほど書いた通り、笑うと失礼なので全力で堪えます。

 何とかこの場は凌ぎ、もう夜も更けているので、さっさと寝ます。とりあえず、明日は祖父の退院があるので、その送迎と両家の正月祝いに参加します。

 

 

早朝の特別な地下鉄 


 今回は私の地元である愛媛県へと向かいます。飛行機を使えばすぐにつくのですが、私の幼馴染と会ったり、高速バスでの移動だったりするので朝5時から移動します。辺りは暗いですが、この暗さが私のテンションを引き立ててくれます。いつもの風景の中で誰もいない状況って心が躍ってしまいますよね。

 6時数分発の1000N系に乗車します。この電車は南北線開業当初からいた1000系をリニューアルして使われています。また、ブルーリボン賞も獲得している名車です。とはいえ、最近は故障続きで寿命が近い車両ですけどね。そのためか、最近は新車も投入されています。また、この車両は一二年前くらいにさらに更新されて、ドアチャイムがブザー式から変わりました。

 八乙女駅の高架区間を通過したのち、黒松駅に到着しました。大晦日だからなのか、意外にも多くの人が電車に乗ってきています。黒松駅は天井が吹き抜けになっているところがあり、デザイン的に好きな駅の一つでもあります。

 次は旭ヶ丘駅です。この駅は住宅地がある為か、市営のコミュニティバスが通っています。また、ここから仙台駅へと向かうバスもでています。あと、この駅の近くには台原森林公園という場所があり、たまに蛍も見ることが出来ます。

 そんな台原森林公園は暗くて何も見えません。でも、いつもは見れる景色が早朝で見れないのもまた一興。面白くてたまりません。私の心はひたすら踊り続けます。早く行きたい。でもこのままでも居たいという相反する気持ちが私の中でなぜかマッチして心が躍動し続けます。

 次は北仙台に到着します。北仙台駅では仙山線に乗り換えできます。英検を受けるときもよくこの駅で下車します。北仙台駅に着くとここからいよいよ仙台市街地の中心部へと入って行きます。仙台駅へと着実に近づいていきます。

 北仙台駅のロングストレートの後に車体を大きく曲げて勾当台公園駅に到着します。この時点でだいぶ乗客が増えてきており、写真を撮るのも一苦労。いつもなら通勤客が出ようと必死になっているところですが、今回は乗る人だけです。

 そして広瀬通駅へと到着します。広瀬通駅では私がコロナのワクチンを接種したビルのすぐ近くです。ちなみにですが、副作用で3日ほど寝込みましたね。ですが母からは勉強しろとの一点張りだったのを思い出します。

 切れていて見ずらいですが、仙台駅に到着します。と言っても、ここからだとあおば通駅が一番近いですが。いよいよ地上の電車に乗ることが出来ますよ。いつもは地下鉄移動なので非常に楽しみですね。

 

仙台空港アクセス線に乗る 

 仙台駅に到着すると、コロナの副作用でゲロした私と同レベルの勢いで帰省客を吐き出します。吐瀉物は流れてJR仙台駅という下水溝の出口を目指します。無論、私もその一人です。

 連絡通路は途中で経由する店がまだ開店前なので一度地上に上がります。まだ朝日は少ししか出ておらず、夜明けと呼ぶには少し早い感じです。でもまた、これがテンションを上げます。

 ニューデイズにて買い物をしたのち、三番線にて仙台空港アクセス線を待ちます。その間、右手にはプレハブの701系がいました。これから白石まで移動したときにはよくこの車両に乗らされていますが、今日は嫌という感情よりも絵になるという気持ちがあります。

 左手には気動車の割には加速が化け物であるハイブリット車のHB E210系。車内をちらっとしか見たことがありませんが、電気に変えるための発電機を積んでいるためか、結構車内は狭かったはずです。

 6時42分発の仙台空港アクセス線仙台空港行に乗車、伊丹空港みたいに名取市と岩沼市に跨っている仙台空港に移動します。

 今回乗車するSAT721系はE721系500番台と連結することがあり、内装や設備自体もE721系と酷似しています。じゃなきゃ連結できませんしね。え?JR北海道?なんのことでしょうか?

 内装は相変わらずの硬いシートに突っ張りだした背ズリ。空港アクセス線のくせして狭い通路というひどい様。まぁ、狭軌なのがいけないんでしょうけど、JR西日本の関空快速は座席数を減らすことで対応してますから頑張ってほしいものです。トイレはしっかりとバリアフリー対応で高評価です。しかし、

こ れ は ひ ど い

紫外線カットの窓ガラスをケチって青いフィルムにするなんてまぁなんて酷いケチっぷり。なんでだよ。

 なにがともあれ、電車は定刻通りに仙台駅を発車します。最初は朝日に照らされる仙台市街地を徐行しますが、橋を過ぎたあたりから電車が急加速して長町駅へと向かいます。

 途中で広瀬川を渡って貨物線と合流し、長町駅へと入線します。

 長町駅は仙台市営地下鉄と乗り換えができるほか、東北新幹線も見ることが出来ます。ここから新幹線を見るときはだいぶ早く見えますが、新館背に乗ってると、在来線に負けるんじゃねぇかってぐらいに遅く感じます。

 元々長町は仙台第二の都市と言われるほど大きくは無かったのですが、最近は新しい施設が増えてきたためか、結構栄えている印象です。

 長町駅のすぐ近くに位置しているのは太子堂駅。長町駅を発車してものの数分後には到着します。ですが、この太子堂駅を過ぎた辺りから仙台の田舎な部分がチラホラとお見受けできるようになります。

 辺りにはビニールハウスが見られます。ここから東北本線は名取市街地で再度賑わいを見せるも、名取以南はだいぶ田畑が多くみられるようになります。

 南仙台駅に到着です。南仙台駅から南は地上駅となります。この駅は夕方ごろには帰宅ラッシュで混みこみになるところです。でも早朝の今は特に乗る人はいませんでした。あと、南仙台駅は名取川を南に渡ったところにあるので名取なんじゃね?って一回思ったのですが、どうやらこのエリアだけなぜか仙台市に入るそうです。

 電車は周りの景色が賑わいを見せる地域を走行した途端に減速。名取駅に入線します。名取駅は仙台エリアの東北本線の中でもそれなりに珍しい4番線も持つ駅です。理由はここから東北本線と仙台空港アクセス線が分かれるから。利用客もそれなりにいる駅です。

 名取駅発車後、仙台空港アクセス線は単線高架区間に入って爆走しだします。壁が近い分なおさら早く見えます。日も出てきて明るくなりだしました。

 美田園駅に到着すると車体を大きく傾けて停車します。足腰がそんなに強くない私はこの駅がそんなに好きではありません。この駅は一度、某ドラマの主人公と名前が一緒だったため、コラボしたことがあります。

 美田園駅を発車すると再度車体は大きく傾いて高架区間から一気に地下区間を走行しだします。これは、仙台空港の滑走路の邪魔にならないようにするためです。つまりどういうことか、

 仙台空港駅に到着するという事です。ここから最初の目的地である大阪へと向かうわけです。

 

仙台空港 

 元々仙台空港は矢ノ目飛行場という海軍の基地で、GHQに支配されていました。

 1956年にGHQから返還され、その翌年には仙台飛行場として開業しました。開業して以降、航空会社が次々と空路を広げていき、ここ仙台空港にも多くの旅客機がやってきました。また、1964年には仙台空港と改名しました。

 1986年には国際線にも対応するために滑走路を拡大して、1990年にソウル・グアム便が就航、結果、東北初の国際空港となりました。また、その後にも多くの便が就航したために、新ターミナルを建設し、1997年に全面開業しました。

 2011年にはみなさんご存じである東日本大震災が発生しました。旅客、従業員のみならず、周辺住民までもがターミナルビルに避難しました。震災発生5日後には滑走路を部分復旧させ、米軍の飛行機が着陸しました。また、空軍が管制官の仕事を担ったので、空港機能が復活しました。

 震災から一か月後には臨時便の旅客機を飛ばして本格的に復旧しました。また、最近は新たな搭乗口も造られ、進化を続けています。

 そんな仙台空港でお土産を書く予定でしたが、あんまりよさげなものが見つからなかったので買うのをやめてしまいました。買っておけばよかったなぁ。

 やっぱり正月からなのかだいぶ混んでます。うわぁ。ちなみにですが、今回乗るのはANAです。

 萩の月の馬鹿でかい広告です。実はこの広告、元々はパタパタでの発車案内だったんです。最近はテレビに変わりましたが、パタパタが一番見やすかったです。

 

いざ大阪へ 

 

 8時手前の飛行機に乗って大阪へと向かいます。機材はB767でした。多分、12月30日で移動する人が多いのでいつもならB737のところが、変ったんでしょうね。前に乗ったときはB767でも国際線仕様でした。今回は国内線仕様です。

 空港にエアロスターのワンステップらしきものが。ここからだとよくわかりませんが、確か朝野君がこういう窓の車は珍しいなんて言ってた記憶があるんですよ。一応撮っておきました。

 さて、飛行機は一気に轟音を立てて急加速。座席にめり込まれるような感触が伝わります。飛行機に乗ったとこは何度もあるのでそんなに嫌ではありませんが、今回は怖かったです。なぜかというと、フラップをずっとパタパタさせているから。しかも取れそう。B737でもこんなにパタパタさせたことは無いのに。

 飛行機が空を飛んでしばらくすると、一つ大きい山が見えてきます。恐らくこれは磐梯山です。磐梯山は東北のリゾート地にそびえる大きな山で、小学校の頃の修学旅行ではこの辺りに行ったのを覚えています。

 1888年には、磐梯山山頂北側で水蒸気爆発で山体崩落を起こしています。結果、その時に発生した岩が川をせき止めて五色沼が出来ました。なんなら5万年前にも川をせき止めて猪苗代湖を造っています。

 2007年には日本地質百選、2011年にはジオパーク入り、2016年にはミシュラン・グリーンガイドから一つ星評価を受けています。

 私は修学旅行以外でもここに行ったことがあるのですが、その時はあいにくの強風で私は火口を見ることが出来ませんでしたが、父が必死になって見に行ったのを覚えています。何度か足を滑らして危うく落ちるところだったらしいです。怖いなぁおい。

 日本アルプスを越えていきます。やはり雪をかぶっていますね。学校で必ず習わせられる山脈ですから知っている人も多いでしょう。

 そもそもなんでアルプスって呼ばれているのか。皆さんご存じの通りアルプスはヨーロッパにあるアルプス山脈ものです。アルプスはその雄大な姿から高山の代名詞として名をはせており、いつしか景観が似ているものは何でもかんでもアルプスという名前を冠するようになったのです。

 そんな日本アルプスの魅力は何といってもその姿と自然と言えるでしょう。険しい岩山、美しい稜線、白く輝く雪化粧、可鈴な高山植物などの様々な自然を見つけることが出来ます。さらにはジオパーク、国立公園、ユネスコパークなんかにも選ばれていることも考えると世界にも日本アルプスは認められていると言っても過言ではないでしょう。

 こちらは恐らく三重県でしょうか。奥に見える川は木曽三川でしょうね。日本アルプスとは一転して海と家々を見下ろすことが出来ます。

 三重県といえば近鉄とJR東海の戦いが見どころなのではないでしょうか。近鉄の特急しまかぜやひのとり、アーバンライナーに伊勢志摩ライナー、それにあらがう特急南紀と化け物快速みえという構図は一回で良いからまじかで見てみたいものです。名古屋には一度行ったことがありますが、紀勢本線には乗ったことがありませんからね。ちなみにですが、私は一度近鉄の伊勢志摩ライナーで賢島に行ったことがあります。その時はまだ幼く、電車のことなんてデザインでしか好き嫌いを判別できませんでしたが、また乗っていみたいと思わせる特急でした。

 恐らくこれは奈良上空を飛んでいる写真ですね。奈良といえばこちらも近鉄王国でJRはボコボコのけっちょんけっちょんのマヨネーズにされているイメージですが、大和路快速や臨時特急であるもののまほろば号もあることを考えると意外と張り合おうとしているのではないでしょうか。

 そういえば私が通っている塾の校長がここに行ったことがあると言っていましたが、法隆寺付近で自販機とコンビニが無く、飲み物を我慢させられたとおっしゃっていましたね。まぁ、田舎ですからね。

 飛行機は関西本線にとって最大の障害であった生駒山地を越えていよいよ大阪府へと入り、急旋回して伊丹方面へと目指します。ここから伊丹空港まではあと10分くらいしか猶予がありません。

 

 少し奥らへんに見えるのが大阪城です。昔はいま飛んでいるところでさえも城であったことを考えると大阪城の規模感がいかにすごいもであったのかを感じることが出来ます。そう考えると、徳川家康が二の丸、三の丸をぶち壊したい気持ちになったのも納得です。ちなみにですが、私はここにある観光施設にてゴム製の手裏剣を貰ったことがあるのですが、その手裏剣が空港の手荷物検査にて引っ掛かり、慌てた結果航空券をなくしてしまうという醜態を晒しています。

 大阪市街地へと入るときには避けて通れない淀川です。仙台市民はよく広瀬川は大きくて自然豊かだと言い張りますが、雄大さにはこの淀川には敵わないと思っています。ここを過ぎると伊丹へはもうすぐです。

 伊丹空港です。ここは住宅地のど真ん中に位置しているために住民と揉めているイメージがあります。けど、急行やモノレールで移動できることを考えると関空よりもこっちの方が便利なんですよね。

 

大阪駅へ向かわん 

 ここが伊丹空港です。私が大阪府へと行くときにはいつもこの空港を利用しています。前にも書いた通り、便利ですから。

 伊丹空港は昭和14年に大阪第二飛行場として開かれ、昭和34年には国際航空路線に必要な空港として第一種空港として大阪国際空港と改名しました。当時はアジアの航空路線を担当していましたが、1960年代後半から北米・欧州からの航空路線も担当するようになり、1964年には初のジェット機がきました。

 平成6年には関空が開業し、国際線の担当は関空に任せて伊丹空港は国内線を担当するようになりました。

 空港にある赤い店は大阪に来たら外すことのできない551の豚まん蓬莱です。コンビニのものばっか食っていると、ふと恋しくなっちゃうんですよね。ここでは買いませんが大阪駅にて購入します。

 大阪府方面の出口を出ると大阪モノレールの駅である大阪空港駅に移動できます。ここからモノレールに乗って蛍池駅に移動。その後は阪急の急行で大阪梅田を目指します。

 やってきたのは2000系です。大阪モノレールとしては初めてVVVFインバーターによる制御方式を導入した車両です。最近は3000系が出ているはずなのですが、大阪に行くたびに乗る車両はこれです。あと、顔面が銀座線の01系とか02系に似ている気がするんですよね。

 車内は車両との連結部には仕切りは無く、開放的です。うるさいんじゃねなんて思ったんですが、意外にもそんなに気にありませんでした。

 定刻通り電車は大阪伊丹空港駅を発車しました。この時に一番びっくりしたのがドアチャイムが阪急と同じという事。何か接点でもあったのでしょうか。

 蛍池は大阪国際空港駅から一駅先にあります。結果、直ぐについちゃうのであんまりモタモタはしていられません。今回私は座席に座りましたが、一番いいのはこの時は何かにもたれて、阪急乗り換え時だけダッシュで行って一番に乗り換え、席に座るのが良いと思います。

 蛍池で待っていると茶色のカッコイイ車両がやってきました。1000系ですね。走行装置に低騒音型機器を採用して車両の騒音の低減を図りました。高効率な車両機器を採用し、照明をすべてLED化の直接照明して従来の車両から半分のエネルギー削減に成功しています。座席端部の仕切りを大型化して急停車時にも対応できるようにし、手すりも併せてつけられています。

 車内はやはりの混雑。座るのは厳しく常に立っていました。11月の夜中に大阪に行ったときは何とか座れましたが、今回はやはり12月なので座るのは難しそうです。

 と、書いたものの何とか十三から座ることが出来ました。と言っても、ここから座ったところであんまり恩恵は無いですけどね。まぁ、ありがたいことに変わりはありません。

 

昼食を食べよう 

 

 電車は大阪梅田駅に定刻通りに到着。何度か大阪には行ったことがあり、幼いころに住んでいた地域でもある為大阪駅まではなんとか行くことが出来ました。このあとは幼馴染と会食をするためにも急がないといけないので、少し歩くペースを早めます。

 しかし、大阪は仙台の進化スピードとは比べ物になりません。前見たときと景色が違い過ぎて普通に迷子になりました。幼馴染から場所の手がかりを教えてもらいつつ頑張ってお好み焼きのお店に到着しました。ゆかりというお店です。

 ご飯は結論から言うと普通に美味かったです。流石は天下の台所大阪です。ちなみに、幼馴染の名前は聡(仮称)と尚氏(仮称)とします。聡と尚氏に関しては兄弟で尚氏が弟です。

聡「久しぶりやなぁ。」

私「そうやね。前あったのはいつぐらいやろか?」

尚「腹減ったわ。まず注文してほしい。」

聡「はいはい。」

私(広島焼食いてぇけど、大阪で頼んでいいんか?)

聡「じゃぁ、俺広島焼。」

尚「おれ普通ので。」

私(神かよ)

  「広島焼で。」

 そんな感じの他愛のない会話しているとまもなくやってきました。味は麺がもちもちでめちゃくちゃ美味かったです。地元に帰ると親族が経営している店があるのでそので食べますが、やっぱり広島焼が良い。

 しばらく食べていると

尚「おれ焼きおにぎり食いてぇ。」

聡「えぇ、この店焼きおにぎりないやん。無理やろ、諦めんかい。」

尚「嫌や。」

私「じゃぁ、つくっか。普通のおにぎりなら頼めるし、それを焼こう。

 てなわけでおにぎりを注文して焼きおにぎりを作ります。でも普通の油ではやはり上手く焼けません。なのでマヨネーズをぶち込んで焦げ目をつけますが、ちょっとしか着きません。

 どうしたものかと悩んでいると、尚氏がえいやっとお好み焼きソースを掛けました。直後、お好み焼きソースが沸騰、辺りに飛び散ります。

尚「あっつぅ!!兄ちゃん何とかしてや!」

聡「無理に決まっとるやろ!自分の穴は自分でふけ!」

 と言い合いに。その間、私は鉄板の電源をすぐに切り、ソースを端に捨てました。普通に熱かった。

 いろいろありましたが、何とか焼きおにぎりは完成しました。味は普通に美味かったです。ソースでテンパりましたが、あれが味噌のような役割を果たしてくれたので味がしっかりとついていましたし、焦げ目もしっかりついていました。何気に、ソースを入れたのは英断だったのかもしれません。

 

うめきた新駅 

 

 その後は、私がうめきた新駅に行きたいと要望したため、聡が連れて行ってくれました。

 うめきた新駅です。近くにはワークステーションもあり、ここで少し長い空き時間が出来ても大丈夫そうですね。また、噂に聞いていた通り、顔認証だけで通過することが出来る自動改札もありました。行きたかったですが、JR西日本公式アプリを入れる必要があったのでしませんでした。代わりに、通行券を購入して駅内を移動しました。

 写真にある通り、案内板があります。電車がやってくると上部の案内板に表示されます。大きく表示されるのが良いですね。大変見やすいです。

 案内板には湖西経由敦賀と表示されています。元々サンダバは富山まで行く特急でしたが、北陸新幹線開業で金沢までになり、今回の延伸で今度は敦賀止まりとなりました。正直言って大阪と金沢の距離が空いた気がしますね。新幹線延伸は通常は良い事なんですけどね。我らがサンダバがどんどん弱まっている気がして、いつかサンダバが消えそうで怖いです。あと、個人的な感想なんですが、サンダーバードとしっかり表示されていることにも時代を感じてしまうのは私だけでしょうか。大阪駅の三色LEDのイメージが強いのでサンダバという表示が一番しっくり来てしまいます。

 でも、特急電車がしっかりとここ大阪駅に到着するようになったのは非常に好感が持てます。今まで大阪から和歌山に移動するなんて言ったら時間をかけて紀州路快速乗るよりも、くろしおに乗った方が便利ですが、乗り換えが面倒でしたからね。一本で移動できるようになったのは非常に素晴らしいです。あと、自動で場所が変わるホームドアなんかも素晴らしいです。

 

551蓬莱 

 大阪に来たら一度は食べてみたいのは551の豚まん蓬莱です。まだ幼稚園だった頃にたまに買ってくれて食べました。当時は天王寺駅にある出店で購入していましたが、今回は大阪駅にて食べます。やっぱうまいです。コンビニのとは比べ物になりません。ジューシーでめちゃくちゃ美味いです。うめきた新駅の近くで食べましたが、あまりにも美味しくて二個ぐらい食べてしまいました。実家に帰ったらどうせたらふく食わされるのに。ちなみにですが、このことを叔母さんに伝えたら私たちも食いたいから買ってほしいと頼まれ、父が30分間ならばされてました。

 ところで皆さん。なんで551って名前なんだろうって気になったことはありませんか?まぁ、数字を採用するなんて企業なんて普段はなかなか見ませんからね。蓬莱を創った人は羅邦強で、蓬莱という名前よりもお客さんから親しみを持ってい貰いつつ、覚えてもらうための名前を考えていたそうです。しかし、なかなか名案は浮かんでこず。そこで休憩のために煙草を吸ったそうです。その時に外国のたばこである555(スリーファイブ)を嗜んだ時に閃いたのです。漢字や仮名文字は中国や日本でしか通用しませんが、数字ならば万国共通なので誰でも覚えれます。その時の本店の電話番号が64-551だったので、ここ(55)で一番(1)を目指すという意味も込めて551蓬莱という名前になりました。

 

再出発 

 

 ハービスという場所で自分たちが乗るバスを待ちます。写真に写っているバスは神姫バスのエアロバスです。私はこのエアロバスは乗ったことが無いのでいつか乗ってみたいバスの一台でもあります。たしか、リコール隠しがあったときに生産されていて、多くのバス会社が購入するのを差し控えたバスであったはずです。ですが、今は問題はないはずです。

 やってきました。今回乗るバスである瀬戸内バスの三菱エアロエース。今回乗る最後の公共交通機関でもあります。このバスで私の祖父が待っている伊予西条駅へと向かいます。そしてここで幼馴染とはお別れです。

 この新型のエアロエースは8速AMTを搭載して、2ペダルで運転することが出来ます。さらにアクティブ・サイドガード・アシストや歩行者検知機能付のアクティブ・ブレーキ・アシスト4、ドライバー異常事対応システムを搭載しました。このアクティブ・サイドガード・アシストはバスの死角にバイクや自転車がいると、バス側面にあるセンサーがバスが曲がる際に反応して、そこにバイクなどがあることを知らせてくれます。

 また、搭載されているエンジンは6S10エンジンで小排気量化、軽量化を果たしつつ、強大なエンジンの回転レンジ、一層進化した2ステージターボ、高圧コモンレールシステムなどを導入した結果、ノンストレスな加速性、強力な動力性能を獲得しました。その上、ISSを採用して燃費も向上しました。

 AMTがもたらすスムーズな走りに加え、車内移動が容易な客室フラットフロアなどの快適設計になっており、乗客のみならず、運転手の負担軽減も図られています。

 さらに、小排気量のエンジンとAMTが融合することで運転手によって差が生まれやすい燃費を極力良くなっています。二酸化炭素の排出量を極力抑えて排出ガスのクリーン化がされます。

 

 大阪市街地を縫うように進んで海老江ランプから高速に入ります。阪神高速3号線です。ちなみにですが、奥に見えるのは阪神電鉄です。

 阪神高速3号線は大阪市西区から神戸須磨区までを結ぶ全線が高架化されている高速道路です。1966年に京橋出入り口~柳原出入口が開業し、その2年後には柳原出入口のさらに西に生田川出入口が、京橋出入り口の東側に若宮出入口ができました。1970年には西宮IC~摩耶出入口が開通し名神高速道路と接続。さらに月見山出入口付近で第二神明道路と接続します。そして1981年にはついに阿波座JCT~西宮ICが開通したことで全線開通しました。

 しかし1995年にあの大災害が発生しました。阪神淡路大震災です。これによって全線損傷。東灘区では635mにわたって高架橋が横倒しになりました。多分、多くの人がテレビでその映像を見たことがあるのではないでしょうか。それから1か月後には姫島出入口~武庫川出入口が復旧しました。なお、一般車は武庫川出入口にて通行規制される国道43号線の影響で尼崎東出口までしか通行できませんでした。

 1996年には一気に修復工事が行われました。2月には摩耶出入口~京橋出入口が復旧しました。7月には京橋出入口~柳原出入口が復旧。8月には深江出入口~摩耶出入口、柳原出入口~月見山出入口が復旧。9月には武庫川出入口~深江出入口が復旧しました。これで全線復旧しました。

 2008年には芦屋出入口~摩耶出入口で初の終日通行止で集中工事を行いました。2010年には湊川JCT開通。これにより31号神戸山手線と接続できるようになりました。その3年後には海老江JCT開通により2号淀川左岸線と接続しました。さらに海老江JCT~姫島出入口を6車線化しました。その2年後には武庫川出入口~深江出入口で終日通行止による集中工事を、1年後には阿波座JCT~尼崎西出入口で終日通行止による集中工事を行います同時に尼崎本線料金所で料金収受を終了し、設備も撤去しました。2019年には尼崎PA供用再開します。そして湊川出入口~京橋出入口で終日通行止のよる集中工事を行います。どんだけ工事すんねん。2022年には摩耶出入口~芦原出入口で終日通行止でリニューアル工事を行います。その1年後には京橋出入口~摩耶出入口でリニューアル工事を行います。マジで工事しかしてねぇな、この道路。

 バスは大阪駅に向かうときに渡った淀川を再度渡ります。やはり、大阪から移動しようと思ったら基本的にこの川を渡ざるを得ないですよね。

 淀川は琵琶湖を水源とする一級河川です。上流地域は武田信玄が見たかった瀬田川、中流部では宇治川と呼ばれ、桂川、木津川と合流したときに淀川と呼ばれます。

 淀川は日本で最初に大規模な治水工事が行われた川としても有名です。時代は4世紀の頃です。淀川と古川に挟まれた小高い土地(旧茨田郡)に幾度も襲い掛かる洪水から守るために仁徳天皇によって淀川左岸に堤防が造られます。茨田堤(まんだのつつみ)です。茨田堤が古事記や日本書紀にもチラホラ記載があります。茨田堤の正確な場所は分かっていませんが門真市にある堤根神社ではその名残を見ることが出来ます。また茨田に堤を作るときに二か所の難所がありました。そこにどのようにして堤を作るか悩んでいた時、天皇が夢で「武蔵の人強頸(こわくび)と河内の人茨田連衫子(まんだのむらじもこ)を捧げよ」というお告げを聞きます。まず、強頸が川に沈み、人柱となって一か所完成しました。この堤を強頸絶間(こわくびのたまえ)といいます。一方河内の衫子は瓢箪を川に投げ入れ、「瓢箪を沈めることができなければ、それは偽りの神のお告げである。」と言ったと言われています。直後、突風が吹きますが瓢箪は当然沈まず、流されていきました。結果、衫子は助かり、そのまま堤防が造られました。この堤防を衫子絶間(ころものたまえ)といいます。

 明治時代では淀川は非常に浅い川となっていました。長岡京の頃から江戸時代まで瀬戸内海へと抜ける水運の要所として活躍してきましたが、明治時代には砂が堆積したことで水深がどんどん浅くなり、下流の水深は40cmとなります。流心も一定ではなく、昨日通った航路とは翌日には別の航路を通り、40石積んだ船がやっと通れるレベルでした。淀川の中でも特に浅い所は人夫が小舟に乗って河床を掘るという一時しのぎでなんとか通っていました。

 明治時代に招かれたオランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケらが治水工事を行います。目的は水深を1.5mに保ち、蒸気船が淀川を経由して京都から大阪湾まで抜けれるようにすることです。工事では草木を井形に編んで石を沈めるて水深を深める技術を用いました。工事は明治20年代まで続きました。

 明治18年に淀川であった大洪水により、明治29年に河川法を制定しました。これにより、淀川改良工事が本格的に行われることとなります。元々淀川は蛇行した川なので一度洪水が起こると手が付けられなくなります。そこで、当時の大阪の市街地から北側に新たな放水路を作る工事が施されます。結果、守口から大阪湾まで繋がる新淀川により、安全に流せる水の量が飛躍的に増加し、洪水が滅多に起こらない街となります。

 

三ノ宮 

 

 バスは最初の停留所である神戸三宮に到着します。神戸三宮はJRや阪急、阪神、神戸市営地下鉄、ポートライナーが一堂に集結するターミナル駅です。西のチートである新快速もこの神戸三宮に停車します。最近は駅ビルの開発もあるので期待度も高いエリアです。

 1868年に三宮神社のすぐ南に外国人居留地が出来ました。これにより、神戸三宮が大きく発展するきっかけが生まれます。

 神戸港が日米修好通商条約により開かれた時には、ここに多くの商業施設が西洋人によって出来たそうです。居留地西側には次第に清の中国人が集まっていき、現在の中華街も生まれました。三宮神社の西脇を南北に貫くトアロードは市内の山手と居留地を結ぶ大動脈でした。また、同タイミングで備前潘藩士がイギリス・フランス軍と三宮神社付近にて衝突する神戸事件が発生しました。これにより、神戸は一時期英仏軍によって占領されます。対応に当たった伊藤博文は初代兵庫県知事を務めました。

 1874年に阪神を結ぶ関西最初の鉄道が開通し、三ノ宮駅が誕生しました。この時の三ノ宮駅は三宮神社のすぐ近くに位置していました。今で言う所の元町にあたるといえば分かりやすいでしょう。

 1899年に居留地は日本に返還されますが、三宮周辺は商業地として賑わい続けます。

 1905年には官営三ノ宮駅とは別に東に600m離れたところに阪神電鉄のターミナルが建設されます。1931年には官営三ノ宮駅は高架駅に改造され、阪神三宮駅と同じ場所に移されます。

 それから5年後には阪急電鉄も三宮に乗り入れてくるようになり、百貨店、映画館が続々と建設されるようになります。

 第二次世界大戦末期には神戸三宮は鬼畜米英により禿散らかします。戦後は闇市が栄えるようになり、元町と三宮を結ぶセンター街が出来ます。三ノ宮駅南側には31万㎡のイーストキャンプがありましたが、返還されます。なお、1956年に返還されます。

 それ以降は国際会館や神戸新聞会館などの大型施設が建造されるようになり、戦前よりも栄える大ターミナルとなります。

 神戸三宮にて数十人のお客さんを乗せてバスが出発します。しかし、このタイミングにてとんでもない情報が入ってきました。どうやら通行予定である鳴門大橋が渋滞により7kmもの渋滞。これにより、一時間遅れが見込まれるとのことです。冗談じゃねぇ、じゃぁ瀬戸大橋はどうなんだよ、と思いましたが、瀬戸大橋も同様の大渋滞であるため、予定通り鳴門大橋を渡るようです。大丈夫かなぁ、これ。

 

明石海峡大橋 

 バスは神戸三宮を出発してから早急に阪神高速3号線に入って明石方面を目指します。高速道路の方は意外にも混んでおらず、エアロエースのエンジンが警戒に吹きあがります。

 若宮ICからバスは直角に向きを変えてに山側へと進みます。神戸本線を跨いで月見山ICを抜けると再度、直角に向きを変えて海と平行に進みます。

 須磨IC、垂水PAと抜けていくと名谷JCTから阪神高速5号線湾岸線に入り、垂水JCTに向かいます。この垂水JCTが非常に大きく、円形に広がっています。ここに来たのはこれまた幼い幼稚園の時以来なので、新鮮に感じます。なんていうか、こういう大きい構造物って男のロマンですから興奮します。

 料金所を過ぎてバスは巨大な垂水JCTを抜けて神戸淡路鳴門自動車道を通ります。明石海峡大橋の途中まではトンネルの中を通り続けます。

 バスはトンネルを抜けると同時に明石海峡大橋を快走します。奥に見えるのは恐らく明石市街地です。時間的にも太陽が綺麗に海に反射して美しいです。額縁に飾っておきたいくらいです。ですが、写真には綺麗に写っていませんね。すみません。また、案内通り混んでいるのは鳴門大橋で明石海峡大橋は難なく通ることが出来ます。

 さて、現在通っている明石海峡大橋ですが、この橋はご存じの通り兵庫県神戸市と兵庫県淡路島の淡路市を結びます。全長3911m、主塔の高さ298mと世界トップクラスの吊橋として今日も活躍し続けています。

 基本的には運転で通るのが一般的ですが、橋の上を歩くことができるプロムナードや、主塔頂上まで登ることが出来る体験ツアー、大阪方面まで見渡せるレストランもあります。また、存在感も凄く、神戸市街地から見上げられるその姿は雄大です。私もこれまた幼稚園の頃に帰省した際には船からこの橋を見上げていました。ライトがちかちか光っていて綺麗だったので、今でも印象に残っています。

 明石海峡大橋が建設された当時は鉄道で本州と四国を結ぶ本州四国連絡架橋事業の計画でした。その名残が徳島県に腋毛の様に生えている鳴門線です。もし計画通りならば、ディーゼル王国徳島県の一部の路線に電車が走っていたかもしれません。

 1985年に着工し、僅か10年でこの世界最大級の橋は完成しました。しかし、発案時まで遡ると1969年にルートが決定しています。つまり、発案時から完成までかかった年月は約30年です。でも、こんなに大きい橋を30年近くで計画から建設まで漕ぎ着けたのは素晴らしい事なのではないかなと思います。

 工事中にはこれまた日本最大級の大災害である阪神淡路大震災により、橋の中心部が大きく移動するという事態が発生しました。これにより、橋は図らずも1m延ばされます。また、建設中に起きた大地震でしたが、これといった被害は見当たらず、そのまま工事は続行されました。

 工事が終了したのは1995年です。完成当時に橋が阪神淡路大震災によって伸びたので計測した際の長さは上記の通りで、当時世界一の規模を誇るイギリスのハンバー橋を越えて世界一の橋となりました。

 また、橋の下には多くの船の航路が設定されており、今日も船が多く行きかっています。

 

淡路島 

 

 バスは明石海峡大橋を渡り切り、これから休憩する室津PAに向かいます。ハービス大阪を出発してから数時間、バスは最初の休憩に入ります。

 こちらの方がよりバスが見やすいですね。奥に広がる瀬戸内海の景色を見ることが出来る絶景スポットです。サービスエリアとしての機能は必要最低限のものばかりです。トイレと大き目なファミマがあるくらいです。ファミマ店内には四国コラボした商品がチラホラと置かれているぐらいで、それ以外は普通にお菓子やおにぎり、サンドイッチ、飲み物ぐらいしかありません。

 景色が綺麗ぐらいしかこのPAは書く要素が無いので淡路島の解説に入ります。淡路島は瀬戸内海東部にある巨大な島で、本州などを含めると日本で11番目に大きい島として、瀬戸内海で一番大きい島として位置しています。人口は12万人で淡路市、洲本市、南あわじ市に三分割されています。

 淡路島が出てきたのは神話含めるならば紀元前よりも前にあり、古事記、日本書紀には最初に誕生した島と記されています。淡路島が出来た経緯は神話によればイザナギノミコトとイザナミノミコト、それぞれの神の近くで漂っている大地を完成させて、国造りを命じたとされています。

 天浮橋(アメノウキハシ)に立って、他の神々から授かった天の沼矛(アメノヌボコ)で世界を固めるために大地を搔きまわします。

 そして、沼矛から滴った雫が凝り固まって島が形成されました。自凝島(オノコロ島)と呼ばれました。二神はこの島に降り立って夫婦の誓いを結びます。

 さらに、国生みの儀式を行います。結果、次々と島が誕生し、大八州(オオヤ島)が誕生しました。この島が国土を形成し、今の日本が誕生したとされています。

 このときに最初に誕生したのが淡路島です。ちなみにですが、私は最初ウキウキで神話の話を書いていましたが、今はもう書きたくない気持ちでいっぱいです。PCの予測変換で出てこない漢字ばっかりで、いちいち打つのが面倒くさいです。正直もう書くのが苦痛なので辞めますね。すみません。

 

大渋滞 

 分かりますかね?バスは鳴門大橋手前にして大渋滞に会います。神戸三宮にて言われた通りの大渋滞。嘘やろ…。大阪に住んでいた時はスムーズに行けた記憶があるのに…。でもまぁ、三菱ふそう最新のバスであるエアロエースにはコンセントにWi-Fiもついているので時間を余裕でつぶせるだろうと思ったその時でした。私の席だけコンセントが刺さらない。なんで…。しかもWi-Fiはバスにいる人が総出で使うので重くなります。月末だからギガもそんなに余裕がない中のこれはキツイ。

 渋滞があまりにも凄すぎて書くことが無いので渋滞の原因でも解説しましょうか。高速道路における渋滞の原因の7割は交通集中によって起こるものです。この交通集中が発生する理由の内、上り坂及びジグザグ道が6割を、インターチェンジなどと接続道路がそれぞれ約1.5割、トンネルが約1割です。今回は恐らくこの先にある淡路島南PAにて入ってくる乗用車と元々来ている車とで交通集中を起こしているのでインターチェンジなどに当てはまります。

 インターチェンジなどによって引き起こされる渋滞はシンプルに交通量が増えていくのと、合流する車に道を譲るために車速を落としてしまい、次第にそれが渋滞となってしまうパターンです。

 もう辺りはすっかり暗くなってしまいました。予定時刻から余裕で一時間を回っています。これどんだけ待たされるんですかね。スマホのバッテリーも限界を迎えています。晩御飯も食べていないのにここまで待たされるのはさすがに厳しいです。

 そしてかれこれ1時間半待たされてバスはやっと大鳴門橋を走行します。もう日は沈んでいるので景色を見ることはできません。

 大鳴門橋は前に渡った明石海峡大橋同様に歩いて渡ることが出来ます。また、展望台も備えており、そこからは鳴門の渦潮を見ることが出来ます。

 大鳴門橋は本州四国連絡橋の一つとして計画され、1976年5月に着工しました。1985年に開通し、全長1629mの規模を誇ります。開通時には東洋の「夢の架け橋」と呼ばれてもてはやされていました。まぁ、これよりも圧倒的に巨大な橋を淡路島に行くときに通ったのですが。

 大鳴門橋建設時には「鳴門の渦潮」と呼ばれる急流の海峡に建設するため、海流への影響を最小限にする多柱式主塔基礎を採用し、安全性のみならず、景観にも配慮されて造られています。橋の耐用年数は200年と見積もられており、管理には最新の技術を用いています。

 建設当時には一日平均7853台が通っていました。しかし、明石海峡大橋が出来た時は一日平均16500台が通っています。その後も増加傾向を続けており現在はその1.5倍ほどの交通量を誇っています。開通した影響で24時間、短時間で輸送することができ、生鮮食品の輸送量が増加しました。それのみならず、今回私が乗っている高速バスを始め、多くの高速バスがこの道路を使って四国内へと入ってきています。人が入ってくるのならば逆も然り、ストロー現象が最大の問題となっています。

 説明は以上です。ここからは渋滞が無いのでバスはエンジンを大きく震わして少しでも遅れを縮めるために走り出します。

 

疾走 

 

 鳴門ICを抜けます。実は大鳴門橋は高速道路ですが、国道にも指定されているので関西の高速の様に、高速道路内に料金所を構えています。今回は愛媛県まで抜けるのでここでは降りません。

 その後、バスは鳴門JCTを直進して香川県へと入り、恐らく津田の松原SAにて休憩します。なぜ恐らくという書き方にしたのかついてですが、実はどこを走っているのか詳しく覚えていません。なので、このような書き方なります。他のブロガーのブログを拝見しますと吉野川SAと出てきたのですが、建物の構造が吉野川SAと似ていなかったことと、徳島にしてはあまりにも都会過ぎる写真を持っていたので香川としております。なので、高速での渋滞でスケジュールが狂ったがためにこうなったという体にしておきます。

  ここにもコンビニとしてファミマがありました。西日本のファミマ強すぎんか?今回は特に用は無いのでお手洗いだけして即刻バスに乗り込みます。

 暫くバスに乗り続けていればやっと二番目の停留所である三島川之江ICに到着します。ここでバスは高速を降りて停留所に向かいます。市街地方面へと向かうのではないかと思っていましたが、ICの目と鼻の先に停留所が構えており、人を降ろすと即刻発車します。

 この時点でバスは1時間遅れまで回復しています。すげぇな、バス運転手。高速でぶっ飛ばすとなると、どうしても湾岸ミッドナイトが脳裏に浮かびます。そのバスは、自ら意思があるかごとく、狂おしく、身をよじる様に、走るという…

 バスは新居浜ICにて高速を降ります。ここから下道です。目指すは新居浜駅前です。新居浜駅と言えば特急しおかぜ・いしづち号が止まる駅ですね。また、貨物も置かれているところなので、できれば行ってみたいです。まぁ、一番行きたい駅は伊予西条駅なのですが。

 バスは丁寧に新居浜駅前の正面まで向かって、新居浜駅で多くの人を降ろします。ここで結構の人が降車していました。私はここから二つ先の伊予西条駅まで向かいます。

 バスは海側へと向かい、県道13号線に出ます。そして間もなく新居浜西バスターミナルに到着します。ここで降りる人は少なかった印象です。まぁ、ここで降りるんならば、一つ先の伊予西条駅か一つ前の新居浜駅という事でしょう。

 バスは出発するや否や県道13号線を疾走していきます。本来ならば、ここから三井造船の工場が見えるのですが、闇夜に紛れて何にも見えません。

 県道13号線の西の交差点に着くと、バスは国道11号線に入って西条市を特急いしづちの如く駆け抜けていきます。

 バスは途中、左折して県道140号線に入って、経由地である伊予西条駅へと向かいます。私の目的地はもう目と鼻の先です。段々と建物が増えていきます。駅前に近づいています。

 西条駅前に到着しました。長かったです。途中の渋滞がひどかったです。途中叔母さんから「来るのが遅いけど、どしたん?」と、連絡がひっきりなしに来たので困りました。何がともあれ、目的地に到着です。

 バスの運転手が丁重に荷物を降ろしてもらい、実家へと向かいます。駅から実家までは祖父が来ていたので、祖父が送迎してくれます。

 着いて早々待ち構えているのは祖父からのハグです。御年73歳のくせして腕力は健在、普通に痛いです。

 その後は車に乗って実家まで向かいます。車はSAIという高級車です。シートは本革なので高級なのは薄々感じていましたが、調べてみると、あらビックリ。中古でも79万円近く。スポーツカーばっかり見ているので安く感じますが、普通に高級セダンでした。なんてものを乗ってやがる…

 祖父から仙台の暮らしついて質問攻めに会います。学業はどうか、進学先は、夢は、等々。入学当初はなんも変哲もなく思える質問も、この時は刃物の様にグサッと刺さります。止めてくれ…

 祖父は老人とは思えない程の安全運転で警戒に山を登ります。辺りには仙台市街地では決して見ることのできない美しい星々が見られます。

 川を渡ると直ぐに私の実家に到着します。かれこれ19時間の移動でした。まぁ、大阪で滞在しましたが。それでも長い移動に変わりありません。クタクタです。

 家の扉を叩いて入ると、エプロン姿の小柄な老婆である祖母が走ってきます。足腰弱いのに大丈夫なんか?叔母もダッシュで来ますが、こけます。38歳よ。老婆に負けてどうする。先行き不安過ぎんか?

 リビングに入ると手巻き寿司が置かれていました。まぁ、移動中はまとも食べれていないので、ご飯を食べれるのは幸せです。有難く頂きます。祖母の手巻き寿司は美味しいですが、案の定量が多い。いったい何合、米を使ったんでしょうか。

 何とか平らげると今度は祈祷です。私の家は天理教を信じているので、実家に帰ると、いつも祈祷をさせられます。ですが、あほくさい、なんて思ってはいけません。実は、私の家系はみんな若くして死んでいます。子供が成人したくらいには、大抵多くの人がポックリ逝ったそうです。しかし、私の祖祖父母が天理教を信仰していたので、これを機に侵攻すると、恐ろしい程の長寿になったそうです。とりわけ凄いのが祖祖父母。現在100歳越えで、足腰の弱さと目の悪さを除けば健康体なんだそう。たまに祖母が心配して会いに行くのですが、行くたびに「何、心配しよん?顔真っ青やんか。血行悪いぞ。私より先に逝くんか?」とか抜かすらしいです。強すぎるだろ。

 なにがともあれ、このような都合上、頭ごなしに否定できません。親神様など、他三体の神様へ無事を感謝し、頭を下げます。正直なところ、私は天理教徒でありながら、神様の名前を親神様と御霊様ぐらいしか把握していません。あと親様という神様がいた記憶がありますが、調べると神様が一体しか出てこなくて、神様に対しては申し訳ないばかりです。まぁ、生まれてすぐに入ったらしいのですが、正直そんなことは中学に入学して初めて知りましたから。最初に祈祷をしたときは普通に仏教か神道の神様なんだろうとばかり思っていました。

 祈祷し終わると風呂に入ります。風呂は広く、そしてめちゃんこ熱いです。最初に入ったときは驚きました。思わず声をあげましたね。私は温くて長時間入る派なので、これは厳しい。まぁ、郷に入っては郷に従え、というヤツでしょう。

 あとは、直ぐに寝ます。睡魔が厳しすぎて、もう寝ます。これしかすることが無い。

 読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

 

 

ルール 

  1. 15分ごとに位置情報公開
  2. 指定された切符で乗車することが可能な乗り物、区間のみ乗車可能(船除外)
  3. ミッションはを達成できなければ逃走者は敗北する
  4. 煽ってもいい
  5. 自宅へ帰るのは無し
  6. 切符で指定されたエリアでしか移動することはできない

 

松島攻防戦 

 この鬼ごっこをしているのはクリスマス。リア充どもがカメムシの如くウロチョロする仙台駅の中で仙台の中でもトップクラスに頭が良い中学校の友人を巻き込んで鬼ごっこをしました。朝野君(仮称)とします。

朝「久ぶり。声変ってね?」

私「まぁ、それはお前もいっしょやん。」

朝「じゃぁ、ルーレットでミッション決めるか。」

私「おk。」

朝「おお、温泉かぁ。」

私「温泉なら目星ついてるし、行くか。」

朝「はぇな、おい。9時55分になったら追いかけるから首洗ってろよ。」

私「おぉ、強がっても無駄やぞ。負けるのはどうあがいてもお前や。ピピピピピピ。」

朝「きっしょ。」

 てなわけで改札をくぐります。実はこの時点で大体逃走先が二つに絞れちゃうんですよね。どういうことかというと、まず、仙台で有名な温泉といえばブログでたびたび出てくる秋保温泉、蔵王方面にある遠刈田温泉、青根温泉、こけしで有名な作並温泉、そして松尾芭蕉がアホになった松島温泉です。まず、無料で行くことがほぼ難しく、接続がゴミな遠刈田温泉と青根温泉は除外、バスでの移動が主流な秋保温泉は改札を過ぎた時点で除外、となるとこの時点で仙山線沿いにある作並温泉と仙石線沿いにある松島温泉しか選択肢が無くなります。なんなら、作並駅から遠い作並温泉もほぼ除外できるので、必然的に松島温泉しかありませんね。ブログを書いているときに初めてこのことに気づいて鳥肌がやばいです。

 てなわけで、松島温泉に行こうとしているのですが、ここで事件発生です。電車がねぇ。当初の予定ならば仙石線で松島海岸駅から温泉に行く予定が、松島海岸駅まで行く電車がねぇ。鬼が解放される時間まで待たないといけません。おいおいマジかよ。

 

 てなわけで、最初に乗ろうとしたのがこのプレハブで一旦松島駅まで移動し、そこから歩いていく作戦です。この時にライン上で

私「やべぇ、初手から積んだ。」

朝「あれ、マジで?やり直す?」

 というやり取りをしていました。なんでやさしさ見せてくれんねん。

 しかしなんだかんだ言ってやはりこれしかない。鬼が解放された一分後に発車する仙石線に乗車して松島海岸駅まで移動します。普通に小走りで来たら多分間に合っちゃうのでガクブルしながら到着を待ちます。

 しばらくすれば奥から私の顔と同じ色をした青い205系が入線、私を若干雪化粧した松島海岸駅まで連れて行ってくれるのでしょうか。

 乗車するや否や、席に座ってフードをかぶり、外を気にします。絵面は完全不審者。さて、鬼はこの電車に乗っているのか。恐怖しながら位置情報公開を見ます。結果は仙台駅内にて待機していました。どうやら仙石線には間に合っていなかったようです。ラインでは

朝「まぁ、お前がこういくのは知ってたけど、人多すぎていけなかったWW」

私「負け惜しみですかぁWピピピピピピピピW」

朝「まぁ、これからだからね。舐めるなよ。」

 こんな感じで強がってますが、汗ドバドバでしたけど。

 

 なんやかんやで松島海岸駅到着。松島海岸駅で下車したのち、坂道をダッシュで登ります。ちなみにですが、本塩釜駅辺りの頃のラインで

朝「やべぇ、本塩釜駅でお前ターンできるやん。」

私「気づかれたかぁ。やべぇ。」

朝「終わったぁぁ。」

 朝野君よ。私は普通に松島にいるぞ。そのことは普通に位置情報公開でバレているんですけどね。

 坂道を一通り登りきると右側に走って日帰り温泉に入ります。松島温泉も駅から少し離れていますが、作並温泉に行くよりマシです。

 11時を過ぎてから位置情報公開を見ると普通に鬼が松島海岸駅から登る坂道にいます。あっやべぇ、これ。普通に行ったら捕まるなぁ、コレ。マップを見てみると小道が広がっているので、これを使って何とか坂道を避けて移動します。

 田町歩道橋を経由して松島海岸駅まで何とか移動。海をゆったりと眺めて綺麗だなぁ、と物思いにふけっていましたがこれは鬼ごっこ。気を緩めてはいけません。一応、駅裏で位置情報公開を確認すると普通に駅にいます。これやべぇな。このまま無策で突っ込むと死にます。

 あーだこーだ悩んだ末、私が考えた作戦はこれ。漢作戦。単純な作戦です。堂々と突っ切る。馬鹿やろっと思いましたが、意外にも見つからず、ギリギリのところで乗車しました。やったぁ、と喜んだのも束の間です。いた、妻窓からチラッとスマホを見ている朝野君が、そこに。

 急いで陸前浜田駅で下車し、ちょうど位置情報公開がありました。やはり、そこにいたそうです。あっぶねぇ。ラインで

朝「中々やるやん。」

私「ゆーて行き当たりばったり。やばいよ。」

朝「降参する?」

 舐めやがって。とはいえ、危険なのには変わりありません。さらに、ここでご乗車有難うございますという音声を録音しろというミッションが発令。できれば仙台付近に逃げないとエリアの端に追いやられて詰んでしまうので仙台方面に抜けたいのですが、どうすれば。

 ここで私が考えたのがニューディール政策ならぬニューディール作戦。これは、一度松島海岸駅まで行き、ダッシュで松島駅へと移動。東北本線に乗車して急いで仙台駅へと移動して作戦を果たすという作戦です。東北本線ならば途中でバスにでも乗って逃げることが出来ます。あわよくば、鬼を追い越せるという訳です。とにかく、鬼と別の路線にいることが重要です。

 てなわけで十数分後に来た下り電車で急いで松島海岸駅へと移動。その間、私は足がつらないようにアキレス腱を延ばして準備運動をします。

 数分で松島海岸駅に到着、ドアが開くと共に慌てて下車して、観光船の案内を振り切り、松島駅へと全力ダッシュします。勝利の女神が私に微笑んでくれることを願い、全力疾走。松島の観光地から住宅地付近をクリスマスになぜか全力ダッシュしている変な構図が完成します。高城川と合流すれば松島駅までは目と鼻の先、電車が来る2分前に何とか到着しました。

 愛宕からやってきた私のゴッデスが体を曲げて一番のりばに入線。私を仙台に運んでくれます。中には若者が多く乗っています。いつもなら席に座れねぇとか嘆くんでしょうけど今はそんな余裕などありません。スマホ片手に鬼の様子を伺います。鬼は案の定仙石線を南下中、こちらはそれに追いつき始めています。

朝「脳筋プレイにでようかな。」

私「お前、それでミスったらどないするねん。」

朝「まぁ見てろって。」

私「はいはい。」

 ラインでこのように流していますが、実際は朝野君が何を考えているのか、それが気になってしょうがない。何をどうされるか。恐怖におびえてボックスシートに腰を掛けます。

 東仙台駅を通過して位置情報公開を目にして私は驚きました。なんと朝野君は岩切駅にいました。え、嘘やん。なんで

朝「くっそぉ。ミスったぁ。」

私「どうしたんや。」

朝「実は苦竹駅で降りてダッシュで東仙台駅まで移動したあとに、岩切でお前のいる電車に乗ろうとしたけどミスったぁ。」

私「あっぶねぇ。」

朝「しかも電車1時間後だし。くそぉ。」

 言った通りそこそこ脳筋プレイに出ていました。あぶねぇ。ニューディール作戦は一応成功でしたが、もしかしたら失敗でしたね。あぶねぇ。とにかく、このチャンスを逃すわけにはいきません。

 仙台駅到着寸前でミッションを達成。報酬はなくとも、朝野君は1時間待機を強制的にされている時点で余裕がだいぶあります。良いですね。流れが来ています。勝利の女神は私に微笑んでくれたどころか、なんかウィンクまでしてくれた感じです。この攻防戦は私が勝ちました。

 

滑走路戦 

 ルーレットで次のミッションが発令されました。次のミッションは滑走路を見よというものです。

朝「滑走路って言われたらあそこしかないよね。」

私「それはどうかな?」

朝「なに?」

私「仙台屈指の進学校の生徒がただの鉄オタに負けてくれ。」

朝「ぜってぇ負けないからな。脊椎まで洗っとけ。」

私「はいはい。君は負けたときに泣かないように今のうちに涙袋空にしてね。」

 さて、仙台で滑走路のある場所といえばやはり東松島航空基地と仙台空港ですかね。ですが、東松島航空基地はエリア外の東松島市。かと言って仙台空港はアクセス線があるとはいえ片道しかありません。名取で塞がれると一巻の終わりです。

 では何処へ行くのか?それは霞目飛行場です。これは陸上自衛隊の基地です。じゃぁ、滑走路ないやんだって?甘いです。リア充どもの妄想ぐらい甘い。おっさんなら胸焼けしちゃいます。実は、霞目飛行場は何故か滑走路があるのです。東西線やバスも充実しているので、いともたやすく逃げれちゃうって訳です。しかも朝野君は1時間待機、これはラッキーすぎる。簡単なミッションです。

 てなわけで市バスに乗車してゆっくりと滑走路を目指します。位置情報公開では朝野君はなぜか東松島航空基地方面へと移動中でした。

朝「あれ、そっち?滑走路ないやん。」

私「浅すぎるよ。よく地図をみなはれ。」

朝「何ぃぃぃ!?滑走路がある…。」

私「計画通り(ニチャア)」

朝「粉バナナ」

 バスは渋滞していたのと、住宅街を通っていたため地下鉄よりもだいぶ時間を食いましたが、朝野君はもう松島海岸駅にいたので引き返すには時間がいります。問題ありません。

 終点に着いてすぐに目の前にある滑走路の写真を撮って朝野君に送ります。

私「朝野君、僕の勝ちだ!」

朝「ああああああああああ!」

私「ピピピピピピピピピピピピピピWWWW」

朝「きっしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 こんな感じで煽りまくりですが大丈夫です。今も交流はあります。良い感じで流れが来ています。ですが、突然過酷なミッションを言い渡されます。

 

光ぺにて散る 

 ファイナルミッションは光ぺの定禅寺通りの区間を徒歩で往復しろというミッションです。

朝「形勢逆転!」

私「ざけんなぁぁぁぁぁ!!」

 急いでバスに乗って定禅寺通りへと進みます。嫌いなエルガですが今は文句を言えない状況です。さすがに光ぺを歩いていたら朝野君は余裕でこっちに来れます。とにかくこれで定禅寺通り方面へと抜けます。日も沈み始めてリア充も増加していきます。とはいえまだ点灯前なので人はいません。大丈夫か?

 位置情報公開では朝野君は仙台駅に到着済み、私はこれから定禅寺通りを歩きだします。歩いている間にも画策します。定禅寺通りは道路の真ん中にも道があるのでそこに逃げるか、反対車線を歩くか。

 ですが、実行に移すのが遅かった。一人、私に全力ダッシュを仕掛けてくる人がいました。誰だろう?私の学校の友人か?でもこんな格好ではないし、走らない。じゃぁ、だれか?決まっているでしょう。朝野君です。

朝「見つけたぞぉぉぉぉ!!!」

私「ッちィ!マジかよ。」

 テニス部なので華麗なステップで巻こうとしましたが、相手もテニス部、通用しません。しかも体格も一緒なので走る速度も同じ。これでは埒があきません。

 結果、私が逃げ込んだ先はドンキです。外にエレベーターがあったので急いで乗り込みます。

朝「クッソオおおおお!!」

私「悪いけど勝ち切らさせてもらう!!」

 そう言った時でした。ドアが確実にしまったはずなのに、開いたんです。絶望しました。ジェラシックワールド炎の王国でエレベーターで死んだ人たちの気持ちが分かりました。

私「えぇ…」

朝「おらああ!」

 あっさりと捕まってしまいました。鬼ごっこが終わる30分前にです。

 

その後 

 肩を落としながら朝野君と一緒に駅で別れて塾に行きました。本来ならばいっしょにご飯でもしたかったのですが、塾なので仕方ないですね。できれば、また時間があればしたいです。