昨日、母のラジオから『青葉城恋唄』が聴こえてきた。
3月11日に、僕はこのうたをうたった。
いちおう、詞をかくものとしての最低限の責任はもって。
父方の実家に、祖母とさとう宗幸がおさまった写真があった。
そして、このうたのメロディは僕のお気に入りになった。
小学校のころ、土産として、ちゃちなオルゴールを買って帰ったほどだ。
だから当然、このうたが、
あの人はもういない
ということばで終わることも、知っていた。
だからこそ、このうたをうたった。
僕たちにできるのは、うたをうたうことだけだ。
うたわないことではない。
その都度ふっと香るかなしみを噛みしめながらうたうことだ。
そして、おなじように、
ラジオから『TSUNAMI』が流れる日がくることを願う。
うたが、ただのうたとして。