ウクライナの惨状はいつまで続くのだろうか。

子供たちが傷つくのが何より悲しい。この世に生を享け、戦争の惨状のみを見て命を終えるなどもっての外である。

 

ウクライナの惨状はかつての日本でもあった。警戒警報!空襲!日夜鳴り響くサイレン!そして一夜明けるとのっぺらぼうとなった街があった。

当時、家内工業の盛んだった大田区の蒲田へ空襲の後に行った。

蒲田駅に降り立って啞然としたのを覚えている。

惨状はかたずけられて、家の瓦礫は寄せられていたが見渡す限りのっぺらぼうの街となり、道路だけがしろじろと続いていた。沢山の死者も出た。がれきの中でぼそっと立っている人がいた。

 

友人は江東区にいて、あの大空襲の日に生き残った一人だった。

空襲のあとで駅を見に行ったところ、焼けだだれた電車の中に椅子に座ったままの男とも女とも見分けのつかない黒焦げの数体を見たと話していた。

戦争=殺し合い  話し合いにしたい!(話が出来る人間だから)