伊佐須美神社:
会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座し、古くから陸奥国二宮・会津総鎮守として崇敬されています。
「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれているそうで、2人が会津の開拓神を祀ったのが当社の創祀とされています。
会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されていて、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で、重要な要素を担う神社なのだそうです。
大鳥居と参道
手水社
楼門
仮本殿(wikiから)
お参りした当日は、何やら神事が執り行われていたため、楼門の外からのお参りになりました。
社殿が仮であるのは、残念な事に平成20年(2008年)に発生した不審火で焼失したため、現在は浄財を募り再建予定だそうです。
社殿完成図
完成後の本殿は高さ32メートル、拝殿は高さ20メートルと予定されている。
この様式は、かつての出雲大社によく似ていますね。
このような社殿の神社には参拝した事が無いので、落慶の暁には是非にもお参りしたいものです。
御朱印
会津盆地南縁の宮川沿いに鎮座し、古くから陸奥国二宮・会津総鎮守として崇敬されています。
「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれているそうで、2人が会津の開拓神を祀ったのが当社の創祀とされています。
会津地方では、古墳時代前期にはすでにヤマト王権特有の大型前方後円墳が築造されていて、王権勢力の東北地方への伸長の実情を考える上で、重要な要素を担う神社なのだそうです。
大鳥居と参道
手水社
楼門
仮本殿(wikiから)
お参りした当日は、何やら神事が執り行われていたため、楼門の外からのお参りになりました。
社殿が仮であるのは、残念な事に平成20年(2008年)に発生した不審火で焼失したため、現在は浄財を募り再建予定だそうです。
社殿完成図
完成後の本殿は高さ32メートル、拝殿は高さ20メートルと予定されている。
この様式は、かつての出雲大社によく似ていますね。
このような社殿の神社には参拝した事が無いので、落慶の暁には是非にもお参りしたいものです。
御朱印