立ちすくむ私に、哀れに思ったのか、タクシーの運ちゃんが管理人の宿舎に声をかけてくれた。

暫しの静寂の後、中より、管理人のおばちゃん登場。(ここ、ファンファーレ流してください) 

やれやれ、まさに地獄で仏でございました。

境内に入り、お参りし、写真を撮ったところで、ビッグ・サプライズがスタート。

帰りかけた時、日本人の方が声をかけて来られた。

エッ、誰?

私以外に酔狂にもこんな場所(お大師さん御免なさい)に単独で来る人がいるなんて。

実は、この方は高野山金剛峰寺より派遣されて、2年以上もお一人で空海大師記念堂をお守りされている方でした。

この方は、個人の宗教行為は許されている、或いは黙認されているが、公けな宗教活動、布教などは共産党により禁止されている中国で、日本語の教育をおこない日々、日中友好に尽力されている、Nさんと言うお坊さんでした。

さあ、このNさんが巡拝している私に対し、お接待として、タクシーに同乗して案内してくれるは、昼食はご馳走して(海鮮、ビール付き 結局この昼飯が今回のBEST DISHでした)くれるは、あげくにはタクシー代(私の交渉した30元では、ちょっとぼられていたみたいで、値切ってましたけど)帰りの高速バス代、保険代、全部払って頂いた次第です。

えっー、こんな事って、この、あの中国で、それこそひどい目には数え切れないほど浴びてきた私に、こんな、こんな、僥倖が訪れるとは。

まさに、お大師さんのご縁による有難い、有難いお陰でした。

まさか、この後倍返しがあるんじゃあるまいか?

(まあ、無かったんですが)

お大師さんが、本当に大唐における、第一歩を印された赤岸鎮の浜辺(現実には、なんら変哲のない、普通の浜辺。後ろに高速は走っているは、工事用の車両、道具が放置してあるはで、興趣を濯がれること甚だしい事と言ったらそりゃもう)で、東方・日本に向かい般若心経、真言をあげることができたことに、大いなる満足感を得て、福州に帰るバスの人となりました。

ここでもNさんに見送って頂いちゃった。

ホンとに、ええんかいな?

久しぶりで、日本人にあって嬉しかったんかなぁ。

聞くところによると、半径200Kmに日本人はおろか、外国人が一人もいないそうです。

そんなとこで、ようやってけるなぁ。

これも、修行なんですか?

因みに、Nさんのお父さんは、漫画家で少年Jに掲載された、あの「A球団」を描かれた方だそうです。

帰りのバスでは、韓国系中国人の20台前半の女の子と隣り合わせになり、干果とお菓子の交換したりして、いい感じで福州に無事、帰り着きました。

このビン南地方の、なんと我が馴染みの華北地方と違っていることよ。

松、笹・竹、常緑樹が繁茂し、茶木が整然と刈り込まれ、一目で物成りの豊かな事が伺い知れる。

しかしながら、案外と平地が狭く、棚田が天に向かって刻まれている。

この棚田、日本のそれが、川原から一個一個石を担ぎ上げ、積み上げて猫の額ほどの田を一枚一枚重ねたのに比べ、この地では、岩にノミを穿ち、山肌に刻み込むように段を重ねていったようである。

いずれにせよ、古からの農に携わる民の生きるための営みのなんと過酷なことか。

(って、街道を行くを彷彿した?)

福州北バスターミナルからタクシーで開元寺へ。12元

開元寺は、禅宗のお寺でお大師さんが長安に向かう途中に、立ち寄られたところです。

お大師さんの金剛像あり。

開元寺は、地図で確認したら、ホテルの近くだったので歩いてかえる。

途中、水とお茶(黄金桂・この旅の間の飲用)購入 

一旦ホテルに帰った後、晩飯へ。

晩飯は、ホテル傍の定食屋(昨日とは別の店)で牛肉炒め定食 16元

本日もビールなし。

大通りの向こうに、「MUSIC club」のでっかい看板が。

ちょっとだけ突撃しようかなと思ったけど、しんどかったんで自制。

それにしても、このホテルの設備は、全く使い物にならん、

酷かったなぁ。

エアコンの調整は出来ん、湯はぬるい、ハンガーはプラスチックの寄せ集め、ラックはベニヤ貼り、ライト暗い、調整もうまい具合にいかない。

言い出したらキリが無い。

いいとこは、フロントスタッフが若いおねぇちゃんばっかりで、なんだか、田舎の女子高の文化祭の受付みたいで、一所懸命ガンバッテルとこぐらいかなぁ。

温度の上がらないシャワーを浴びて、さっさと寝る。