先週に『X』の方でもポストしましたが、やりたいことが決まりました。それというのが『二次創作の再開』.そして、『絵』と『小説』です。特に『絵』へ力を入れながら『小説』もやっていきたいというその思いが強くあり、これを機に、例えば『デザイン』などにも挑戦したいと思っています。

 初めて私を知って下さった方には突然なんのことかと思われるかもしれませんが、amebloに前回から投稿している記事を最初にお読み頂けたらと思います。ただ文章が長文故に時間を要し、又、こういった場合、これがダメなことなのかは分かりませんが、その文章の中には一般側の人から見ると、知りたくなかったことを知ってしまう切っ掛けをつくってしまう可能性があります。というのも、コロナへ入って以来から私はありとあらゆすべてが変化したからです。それは『世界』『人』『死生観』『いのち』『動物』『いじめ』『現代医療』『容姿』『健康』などの本当にすべてです。その結果、『一般』や『常識』という枠組みからズレたところからの『思考』や『考え』などをもつようになっています。前提として、否定や批判をしたい訳でも、それらをここに置いているつもりもありません。あくまでもフラットな状態からここに記していますが、それ故に、これまで記載して来ている私の意見や考えに対し、信じる信じないは個々人の自由だと思っているのでそこら辺は良いのですが、一般である方々が知りたいと思ってもなかったこと知る.それを避けるために、お読みになる際はご注意下さい。

 その理由としては、この世界の殆どを知っている『Nさん』という方が仰っていた言葉『他人の体験を奪うな』というのが前提にあります。この意味合いも前回の投稿した記事に書いてありますが、ここでご説明すれば長くなってしまいますのでお控えさせて頂きます。

 よって前述からその詳細は割愛させて頂き、ザッとこれまでに至った経緯と、これからの私をご説明したいと思います。


 今現在、私は姿勢の歪みが酷く、日々を家で過ごしています。これまでに何段階かの歪みが生じて来ましたが、今ではそこに”捩れ”が加わっており、それ故に、誰でも出来るような日常の動作もスムーズにいかず、例えばバランスが取りづらいので床に座ることが出来ません。普通の散歩やウォーキング、常に力んでいるので手足の冷えがあったり呼吸が浅く、息苦しい。寝るときも姿勢を意識していないとズレることがあります。立っているだけでも姿勢を一々整えないと常に癖がついている状態なので、放っておくと余計にズレていってしまうのが現状です。もう終わった方が楽だと思っているぐらいには一々身体へ意識を向けながら整えるという行為そのものさえも面倒だと思うことが時々あり、今までの殆ど毎日が憂鬱でした。
 ここまで酷くなってしまったのは、これまでのすべての経験で得た様々な要因が複雑に絡み合った結果、歪みへと至っています。然しながらこの始まりは私の ”勘違い”  "思い込み” 。次に、自分自身に対しての ”嘘”。ひっくるめて偏に言うと『エゴ』に塗れていたからです。

 私は小学一年生のいつ頃だったかは分かりませんが、容姿のことで一部から悪口と捉えられる言葉を云われており、それは大人になっても変わらず続いていました。小学生と中学生の頃、頻繁にあった訳ではありませんが、ある男の子から蹴られた体験が一度、中学生の頃に頭を叩かれる体験が二度。身体をぶつけられる体験一度。『死ね』と云われた体験が何度かあったことを切っ掛けに男性そのものへの嫌悪感。同時に恐れと不安をもつようになっていました。それ故に高校生二年の頃、自分に自信を失った私は前髪を伸ばし、顔を隠しながら学校生活を送っていました。ある意味では有名だったと思います。
『これまでの私と、これからのこと』にも記載していますが、その当時の私は『身体醜形障害』に当て嵌まっていたのではと思いますが、ただそれも単なる勘違いと思い込みにしか過ぎないのだと今になっては分かっています。又、コロナへと入って以降、人生のすべての責任は自分にあるというのが今の私の答えです。そして、過去に私へ攻撃していた彼らも正しく、間違ってはいない。彼らは私に大切なことを教えてくれていた。

 過去があるから今がある.とはよく耳にしますが、本当にそうで、私が今 ここ に居るのは過去があったからこそであり、彼らが彼らでなかったなら、家族が家族でなかったなら、私と出会ってくれたすべての人たちがそれぞれでなかったのなら今の私はここには存在していない。それにここ数年で出会えた人たちと出会えなかったかもしれない。そう理解しています。
 確かに私は最初はやられる側でしたが後述にもしているように、私自身も攻撃側へ回ったことがあります。そのどちらの側にもなった経験から ”原因なくして、人は人を攻撃しない” というのが、今の私の答えになります。誰も悪くはない.ということ、そして必ず私たちの奥深くに眠っている ”ひかり” があるのだということです。

 然しだからと言って、本当の意味で彼らをゆるせているかというとそうではなく、今ではこの憎しみは薄まって来ているように感じますが、完全なるゆるしへは至っておりません。やっぱり、悲しかったし、怖かった。悔しかった。それが私の本音です。故に、ここまで理解出来ていてもゆるせない私の後はもう、時間の経過しかないのだと思っています。ただ前提として前述でもするように、人生とはすべて自分の責任。責任と聞くと重い感覚がしますがそうではないと私は思っていて、それは本当に当然のことだったからです。というのも、あらゆる角度からみれば厳しく言うと自業自得であり、起こるべくして起こっていた現象。”自作自演” 。つまり私へ降りかかっていたすべての出来事は偶然でもなんでもなく、自然的且つ必然的に起こっていたもの。故に私にも問題があった。そして、すべての出来事は私へのギフトでもあった。

 この世界のしくみを知ったことや、これまでにSNS上で出会って来た色々な方々の視点へ触れたこと。又、ある一部の心理学を少々齧っている程度ですが、そこから受けた学びと気づきによってなぜ私が何年にも亘って悪口を云われ続けていたのか。いじめをされたり、見下されたりして来たのか。そこには納得しています。そしてここ数年において学んだことが、人が生きる上で、ありとあらゆるすべてに繋がっている部分が、『あり方』や『生き方』です。それが ”今の自分” をつくりあげている。
本当にありとあらゆるすべては垂直にそこへ繋がっていて、よく謂われるように人生とは自分次第。それを意識するということは姿形だって物質的に変えることが可能なのです。故に自身を醜く落とすことも出来ればうつくしくすることも出来る。

 『卵が先か、鶏が先か』という問いがありますが、ここでは『卵が先』です。一番目を向けるべきは ”自身の内側” 。そこが変われば外側の変化が見られ、或いは現実がついてくる。”意識をする”.『意識』とはそれぐらい現実へ大きく変化を齎してくれるセカイなのだなと思っています。

 内側が先で、外側が後。私の場合で言うと、身体の歪みへ繋がってしまったのは否定的な思い込みなどですが、その要因の一つとして、『感情を抑え込む癖』というものがありました。『怒り』や『悔しさ』『悲しみ』などといった負の感情を抑え込む行動として『歯の喰いしばり』や周囲への過度の恐れと不安から身体が常に緊張状態だったこと。恐らくは『肩』『鳩尾』付近がよく力んでいました。
 

 私は小学校へ入学当初から周囲が怖かった感覚を覚えていますが、いつそうやって思い込むようにになったのかは定かではありませんが、自分という存在は間違っていて、周囲が正しいという無意識な勘違いが私の前提にありました。一般的に言うと分かりやすいので『セルフイメージ』とか『自己肯定感』そのどちらも低かった部類の子だったと思います。だからこそ私は周りの言う言葉をすぐ鵜呑みにし、それを信じ込んで来ました。加え、最近になってある方のコーチングセッションから分かったことが、私は『KY』。空気が読めない子.というこでした。

 然しながら、私自身も彼らと同じ土俵へ立ったことがこれまでに何度かあります。いえ、たぶんそれ以上に酷い状態へ呑まれていたことがあります。

 一つ目が他者へのいじめ、悪口。二つ目が両親と自身への『DV』。三つ目が『嘘』。

 私自身も小学生の頃に近所の子をいじめた経験が一度あり、悪口も言っていたことがあります。
 二つ目の『DV』が、過去に私へ攻撃して来た ‐ と捉える ‐人たち含め、両親へ憎しみを抱いていた私はある日、あるときを境に暴力的になっていきました。その切っ掛けとなったのが、これもうろ覚えなので確かな記憶としては曖昧ですが、ある家族の一言を切っ掛けに自分自身へ暴力を振るうようになった2017年頃の話です。

 書いていてふと思い出したのは、私が自分へ暴力を振るうようになったのが先で、両親へのDVが後だったような気がします。親、特に父に対して暴言は留まらずわざと大きな音を鳴らしたり、窓を素手で割ったり。自身への暴力は特に顔と頭をよく殴っていました。私の姿勢の歪みが促進されていってしまったのは、そういった物理的な暴力という側面もあるでしょう。

 小さかった頃から話を聞いてくれなかった母。無神経な伯母や両親の言動。高校生の頃から怒鳴り出すようになった父親。後のそれが腫瘍(?)のせいもあったというのを知りましたが、それでも私はそう簡単にゆるすことが出来ませんでした。


 これまでの経験上から、加えて私自身も鏡を見る度に本当にキモいとか化け物のような感覚がしていたので、私はどう足掻いても愛されない人間で醜悪なおぞましいなにかとしか見えず、絶望と諦めが生まれていって、気づいたら、みんな居なくなってしまえば良いのにと、よく思うようになっていました。‐ 最近、ある方のシータヒーリングのセッションを受けたとき、私の潜在意識の奥底にあったのが『みんな死んじゃえ』という思いが入っていたそうです。みんなが居なくなった世界のメリットが評価をされないから。評価をされず自由に好きなことをやっていると楽だから。‐ 然しながらこれも前回の『これまでの私と、これからのこと』の記事に記載していますが、私が長期に亘って悪口を言われ、いじめられ、見下され続けて来たそもそものその ”長期に亘って” のそれ自体から私の人間性というものが見えてくるかと思います。

 その当時の私は所謂『ロボット』と同じでした。目に写るものすべてをそのまま写し取ってそっくりそのまま呑み込んでいたからです。みんなが右に行くと自分も右へ行っていた。
自らの頭で考えず、集団の輪から弾かれることを恐れ、嫌われることを恐れ、周囲へ合わせて言動をする。まぁそれでもその輪へ入れたことはなかったのですが本当にロボットだったなと感じざる負えません。一種の恐怖があるほどには私は自分の頭で考え行動をして来なかった。誰かの指示がないと動くことが出来なかった。失敗するのが怖かったから。間違ってしまうのが怖かったから。つまり私はビビリだった。


 高校卒業後、大垣女子短気大学管楽器リペア科へ進学。卒業後はある服飾雑貨店でバイトをしていしましたが、そこで働いている際に恐らくは私を知っている人であろう人の視線、そしてカメラの気配がしたのを切っ掛けにもう無理だと思いました。そしてその当日に父のある発言から両親へ、特に父親への怒りが湧き起こり、バイトを辞めてからというのも引きこもるようになりました。両親からなにか話かけられてもスルーを長年続けていました。

 それから数年後の、詳しい年や日にちを覚えてはいませんが父が倒れました。元々憎んでいたのもあってそのまま帰って来なければ良いと思っていました。

 入院していた父が帰って来て以降のある日、あるときに、募り募っていた憎悪から『死ねー!』と叫んだのを覚えています。そして私が自分自身を殴り出した切っ掛けが、先述するように家族のある一言で、それを『見下された』と私が捉えた瞬間、悲しみと憎しみが腹底から湧いて来て脊髄反射的に自分自身へ暴力を振るい始めました。特に顔や頭を狂ったように殴りだしそれは数年ほど続いたのですが、傍からみれば精神的におかしいんじゃないかとか、脳になにか障害があるんじゃないかと思われてもおかしくはなかったでしょう。その当時の私の姿を今思い返してみても、まさに『エゴ』に自身を明け渡している人間の姿と言えるのだと思います。


 そういった自身への暴力から一度心療内科へ通ったのですが、ある日を境に行くのを止めました。というのも、youtube上で、以前まではグルテンフリーのダイエットトレーナーをされていらっしゃったある女性との出会いを切っ掛けとして、それから後に知ったレクチンフリー。そして、コロナへ入って以降からこの約三年間、本当にありとあらゆる様々なことを知って、学んだり、気づいたり。又、個人的体験含め、精神的病含めるあらゆるすべての病気に対し、現代医療や薬物療法が本質的な病の改善には繋がらないという考えに至っています。

 実際に私自身、心療内科へ通って薬物療法をしても自分を殴る手を止めることが出来ませんでした。一時的な気分の良さはあっても、気分が良いと思った次には自分を殴りだし、薬を飲んでまた気分が良くなったと思ったら自分を殴りだしの繰り返し。
 薬を止めてから思うようになったのは、現代医療や薬物療法とは、その場しのぎのものにしかならないのではないか.ということです。骨折や、指や手足などの切断などを除いては治療する手段に現代医療や薬物療法は基本的に殆ど要らないのではないか.今の私はそう思うようになっています。というのも、本当の意味での健康とは『あり方』や『生き方』がその根っこに繋がっていると思っているからです。

 然しながら、薬に頼らない健康的に良い生活習慣をしていても変わる人と変わらない人の両極に別れる.ということは事実あります。その違いというのが先述している『あり方』や『生き方』であり、それはここ数年で学んだことです。私自身のこれまでの経験を振り替えってみても納得するのは、例えば、これも確か『これまでの私と、これからのこと』へ記載していますが、中学生の頃、脂質が0,9以上のものを食べることをしませんでした。それ以上のものを食べたら脂肪がつくと兄が云っていたのを気にして以来から、お菓子、肉、魚などの油を一切摂取することを避けていたのです。食べられていたのは、白米や和菓子といった炭水化物のみ。太ることを異常なほど恐れていた私はポッキー一本すらも食べることさえゆるさず、実際に太らないし、影響あっても微々たるものなのに一口食べただけで少々パニック起こしてしまうぐらいには自身への太ることへの否定が物凄く強かったのです。他人に関しては一切そういったことは気にしないのに、自分のこととなると必死に防ごうとしていました。
大人になっても、油は取るようになっていましたがダイエットは続けていました。然しながら必ず三年単位での『過食』があったり、嘔吐したり、痩せたり太ったりを繰り返していて、本当の意味での健康とは程遠かったのです。

 私が痩せられなかったり、そういった油を一切抜くという行為は確かに痩せられますが、健全的健康かと言ったらそうではありません。なぜなら先述にも記しているように、その目的が健康などではなく、認められるためにやっていたからです。つまりここでも、痩せる目的の前提には『承認欲求』という『エゴ』があり、そして『自己否定』や『自己肯定感の低さ』からです。今の自分に対しての否定。それがあったからこそダイエットのリバウンドが必ず毎回起きていたし過食行為へ走っていた。かと言って、では添加物や小麦類、お菓子やジャンクフードなどを毎日食べても良いのかというとそういう話でもなく、それが続いた先のあるラインへ到達してしまったときに起きるのが大きな病気というものだからです。

 今では、塩をなるべく取りながら、朝昼と食べず、夕方頃に少々食べる.というところまで成功しており、そこに無理はありません。その体験から、私の身体というのは少量で十分に満たされているんだなというのが、食事や添加物などを抜いて来て分かっていることです。ただ、本当の意味で、私が私自身を好きだとは、心の底から言えることは出来ません。


 この経験を通し、そして、ここ数年における学びや気づきから、『人』や『食事』の定義がそれぞれに変化していきました。『人』に関してはここではお控えさせて頂きますが、今の私にとっての『食事』とは、その定義は人それぞれにあるかと思いますが、単なる生存目的でする行為なのではなく、感謝だったり、誰かと会う機会をつくったり、同じ時間や空間を共有するために使っている手段なんじゃないか。そして恐らく、『人』というのは『夢』に生きる ”いきもの” 。つまり、人にとって食事とは、『水』も含め、それほど必要性は高くない行為であり、元々が食べなくてもエネルギッシュに生きていけるいきものなんじゃないか。勿論今の人の身体というのは不食用につくられている訳じゃないので、ある程度のものは必要になります。ただ、これは一般的には到底体験出来ないような人生を歩んで来たある女性ダンサーさんとの出会いがあったのが昨年の秋のお話ですが、彼女の今までの経験状の話を聞いたのを切っ掛けに、そして食事を夕方頃に少量へと変えている特に今、私はそう強く感じています。人が本気で夢に向かっていくときのエネルギーというのは計り知れないものがある。

 エネルギッシュに行動しているたちを見ると、中には元々の性質である人もいらっしゃるかと思いますが、食べることに興味が薄かったり、勿論それはすべての人じゃないですが、ただそういった人たちの特徴として感じるのが ”エネルギーが高い” 。故に消化力が高かったり、化学物質が身体の中へ入っても健康に影響は殆どないのではないかとも思うのです。


 今ではもう自分への暴力は減っていて、偶にあってはしまいますが、基本的には自ら衝動的に殴るといったことはもうしていません。先述でも云ってますが、思考や考え方が変化したからです。ただ呼吸が浅かったり、身体の力んでいる部位をゆるめることがなかなか出来ないことがありますが、そういったとき、なんでみんながふつうに出来るような呼吸すらも簡単に出来ないんだと思った瞬間に悲しくなって、それが次第に苛立ちから怒りへと変わっていって自分へ手が出てしまいます。

 内側が先で外側‐結果や現実‐が後。内側にあるなにかしらの否定的な思い込みによって結果的に『暴力』という行動を起こしている.ということは前述していますが、もう一つの側面として考えられるのが『インナーチャイルド』です。どこかで聞いた覚えがある方はいらっしゃるかと思いますが、私はそこが癒えていないと思うので、反射的にやってしまうことは未だやっぱりあります。

 三つ目の『嘘』。
 私は小さな頃からピアノを習っていて音楽へ触れる機会が多々ありました。その延長線上から中学高校大学も吹奏楽をやっており、パートは打楽器でした。ですがそれら全部心からやりたいことだったのかというとそうではなく、それは『承認欲求』という『エゴ』からです。中学の頃は無意識的にではありましたが、私にはこれしかないと必死にしがみついて練習を頑張っていたらいつしか頑張り屋さんと見られるようになって、それが認められたような感覚から嬉しかった反面、いつしかその根っこは良い音楽がしたいから練習するのではなく、先述したその『エゴ』からです。認められたいがための『努力家』であり、認められたいがための『音楽』をしていた。つまり承認欲求を満たすための道具として私は『音楽』を使っていました。又、それは『人』においてもそうでした。孤独や寂しさを埋めるために友人を『相談』という形で使っていたのです。


 このことからも分かる通り、そして先述にもする通り、私の内側が『恐れ』と『不安』という『エゴ』へ掴まれていたからこそ、『エゴ』へ己の人生をすべて明け渡していたからこそ、起きている姿勢の歪みです。

 今思えば、なんでこんな簡単なことに気づくことが出来なかったんだろうと不思議に思うのですが、これがダメなことなのかどうかは分かりませんが、もし、違った世界線を生きていたらどうだっただろうと思うのです。いじめをして来た相手に対し殴りかかれる強さとかあったのなら未だマシな方向に行けたんじゃないだろうか。拳で語り合える仲になりたいとは思わないけれどそうやって物理的にも立ち向かえる勇気(?)とかあったのならまた違った道があったんだろうか。今でさえもふとしたときに過去が過ぎった際一発ぐらいぶん殴っとけば良かったなと思ってしまうのが今の私です。


 それから『嘘』に関してはもう一つあります。それが昨年の四月一歩手前頃、私は『お詫び』というタイトルでamebloへ投稿していますが、ある嘘を吐いていたことをそこで謝罪しています。然しながら、『これまでの私と、これからのこと』書いていますが、それというのは本当の意味での謝罪ではありませんでした。私の負の感情が読み取れると思います。

 そして、私が吐いていたその嘘というのが『原作を読んでいないのに読んだフリをしてポストしていた』。
 私がBLへ興味を持ち始めたのが多分10代後半頃。22以降に引きこもりをするようになってからはジャンプ作品の二次創作へ嵌っていました。それ以来から当初はやらずに見る専でいましたが、次第に小説を書くようになっていきました。そこまでは良いのですがただ一つ問題があって、ジャンプ作品のCPを好きになっていく度に ”原作が見れない読めない”.ということが起こっていました。例えば、アニメでそのキャラクターが動いているのが目に入っただけでも所謂『地雷』に近い衝撃が走っていたのです。それは現実を見たくないからか。それとも否定された感覚からなのか。そのどちらもあるのかもしれませんが自分の判断では未だに分かってはいません。

 話は少々ズレますが、自分に対する評価を私は ”浅はかに” しないように気をつけたいと思っています。自分のことは本当に分からないのだというのはつくづく感じることですが、自分にも、他人に対してもそうで、分かった気にならない方が良い。又、今になってよく思うのは『第三者の手を借りる』。それは自分の人生をより良く生きようとするにはとっても大切なことであり、もし間違ったジャッジを自分にしていたら、下手したらそれがずっと自分について回ってくる、つまり思い込みとなって潜在意識に入り込み、その先へ進むのを邪魔する壁になったり、足枷になってしまう可能性が高い.ということになってしまうのではないかと思います。そういった意味でも、相手がどんな人であっても『他人』という存在は『私』を教えてくれる必要不可欠な存在でもあるのだなと思います。”『他』があってこその『私』が存在する”.ということです。

 ‐ 先述でもお伝えしているある女性ダンサーさんもこういうようなニュアンスで仰っていたことですが、自分自身への嘘や自身をいじめるような言葉を投げるとういのは神への冒涜だ.と。なぜなら『神=自分』だから。つまり自分で自分に冒涜しているという形に実質的になるのだと。学びが進んでいらっしゃる方なら『神』というのがなんなのかは、これを聞いてご理解は早いのではないかと思います。‐ 

 話は戻り、それ故に、他人様の作品や旧名称Twitterのツイートからどういった漫画やアニメなのかを想像しながら私は小説を書いていました。又、コロナへ入って以降、私は趣味アカで、ワクチン騒動に関しても、これは嘘といよりも個人的には本当に思っていたことであり、吐いていた言葉に嘘はありませんでした。ただその根っこが『承認欲求』からの言動でした。それを満たすために良い人を装って、それらしく良い言葉を私は吐いていました。そこで云っていたある複数の言葉は私から生まれた言葉ではありませんでした。

 その上記の二つを昨年の四月辺りに告白し、それから元の身体へ戻すために生活保護を受けながら治していこうと、トラブルもありながらではありますが昨年の9月22日まで動いていました。生活保護を受けようと思ったのはそっちの方が家族も金銭的に安心だろうと思ったからです。然しながらその日に分かったのが、自分の行きたい病院へ自由に行けない.ということでした。
私は現代医療に対して否定や批判をもっているつもりはありませんが、それを自分が受けるとなると抵抗があったので、前提として、現代医療を取り扱っていない病院を希望していました。ですが生活保護だと病院は自由に選べないということをその日に知り、ただ反して、ホッと安堵した自分がいたのです。
それから約一ヶ月の間、じゃあこれからどうしていけば良いのだろうと地に足のつかない状態が少々続き、そこであるとき決めたのが、ある方に相談しに行こうというものでした。本当なら12月中旬に行くはずだったのですがお金を用意することが出来ず、1月の後半へ変更してもらい、そしてその方の元へ無事にお会いすることが出来ましたが、結果的には、歪んだ身体のまま生きていこうと決断したのです。ただその日から約半年後のつい最近なのですが、少々その決意が揺らぐことがありました。後述で云っていますが、ある方々からの『諦めないで』という言葉をもらったからです。


 シータヒーリング を受けて以降、確かに最初の頃は気分は明るくなって行動をしていたはずなんですが、憂鬱な日々が後に続くようになっており、足にも力が入っていなくて、立っていられないというか、気を抜くと物理的に崩れ落ちてしまいそうな感覚です。多分、一回目のときのその方との相談をさせて頂いた日以降から企業を考えるようになっていましたが、それは本当の意味でやりたいこととは全く違っていたからであり、地に足がついてなかったからです。

 話は少々飛んで、予定では三月にシータヒーリングを受けようと考えていましたが、それが5月後半と伸びたのが『不安』と『恐れ』に掴まれていたからです。金銭的不安があったのもそうですが、そこへかけるお金というよりも『椅子』にありました。
 姿勢の歪みの関係上ずっと立っているのも負担がかかるため、又、これは私の感覚なので伝わりづらいかと思いますが、私の目の前になにかしらの物があると身体のバランス感覚を見失ってしまう、その不安と恐れがありました。加えて座ると言っても、身体に合った両サイドに肘置きのないものが欲しかったのですが優柔不断に悩みに悩み、この根っこにはお金への不安から失敗する恐れもあったので、一つ買うのに気づいたら一ヶ月経過していました。ですが結局2個目を購入することになったのは、今度は背もたれがある椅子が良いと思ったからです。そして同時進行で昨年からの動きと、これからのことの報告のため文章を記載していました。それが『これまでの私と、これからのこと』です。
 ただ、先ほど自分の目の前に物があるとバランス感覚が分からなくなってズレへの不安があると書きましたが、事実それも本当です。然しながら誰かと会話したり、激しい動きが難しくても少々動きがあった方が身体のズレは少なく、寧ろ動いてないときよりもクリアになっていることが殆どです。私は単純に思い込みが激しかったのです。
思い込みの怖さみたいなものを知っていたはずなのに、これに限った話じゃありませんが、これまでのことを考えてみても私は勘違いや思い込みが本当に強い人間なんだなと思っているので、意識して気をつけていこうと思っています。

 前述にも記載していますが、私の潜在意識の奥深くにはみんな死んじゃえと入っていたそうです。それは書き換えてもらっていますが、そこに関しては思い当たる節はあり過ぎるので否定もなにもありませんでしたし、これまでの私の言動を考慮すると納得出来ています。そして『周囲からの評価を受けることへの恐れ』。それがあったから働きへ出掛けるのを拒んでいたのだろうということが分かりました。

 その他にも色々ありましたが、シータヒーリングの講師の方が私の創造主からのアドバイスを聞いて下さって、それが『無理をするな』だそうです。そして私の魂が学んでいることが『束縛からの解放』でした。
そのため、その日以降から小さなことからでも手放していきたいと思って行動していました。ただそれも、残念ながらつもりなだけであって出来ていなかったのです。企業でなにをするのかというのが断定的には決まっておらず、理想的な暮らしは想像出来ても企業というのがイマイチピンと来ていなかったのは事実ありました。やる気はたぶんまったくなかった。現実を見れば二次創作は未だ先の未来でやれば良い話だし、今見るべきは企業で稼ぐことだろう。そう思っていたのですが、そもそもそれがエゴだった。何度も言うようですが頭で考え、内側の声、或いは身体の声を聞かずに行動していたからです。

 自分で自分を愛してやっていけば自然とやりたいことが分かるようになると教えて下さったにも関わらず、私はそれをやっていなかった。これまでの行動に対し、勇気などといううつくしい言葉は微塵も入っていない。

 それから数週間してあるイベントへ行った際、前述したようにある切っ掛けから姿勢を治すことを諦めないでと言われました。それで数週間悩んでしまっていたのですが、確かに呼吸も浅く、姿勢のズレが留まらない。それが続くとなると、私の命だって短いだろう。その間も辛く苦しい。ただ、これが完璧に治らなくても治ったとしたらきっと楽になる。歪んだ身のままで本当に企業出来るのか。社長としてやっていけるのか。とそんなことを思い始めたら思考がぐるぐると留まらなくなりました。
そして7月16日に、その方へ再度相談にのってもらいました。結果的には、今は治さない方向で行こうと思います。というのも、そこで漸くやりたいことを掴めたからです。それが冒頭でもお伝えしている『二次創作』。『絵』と『小説』です。特に『絵』を描きたいと思っています。そこに一番エネルギーが乗っていると仰って下さいました。又、一回目のときにお話出来なかったことがあって、それが、昨年まで吐いていた趣味においての『嘘』のことと、ワクチン騒動に関して私がやってしまった言動のことです。一種の前科がある私は、人として、ここはまだ表へ出ない方が良いんじゃないかと、これまでのことをお話したら、これは、本当に有難いことなのですが、その方のアドバイスというか後押しして下さって、二次創作再開を決めることとなりました。そして、読めないものは無理に読まなくて良いんだということが分かりました。

 二次創作界隈では、原作を読んでいることが暗黙のルールというか、それが前提とされているように感じていましたが、例えばそれが絶対的なルールだとしても、今になってよくよく思うのが、素直に最初からそう伝えていれば良かった話です。そこに対し他者からの否定や批判を怖がって隠してしまうよりもそれでやりたいのであればやっていれば良かった。べつにそれでも、問題は本来ならないのですから。


 やっても良いんだというその許可が下りた瞬間、憂鬱な心が晴れていく感覚と、吹っ切れたという表現が正しいような気がします。あぁ、やっぱりこれなんだ。と次第にブレていたものが定まっていって、これだ。と今度こそ掴み取った感覚がありましたそれが分かった瞬間、身体を治している場合じゃないと感じたのです。私の身体が治るのだとしても数年以上先の話。いつ終わるか分からないいのち、今の時代、特に私の場合はそうでしょう。ならばこのいのちが短くても良いからやりたいことをやって終わろうと思いました。
べつに身体が歪んでいたって悪いことじゃない。治したいという思いが一切ない訳じゃないし、正常な人としての動作で歩いている人たちを見て羨望する心はあります。ですが、きっと今の私は、それどころじゃない。
 シータを受けてからは確かに企業への意欲は上がっていましたが、今感じているようなワクワクするだとか楽しみだとか、そういう感覚が一切湧いて来なかった。企業とは言うがなんとなくこっちじゃないような中途半端な状態がまた続いていました。そしてまたある日から憂鬱さが目立っていくようになったのは先述の通りです、時間が過ぎるのを待ってばかりいました。それは私が本当の自分の声を拾えていなかったからであって、本質的にはエゴを選んでいた故に自分の本当の声が分からなくなっていた。

 私が悪口やいじめをされていたのも、見下されていたのも、私が暴力的になってしまったのも、それが実際に振るわれてしまったのも、そして、身体が歪んでしまったのも、すべて私が、たとえそれが無意識であってもエゴを選び取って来たからであり、自分の人生を、私のすべてをそこへ明け渡していたからです。それしかないのだと思っています。エゴじゃない本当の自分として居たことは、これまでの人生の中では、殆どなかっただろうと思います。
 然しながら先述でも云っていますが、私の心は未だゆるす領域へ触れただけであって、本当の意味でのゆるしが来るのはもう少し先になるのだと思います。でも私はここまで気づけている。出来てないところがある訳でもない。残念ながら怖がりなのは変わってないけれど、昨年の私が継続されているのかといういとそうじゃない。だからこそ、そんな私を信じてみようと思うのです。ただ一方で、家族含め、本当に私は相手を憎んでいるのかどうかが分からなくなることもあるのが正直なところでよく分からない.というのが今の現在地なのかなと思います。


 そして、私の二度目に相談にのって下さったその方との会話の最後辺りに、泣きながら私の口から吐き出された『悔しかった』。悔しさに関してはそれほど注視して見ていなかったので、単に悔しさはあったのだと”思う”ぐらいでしか掴めていませんでしたが、それをちゃんと言葉にしたそのとき、あぁ、本当は私、悔しかったんだ。と腑に落ちたというよりも認められた感覚があったのです。

 その悔しさというのはたぶんすべてにだと思います。過去の私へ攻撃して来た人たちに対してもそうで、音楽的な能力でもそうで、二次創作をしているときによく見かけていた、私の好きなCPの右の子に対しての扱いや、コメントから見える悪意 ‐ 前提としてこれは私の捉え方です。ですがそのときの私の目には、こいつにだけはなにをしても良いとか、貶すのを楽しんでいるかのような相手側の悪意が谷間見えていた気がしていました。私自身もそういった人たちに対しての否定もありました。 ‐ もそうでした。
そしてワクチン騒動で、打たない側がなかなか理解してもらえなかったこともそうです。
それらを思い出したとき、それらを見た瞬間、腹の底から湧き上ってくるどす黒い感情は、悲しみや憎しみというのも含まれますがただもう一つあったのが『悔しさ』だったように思います。然しながらそれを言葉にしたとき、なんだかスッキリしていました。とってもとっても、私は悔しかったのです。

 ここで共通しているのが『マイナー』という少数派側だったこと。子どもの頃から思えばですが、私はマイナー路線を一途に走っているような気がしています。


 これからの私は、『二次創作』と、『絵』『小説』をやっていきながら、私の好きなCPと共に、人生を歩んでいこうと思っています。そして実際のところを言えば私は無能です。なんのこれっぽっちも才能なんてない私ではありますが、これを機に、『クリエイター』になろうと考えています。又、同じ趣味をもった友達や仲間が欲しいです。そこで繋がった人たちと一緒に色々と様々に語り合ったり、コミュニティーとして漫画やアニメからの学びや気づきなんかもシェアし合ったり、そんなことが出来たら良いなぁと考えております。

 私は今年の5月10日で31歳になりました。人として、私は未だ未熟者です。けれど私自身がやっていきたいと思うことを、これからは自分へちゃんとやらせていってあげたい。今度は、嘘はなしで。自分の心に、素直に、正直になって。

 こんな人としてはダメな部分が多い私ですが、仲間、或いは友達として繋がって頂けたら、心から幸いで御座います。

 最後までお読み頂き、有難う御座いました。