◆世間では:
・IR法案:カジノ法案と勝手に名称を詐称したり、依存症だ賭博だというのであれば、どうしてパチンコが野放しにされているのか不思議に思わないのでしょうか?それとも、パチンコ業界保護のためだということは暗黙の了解?
私もいろいろと知っている訳ではないですが、ラスベガスのように成功しているところはIRだけではなく、MICEも併せた施設が中心になっているように思うので、IR法案ではなく、IR・MICE法案として再設定できればと考えてしまいます。

◆個人的には:
・「2016年の11月から12月へ」でも書きましたが、先月、車いすバスケの応援に行って、恥ずかしながら、初めて普通のバスケのルールを知りました。。。
24秒ルールや攻撃エリアにボールを運んだ後に自陣にボールを戻してはいけない、等も・・・でも、どうしてこのようなルールはサッカーにはないのでしょう?
サッカーでも、例えば5分以内にシュートを打たないと相手ボールになるとか、自陣のボールを戻してはいけないようにルールを改正してもいいのでは?(とサッカーもバスケもわかっていない者の戯言です)

○主な出来事:
特になしです。

○本:「本当の自分を見つける文章術」ブレンダ・ウェランド 著、浅井雅志 訳(アトリエHB)
・ゆっくりものを見て考えることこそ想像力なのです。思念が流れ込むに任せるのです。・・・何でもすばやく、きびきびと効率よくやっていると、そのうちあなたはうんざりして想像力は枯渇します。独自の考えが生まれ、育ち、ゆっくりと輝き放つだけの時間がないからです。
・私は、子供時代の思い出を、思いつくままに出来具合の配慮などせずにできるだけ早く、いい加減に書くように勧めます。・・・覚えていることを思うがままに、衝動的に書くこと、それが唯一の目的になります。・・・子供は真の自己で(創造的に)物事を経験します。理論的な自己、すなわちこうあらねばならない自己で(義務的に)経験するのではありません。だからこそ子供時代の経験は一番生き生きと輝いていて、そして真実なのです。
・真実を書くとはどういうことなのでしょう。それは、慎重さや気取り、お上品やわざとらしい残酷さといった表皮を引き剥がし、あなたが本当に感じることを率直に書くことです。これが理解できなければ、自然に、無頓着に、衝動的に、誠実に、毎日日記をつけることです。そのうちに、日記や手紙だけでなく、フィクションにおいても真の自己から書けるようになるでしょう。
・私は日記をつけることで書くのが好きになりました。・・・そして私のなんたるかを教えてくれました。自分の中の何を尊び、愛し、また何を捨てるべきかを。・・・私は日記をつけることから多くのことを学びました。しかし、もし毎日のささいな発見を書き留めていなかったら、こんなにうまく学べなかったでしょう。だから、もし何か書きたいのであれば、日記をつけることから始めてみてはどうでしょう。
・私は書く前に本全体の構成を考えるなんてことはしません。まず書き、後で構成を考えるのです。なぜかというと、言葉は自由に、意味を担って出てこなければならず、あなたが考えることを読者に伝えなければならないからです。これができれば本は生きてきます。
・なぜ私たちはこうしたことをしなくてはならないのでしょう。創造力を使って書いたり描いたり演奏したり、ということを。それは、人間が寛容になり、生き生きと喜びに満ちた、率直で共感的な存在に、あるいは、戦いや金儲けなどに無関心な存在になるには、創造力を使う以上にいい方法はないからです。

○これから一週間の予定:
・12/8(木) MCEI大阪支部 2016年12月度 定例会(大阪)
http://www.mcei-osk.gr.jp/article/13400584.html
・12/10(土) 東宇治スポーツクラブ・ノルディック・ウォーキング教室(京都・東宇治コミュニティセンター)