4月に最初の卵が孵って、もう1か月がたちました。

 

さてどうなったかというと・・・

 

蛹になった何匹かのうち、2匹が寄生虫にやられ(なかなかおぞましいです・・・。)残念でした。

この2匹は外でむき出しになっていた柚子の葉を食べていた終齢幼虫で、柚子の樹が丸坊主になってしまったので室内に連れてきたのですが、やはり外にいた終齢幼虫は寄生虫率が高いですねえーん

 

そんな中で昨日、3匹が無事に羽化しました。

蛹になったのは1日ずれでしたが、晴れた日を狙って羽化するんでしょうか。

蝶の羽化って不思議ですね。

我が家のアゲハ蝶は今蛹になっている第一弾だけでほぼ終わりとなりそうです。

というのも、エサの供給用にと思っていた柚子の樹が5月初旬時点で丸坊主になってしまいました。

今年は天敵が殆どおらず鳥やトカゲに食べられる幼虫が少なかったからかな。

 

去年は7-8月頃にまた葉がたくさん生えてきたので、今ある植木はネットをかけて保護しようと思います。

 

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グラバー園を後にして、すぐに稲佐山の夜景を観に行きたかったのですが

多分・・・次女はもたない。

 

一旦ホテルへ戻り、食事をしてどうするか決めることにしました。

 

ホテルの横(新地中華街そばの岩崎本舗隣)にある海鮮のお店の丼ものを持ち帰りました。

 

「コンビニのおにぎりがいい」と言っていた次女はいくら丼。

これが一番高かったらしい。

 

なんだったかな?

海鮮丼だったかな?

 

長崎は海の幸が美味しいです!

 

夜景を観に行くのに次女が行かない場合は誰がホテルに残るか・・ということをマーティンと相談していたら

次女が「やっぱり行く」ということで急いで準備しました。

 

タクシーで稲佐山の中腹のスロープカー乗り場へ。

山頂へ行くには車(マイカーかタクシー)で山頂まで行く以外に、下からのロープウェーと中腹からのスロープカーがあります。

スロープカーに乗りたかったので混んではいましたがスロープカーで山頂へ。

到着すると、帰りのロープウェイに長蛇の列でした。なんとロープウェイに乗るのに1時間半待ちだったそうです。

 

その辺はあまり気にせずに夜景を楽しみました!

とっても綺麗でした!

 

さて、帰りロープウェイは時間がかかるのでスロープカーで中腹に戻りバスかタクシーで帰ろうかと思ったら・・・・

9時半過ぎで最終バスは既に出ているし、タクシーはこんなところまで来ないというゲロー・・・!

 

スロープカーのスタッフさんにもご心配をおかけしましたが何とかタクシーが掴まりホテルへ戻ることが出来ましたキラキラ

 

教訓・・・GWはスロープカーにこだわらず、タクシーで山頂まで往復したほうがいいです。

とにかく帰りの足が無いのが一番怖いですね滝汗

 

翌朝はマーティンと子供達はハウステンボスへ、私は福岡県北九州市へ。

 

7~10年ぶりのいとこたちとその子供たちとも会ってお風呂や食事を楽しみました。

 

呼子ではないですが関門海峡のヤリイカ

美味しかった~!

初めて知りましたが、お刺身のイカは切れ込みが入った胴体の部分だけを食べ、

ゲソは天ぷらにするんだそうです。へえ~!

 

翌日は北九州空港へ。

松本零士さんゆかりの地ということでメーテル。

 

北九州空港では実はこれが楽しみでした。

筑豊ラーメン山小屋というラーメン屋さんの豚骨ラーメン。

いや~美味しかった!また食べたいですドキドキ

 

ということで、マーティンたちとは羽田空港で待ち合わせということで(ターミナルが違っていましたが)、3泊4日の九州旅行を楽しむことが出来ました。

 

久しぶりにアルバムを作ろうかな~。

 

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ホテルで1時間くらい休憩したのち、大浦天主堂とグラバー園へ向かいました。

新地中華街から路面電車で10分程度。

 

駅から少し歩いて案内板の方へ向かうとものすごく急な坂道が目の前に。

え・・・帰りたい~と思ったけれど、お土産屋さんやお洒落なお店がたくさん並んだ道だったので頑張って上りました(大げさか汗!)

 

途中でザボンジュースやびわジュースを飲んで元気を取り戻したので少し進むと大浦天主堂。

 

なんと国宝なんですね!

 

更にここは世界文化遺産の一部でありました。

大浦天主堂は隠れキリシタン発見の地ということです。

それってどうゆうこと?と思いましたらチケットを買ったところで貰った冊子に詳しく書いてありました。

1549年キリスト教が伝来し、豊臣政権及び徳川幕府での大弾圧を経て長崎中心部からはキリシタンは姿を消したものの、

周辺地域や島では密かに信仰が続いていました。

 

幕末の1865年、創建されたばかりの大浦天主堂のプティジャン神父を浦上の信徒十数人が訪れたことで約250年ぶりに信徒が見つかったということです。

 

ただこの時点ではキリスト教は引き続き禁止されており、この2年後1867年に浦上の信徒約3400人に対する幕府及び明治政府による大弾圧(浦上四番崩れ)が起こり、この事件に対する欧米諸国の非難と条約改正を視野に入れた岩倉遣欧使節団の働きかけで1873年に禁教令が効力を失い、キリスト教が認められるようになった・・・ということです。

 

この浦上四番崩れで配流された信徒達が浦上に戻ってきて浦上天主堂が創建され、1945年の原爆投下で倒壊する・・・ということで何度も過酷な歴史を経て今に至るのです。

 

キリスト教にとっての、また長崎にとってこのような歴史があったことを全く知りませんでした。長崎の人たちはこういう歴史もきちんと学んでいるんでしょうね。

1867年~の浦上四番崩れについては原爆資料館で見た永井医師の著作『乙女峠』を読もうと思います。

 

お次はグラバー園。

グラバー園というからにはグラバーさんだけの家なのかと思いきや、ここに居住したたくさんの外国人のお家がたくさんあります。

坂が多いのでエスカレーターに2回乗ります。

 

こういう洋館があちこちにありました。

 

そもそもグラバーさんとは?

英国出身の武器商人で武器が売れなくなった後には炭鉱を経営し、キリンビールの基となる会社を築いた人。

ひとことで言うとこういう感じでしょうが、長く濃い人生があって、それこそ大河ドラマ龍馬伝などでも登場したそうなので、やっぱりこういうのを知っているとドラマが面白く観れるんだろうな~と改めて思いました。

(次が最後です。)

 

 

 

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