7月7日午後8時。
僕は「999」と刻まれたドアの前に立っていた。どんな服装でも大丈夫だとは書いてあったけど…、念のための僕の一張羅(会見用のスーツ)を着てきたのはいいけれども、ほかに中に入っている客は見当たらない。
"誰にもこの場所を知らせてはいけない"
というのが、この手紙に書いてある最初で最後の注意書きだった。ファンのいたずらかもしれない。でも、わざわざファーストクラスの往復航空券まで送って、ロシアのサンクトペテルブルクまで来い、なんていう気前のいいファンがいるのだろうか。
もしいたとして、それがいたずらか何かの罠であったところで、憧れのヴィクトルがいる場所にただでいけるチャンスなんて滅多になかったので、僕は半信半疑でその罠に乗ることにした。
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この手紙が届いたのは、ちょうど7月1日のこと。
「ユウリ~、秘密の会員制クラブって知ってる?」
「七夕の夜だけ開くってところ?噂なら聞いたことがあるけど…」
ピチット君が急にそんな話をするから、なんとなく気になってネット検索をかけてみる。世界に500人ほどの会員が存在していて年会費は数百万。クラブの場所でさえも、会員のみの秘密だという「クラブ999」。
1年に一回、七夕の夜にだけオープンするなんて少しロマンチックだし、ヴィクトルがそのクラブの会員だって噂はあるけど…、僕には無縁の場所だと思っていた。
「ユウリ!何か手紙が届いてるよ?ファンからかな?」
「え~、僕にファンレターなんて滅多に来ないから…、いたずらじゃない?」
「消印がないから、直接入れたのかな?」
真黒な封筒に"999"と箔押しがしてあった。僕たちのルームナンバーではない。
「あ、ユウリ~、ヴィクトルが出てるよ~」
リンク横に設置されているテレビには、大会を終え帰国したヴィクトルの姿が映っていた。
「ヴィクトル選手、日本には"七夕伝説"というものがあるのを知ってますか?」
「もちろん知っているし、ロマンチックだからとても大好きだよ。今年の七夕は…、いつもと違うものになりそうだし」
「と、言うと…。もしかして噂されている彼女との進展が…!?」
「それは秘密だよ。というか、何かあってもみんなにはお知らせできないと思うけど」
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ヴィクトルがいることを期待してたけど、テレビであんなこと言ってたし。きっと、今噂になってるモデルの彼女と一緒に過ごしてるに決まっている。
数回そのドアをたたくと、ゆっくりと重たそうにそのドアが開き、中から執事が現れる。
「カツキ様でお間違いないでしょうか」
「あ…!はい!勝生勇利です!」
中は暗くて、その執事の表情を読み取ることができないけど、白いひげがきれいに手入れされているようだった。
「中でお連れ様がお待ちです」
連れ…?なるほど。この手紙を送った張本人が中に来ているということだ。初めてファーストクラスに乗れたし、空港には謎の黒塗りのリムジンで迷うことなく来ることができたから、悪い気はしないけど…。一体だれがこんな手の込んだいたずらをするのか。
真っ赤な高級絨毯が敷き詰められた薄暗い廊下を、しばらく歩き続ける。執事の靴の音、それから時々ドアの閉まる音以外は、話声さえも聞こえてこない。
ゆっくりと足を止める執事。こちらを振り返りながら、シルバーのカギを一つ、僕に差し出す。
「カツキ様、ここから先のどのドアも開ける権利があなたにはございます」
「え…?どういうことですか…?」
「すべてのドアを開けられてもかまいません。一つのみでも構いません。もう十分だと思ったら、部屋ごとに置いてある電話で"999"を押してください」
そう言い残し、その執事は廊下の奥へと消えて行ってしまった。
僕はよく分からないまま、渡された鍵で少し前にあった「10」と書かれたドアのカギを開ける。
「パパ、これは?」
「スケート靴だよ。お前用に作ったんだ」
「わあい!たくさん上手になるよ!パパとママのために!」
部屋の中にはいると、突然その家族の映像が流れ始める。幼い子供は、ヴィクトルの幼少期に非常によく似ていた。
映像が途切れると、部屋は急に明るくなり、真ん中に置かれた小さなテーブルには、また別のカギが乗っていた。
RPGゲームみたいだ。
そのカギを手に取り、その部屋を出てからまた別の部屋の扉を開く。
「ママ、見て!上手に滑れるようになったでしょう!?」
ヴィクトルに似た子ではない。その時、その子はヴィクトルなんだとわかった。でも、ビデオが流されているわけではなさそうだ。一体、どういう仕組みになっているのだろう…。
そしてその部屋もまた、映像が終わると明るくなり、次の部屋へと導くカギがテーブルに置かれていた。
いたずらにしては、よく手が込んでいる。
でも僕は、恐怖心よりも好奇心のほうが強くなっていた。もう長いことヴィクトルのファンでいるけど、試合や撮影以外などのヴィクトルの姿は見たことがなかったから。
「パパとママ…、どこに行ったの…?」
暗い部屋の中でぬいぐるみを抱えながら泣いているヴィクトルのシーンで、次の部屋の映像が始まる。
そういえば、どのインタビューでも決して両親の話をしたことがなかった。
「ヴィーチャ。これからは俺と一緒に暮らすことになる。お前を立派なスケーターにしてやる」
これはヤコフコーチなんだろうか。幼いヴィクトルの手をつなぎ、墓に花を添えている。涙を流すことなく、ただ茫然と立ち尽くすヴィクトルの姿に涙が出た。
明かりがつくとそこにカギはなく、奥のほうへと続く下り階段へと向かう扉が開いた。
薄暗くてよく見えないけど、下に近づけば近づくほど、花の匂いが濃くなっている。すべての階段を下り切ったところで、"999"と書かれたドアが姿を現す。
いよいよラスト…、ということなのだろうか。
ドアノブに手をかけようとしたその時、扉がゆっくりと開き僕を招き入れてくれた。
中では長い髪ののヴィクトルがスケートリンクで踊っている映像が流れていた。見たことのないプログラム。月明かりだけを頼りに、暗いリンクを踊り続ける彼の表情は、少し切なそうだった。
そして段々、彼の今のヴィクトルへと変化を遂げる。少しずつその映像は僕のほうに近づいてきて、手を伸ばす。
その瞬間映像は消え、僕の周りは真っ暗闇に包まれた。
「ユウリ。こっちだよ」
それは明らかにヴィクトルの声だった。
もう10年近く憧れている人の声を聴き間違えるわけがない。
僕はその声に導かれるように、真っ暗闇を突き進んだ。
―ーカーテンが開く音が聞こえ、そちらを振り返ると、最後に映像で見たヴィクトルのシルエット。
「ヴィク…トル…?」
「そうだよ、ユウリ。やっと来てくれたね。どれだけ君のことを待っていたか…」
「待ってた…って…」
「俺が俺以外に、夢中になったものは、ユウリ、君が初めてだよ」
夢か現実か、判断がつかなかくなっていた。ただいえるのは、僕たちの出会いは奇跡のようで、きっと運命だったかのようにも思える。
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sio様!
素敵な企画に参加することができて、本当に光栄です!
そして、ここまで遊びに来て読んでくださった皆様…、初めての方もいつも来てくださっている方も、本当にありがとうございます。
こういう企画に参加するのは初めてで、右も左もわかりませんが、こういった機会を通じて、たくさんの方とつながれれば嬉しいなと思っています。
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