アニメ映画の【ルックバック】を映画館で観てきました。
仕事帰りに1人でね。
これはアニメ化された漫画【チェンソーマン】の作者でもある漫画家の藤本タツキ氏の読み切り作品【ルックバック】のアニメ映画というね。
ここからはネタバレを含むので、まだ観てない方は生姜焼きでも食べてご自愛下さい(笑)
僕はネット予約をしてから行ったわけです。
上映されてる劇場の数が少ないので仕事帰りに間に合うのが最後の回だったから予約してから行こうと。
座席が選べるわけで、前日に予約したのもあるけど空席が多かったのよ。
だけど真ん中の席は少しだけ埋まってて、2席並んで埋まってるのはおそらくカップルだろうなと。
これは男子トイレのマナーと同じなんですけど、オシッコをする時は1つ空けるんですね。
どういう意味があるのかわからない風習みたいなもんなんですけど、小学校の時は学校でウンコしたらダメみたいなやつ。
そういう意味でいうと劇場の客席をクラスの席替えみたいなイメージで捉えるわけです。
スクリーンに対して真ん中が理想なんだけど、こっちは1人だから1席は空けたいと。
カップルと並んで観るのは避けたいなと。
後ろから数えて3列目の真ん中が空いてたのでそこを予約したのよ。
これはもう勝ち確です。
なぜなら、この後ろから3列目の真ん中は僕が先に抑えているからね。
男子トイレの掟からすると僕の後にチケットを買う人々は僕の隣を1席空けた席を購入することになるわけですよ。
で、当日にポップコーンとコーラの乗ったトレイを抱えて自分の席に座りまして、後は上映を待つだけだと。
ただね、ポップコーンとコーラの乗ったトレイを座席のドリンクホルダーに突き刺すんたけど、なんかユルユルで不安定なの。
これで合ってんのか?みたいな不安になるわけ。
完全にトレイの発注ミスだろ?って感じでドリンクホルダーとの径が合ってないのよ。
こういうしっくりこないことにモヤモヤするタイプの僕としては理解に苦しむんだけど、更に理解に苦しむことになるわけ。
カップルが僕の隣に座ったのよ。
こんなに空席があるのに。
しかも、カップルの男が僕の隣に座ったわけですよ。
てめぇ男子便所の掟を知らねえのか?と。
なんでカップルの野郎と隣同士で映画を観なきゃならんのだよ。
ルックバックより真横のカップルが気になるわ。
右のカップルと左のドリンクホルダーのユルユルが気になり過ぎると。
そしたらさ、カップルの女の子がチケットを見て「席違くない?」って男に言ってるわけよ。
そりゃそうだろ!
1人で映画を観に来てるやつの真横の席を買うなんておかしいだろ!
どうせ1列後ろだろ?って思ったわけ。
そしたら立ち上がったカップルの男が「すいません」って俺の足元にあるリュックサックを跨いで行くわけよ。
それに続いて彼女も「すいません」って俺のリュックサックを跨いで行くわけ。
まあね、ちゃんと「すいません」が言えるのは素晴らしいことですよ。
ただね、なぜか、そのまま彼女は俺の左隣に座ったのよ。
いや、あんたら、どういう神経してんの?
◻️◻️◻️◻️◻️彼氏彼女俺◻️◻️◻️◻️◻️◻️
(※◻️空席)こんな並びになったわけ。
いや、せめて、男が俺の隣に来いよと。
この場合の正解はカップルの男が俺の隣だろうよ。
女性ボーカルを男子メンバー2人で挟むような布陣はよろしくないよ。
いきものがかりじゃないのよ。
これがドリカムとかヒスブルだったら俺が捕まるのか?と。
これがチェンソーマンでカップルの彼女がパワーちゃんポジだとするなら、俺が先に死ぬのかと。
で、隣に座ったカップルの彼女がドリンクホルダーにユルユルのトレイを刺した時にボソッと言ったのよ。
「ねぇ……これで合ってるの?(笑)」
うわぁ感性が自分と同じ女子が現れたって、思うわけよ。
まぁ100人中100人がユルユルだと思うけどね。
「これで合ってる?」っていう表現がね。
「これ緩くない?」「これ落ちそうじゃない?」ではなく、「これで合ってる?」っていう言葉を選択することで表現に幅を持たせる感性が【ルックバック】を観に来るだけあるなと。
こういうセンスのある女子が僕は好みなんですよ。
ただね、大抵の男子は照れ隠しでユルユルのドリンクホルダーに対して「なんかビッチのアソコみたいだな」とか言って嫌われることになる。
でね、ルックバックは上映時間が1時間くらいの短い作品なんですね。
なので、ポップコーンを速めにやっつけないと後半の内容に集中出来ないわけ。
僕は1人だからひたすら食べるしかないんだけど、隣のカップルの彼女もひたすらポップコーンを食べてるわけよ。
この感性も似ているのは何なんだと。
一見すると食欲が旺盛で品がないように思われてしまうが、実は映画の尺から逆算してクライマックスに集中出来るようにと周りにも作品にも気を使った食欲なのではないか?と。
もしかしたら1人で映画を観に来ている人が寂しくないように隣に座ってくれたのか?と。
俺は京本なのか?と。
どう転んでも俺は死ぬのか?(笑)と。
ここまで書いてきてまだ映画の内容に触れていませんでしたね。
これね、観る人の年齢とか経験値で感想は変わると思うのよ。
自分よりも才能がある人に出会うとか、死ぬ気で何かに取り組むとかね。
僕がおっさんの年齢だから仕方がないんだけど、好きでもない憧れの職業でもない仕事を死ぬ気で頑張ってにたわけですよ。
就職氷河期世代なんでね。
そこには自分よりも圧倒的な能力がある先輩がいてさ。
建設業なんで週6で働いて月の休みは4日しかなくてさ。
酷い時は休日出勤で月に休みが1日だけとかあったし、徹夜とか大晦日まで仕事して正月休みも2日から仕事したりとかね。
好きでもない仕事だよ。
なぜかって働かなきゃ生きていけないからね。
そんな生活を10年以上続けてきたわけですよ。
我々就職氷河期世代はさ。
ブラックな時代を背負わされた最後の世代なんですよ。
そういう世代からするとエンタメってジャンルを問わずに癒しですから、命削った作品じゃないと響かないわけ。
主人公が小学生の女の子で教室でもずっと漫画を書いてるわけ。
女の子版まんが道みたいな感じなのね。
主人公は友達の女の子から中学生になっても漫画を書いてたら周りから変な目で見られるよって言われるわけよ。
オタクじゃないけど、そんなような優しさから客観的な忠告をしてくれるシーンがあってさ。
俺、1人で映画を観にきてるんですけど・・・
俺は大丈夫なのか?とか思ったけど、ここまで来たら仕方ないからね(笑)
孤独の悪魔と契約してるからね(笑)
主人公が才能に嫉妬して漫画を書くのを止めた引きこもりの京本からサインを頼まれるくらい才能を評価された帰り道の描写は漫画の方が良かった。
ジャンプ+で前半は読んでたのよ。
あそこの場面はアニメでどう表現するか期待してただけに漫画を超えては来なかったのが残念だった。
嬉しくて雨の中で跳び跳ねるシーンはいっそのこと新海誠風味で良かったと思う。
その後の濡れたまま机に向かって再び漫画を書き始める狂気に満ちた後ろ姿との対比なのかもしれない。
で、後半の京本とコンビで漫画を書く展開は初見だったので、京本が殺されたことには驚いた。
コンビで連載が決定したのに京本が美大に進学することを決意して主人公にコンビの解散を伝えるシーンには泣きそうになった。
喪服を着た主人公が京本の部屋に入って背中を見たシーンでは少し泣いてしまった。
僕の感情がややこしいのは、原作の漫画を前半しか読んでなかったのよ。
作者の藤本タツキ氏は全部を無料で公開してたらしいのね。
俺が見た時には前半だけ無料になってたのよ。
映画化するから集英社も商売だから仕方ないとは思うよ。
そうなると、俺からすると、俺の超個人的な誤解かもしれないけどさ。
京本を京アニに絡めて殺すなよって思うわけ。
絶対に原作は全部公開してなきゃ作者の意図は成立しないよ。
アニメから京本というキャラクターに触れた俺からすると、ふざけんじゃねえよって思うわけ。
京アニの事件を引きにして商売してんの集英社じゃねえかよって思うわけ。
京本の声優が上手すぎたのかもしれないけど、普通に殺されるのが嫌だったのよ。
わからんのよ。
いや、もしかしたら、原作の漫画の後半の描写はもっと配慮してるのかもしれないからね。
京アニに嫉妬するレベルのアニメーターが作ったのか知らないけどさ。
現実を絡めるって難しい表現だし、リスクを伴うわけじゃん。
そりゃ、現実は残酷よ。
好きでもない仕事で死んだ仲間もいるよ。
犯人という怒りの矛先のない苦しみも現実にはあるからね。
そこだけ、そこだけが、ドリンクホルダーのユルユルみたいに「これで合ってるの?」って感じた。
その後の京本が死なないバージョンには救いがあったから良かったけど。
なんというか、京本の京は京アニのことですよっていう安直な正義感が何かキモいのよ。
ボカすくらいなら敢えてなのかわからないけど。
蛭子能収が息子を苛めた相手を漫画の中で虐殺する方が救いがあるというかね。
漫画やアニメの力で訴える表現もあるけど、セキュリティーとか消防法という現実問題を変えて行く方が振り返る上では大切なのよ。
つまり、選挙に行こうと。
1票というパンチが効くのかどうかわからないけど自分に出来ることを日々やるしかない。
最後に蛭子能収が映画を鑑賞した後に涙で目を真っ赤にしながら映画の感想を番組のスタッフから聞かれた際に残した名言を紹介して終わります。
「泣いたからって良い映画とは限らない」