私の理論が正しければ。

①lowpassfilter16101.01hz

②highpassfilter19.11hzあるいは31.11hz

③eq8000hz減少

④eq12500hz~13500hz減少

⑤delay0.0101秒1回

⑥delay0.10089秒

⑦eq80hz~99hz減少

①ドレミという一つ一つの音はコイルに似たような模様を表わす。したがって音楽は耳が無くても鑑賞できる。

②ワンオクターブが12音に分かれるのは、12音に均等に分かれやすい切れ目が入っているからである。微分音はややこしいという理由で排除される。

③音楽の正体は譜面そのままであり、鑑賞される際に大きく変化して別物になるわけではない。

④譜面はそのまま幾何学的模様として機能する。これによって「明るい曲」「暗い曲」「夏っぽい曲」「冬っぽい曲」という性質が付加される。しかしこの時点でも譜面がそのまま模様になっているのであり、大きく変化するわけではない。

音楽はどうして12音に分割されるのか。

それは「11音で割るくらいなら12音で割るべきだし、

13音で割るくらいなら12音で割るべきだから。」

だと思う。

さらに別の言い方をすれば

「最初から1オクターブは大体12分割されそうな切れ目が入っており、

それなら均等に12分割したらちょうどいいから。」

である。

ちなみに微分音が使われない理由は、

「ややこしいから。」だと思う。

音楽は音波を並べたものが幾何学的模様っぽいものを生産するものである。

「図形風(ふう)彫刻作品」のようなものである。

エレクトリックギターが形状によって異なる音色を放つのは

各ギターの形状が描く模様から起因するものである。

 

追記

①音が高さを持っているのではない。精巧に作られた楽器を使うことでドレミを表現できるだけである。

音や楽器は音楽の手段にすぎない。楽器を使わずに音楽を伝えることができるならそれでもよい。

要するに、音楽は「音楽」と言うが「音を使っているだけ」なのである。

音楽の真の本質は上記の通り、幾何学的な側面である。

 

もっと極端に言えば、音楽は視覚的な幾何学的模様である。現段階で人類は音楽を耳で聴いているだけである。

 

音高は音波の伸び縮みによって描かれる模様である。

 

②音楽作品の本体は譜面そのものである。「ドレレファ」という曲があったらその曲の本体は「ドレレファ」である。

それそのものがそのまま幾何学的模様となるのである。

 

追記

①音楽の「本体」は、「楽譜そのまま」である。 

②音楽の「機能・本質・解釈」は、「幾何学的模様」である。

③音楽の「音高」は、「音波の伸び縮みによって描かれる模様」である。(分かりやすく言えばコイル状のようなもの。)

 

追記

「音楽は幾何学的な織物である」と言ったほうがいいかもしれない。

少数派を擁護するのが「人権派」であると解釈するのは矛盾である。
なぜなら多数派にも人権があるからである。
しかしながら多数派にも人権があるとして多数派を支持するならば少数派を軽んじるのはこれまた矛盾である。
当然ながら少数派にも人権があるからである。