流産と死産と経験をしたわけだが、
両方とも、あまり人には言わない事。とはいえ、ちょっと心配かけた人とか、
信頼している人には話の流れをみて打ち明けている。
すると、やはり死産といっても流産と同じくらいの規模だと思われてる方が多い。
はじめに書いておくと、流産でも死産でも、
悲しみの度合いは物差しではかれるようなものではないと思う。
。。。思いますが、身体の負担はかなり違うとおもいます。
ちょっとアクの強い年上の同性知人に打ち明けた時に、
ああ。私も流産したことあるから。うん。痛みも辛さも私は知ってる。
と、さらっと言われた。
申し訳ないけどすごくもやっときたのは私の心の未熟さ故か?
自分も気をつけているが、感情が沼にハマってしまうときもある。
お腹の大きいマタニティーの方を拝見するたびに、自分も無事だったらこれくらいだったかー。とか、思っちゃうと落ち込んじゃったりする。
また、赤ちゃんを大事そうにだきだきしながら歩くママたちがとても眩しく見えたりするときもあり、そんな時自分がほんとしみったれたようななんかみっともない姿に見えたりする。そして凹む。。
お供え物は、火葬後〜はお菓子とミルク。49日すぎてからはミルク。そこからしばらくして、ミルクを水にした。意図的にそうした。自分なりにけじめを付けないと自分のなかである程度の線引きをしないと前に進めなそうな気がしたからである。
毎日夫を送ってから1人の時に水をあげて手を合わせる。だから赤ちゃんの事を忘れた日は無い。でも忘れる瞬間はある。赤ちゃんの事を考えていない時間はあり、それはだんだん多くなって来ているような気がする。そのことに戸惑う事もある。これでいいんか?よくないんか?
それから、また同じ事繰り返したら私は正気でいられるか?とか。
見た目的にはちょっと小太りになったくらいで、恐らく私に会う人は気づかないだろうけど、上記にかいたような自分との戦いというか心の中の葛藤は色々ぐるぐるもやもやしている。
上記のお姉さんも、過去に堪え難い苦しい事大変な事もあったかもしれないけど、そんなにさらっと言われても、もやもやに拍車がかかるんです。たとえいたわりの言葉だったとしても。
自分の心がかなり慰められたのは義理のお姉さん(といっても私より年下の子だくさんママ)の、
体調は大丈夫ですか?とにかく無事で良かったです。norakoさんの悲しみや苦しみはnorakoさんしかわからないものですよね。という言葉だった。
生理前はダウナー気味になってだめだ。明日からはまた笑顔になろう。
