物が高くなりましたね。
90円程度のトマト缶を使ってパスタを作るのが好きでしたが、この前スーパーに行くと気候変動の影響もあり一缶150円くらいしました。
円安が進み、海外の人たちにとっては日本旅行をするのにいい状態になりました。
沢山外国人の人たちが日本にやってきます。
ほかの国々では日本以上に激しい物価の上昇があり、その中でまともに仕事のある人は収入も上がっているようです。
日本はというと。
株価は上がり続け、春闘の結果給料が上がる企業も多いようですが、物価上昇や国への支出に対して一般的な日本人の人たちはどうでしょう?
一過性の状態といえばそうかもしれません。
ですがすべては一過性、変化するものです。
変化していく状況の中で価値について今一度考えてしまいます。
人間が一日生きるために必要な食品の金額を仮に10だったとして、それが数十年変わらなかったとします。
しかしある日突然これが20に変わってしまいます。
でも一日に必要な食品の量は同じです。つまり人間が一日生きるという意味において絶対的な価値は同じです。
変わったのはお金の価値です。お金の価値は変化します。
常にお金の価値は小さくなり続けます。(物の金額は上がり続けます。)
昔は1円未満の単位銭がありました。
お金(という概念)を作るのは銀行です。
国や会社へ貸し出すという形でお金が国に増えます。
借り入れたお金で事業を行った一部ががみんなの給料になります。
みんなはそのお金で買い物をします。
大きな借り入れをすることで大きな事業を行うことができ、大きな事業は小さな事業に比べてに大きな利益を生みます。
銀行はみんなから預かっているお金だけを国や企業に貸しているわけではなく、存在しないお金を作り出して貸すことができます。
そう聞くとたくさん紙幣を刷っているように思うかもしれませんが、国や企業にお金を貸すと時にする作業は機械に数字を打ち込むだけです。
でもそれだけで国の中にあるお金(数字)の総量が増えます。
お金の総量が増えても地球上の物質が勝手に増えるようなことはありませんから、変化しない絶対的な物の価値(トマト一個はトマト一個の価値)に対してつり合いが取れないので、増えたお金の分だけ市場の物価が上がります。
もちろん値段が変化する要因はほかにもたくさんありますが。
では、一年前に働いて得た貯金は一年後上がってしまった物価の分だけ増えてくれるでしょうか。
増えません。
当たり前ですよね。でも当たり前でいいんだろうかと思うのは僕だけでしょうか。
一年前の自分の労働力の価値がともすれば半減になってしまうということです。
一年前自分が工場で働いて作った部品を使った商品が高騰していても自分の貯金は増えません。
労働の価値をいつの間にか誰かに奪われています。
国に支払わなければいけない税金が上がったわけでも、燃料が海外から入ってこないから電気代が上がったわけでもありません。
通貨(コイン)は国が作っているから日本国と刻印されています。
紙幣は2000円札を除き日本銀行券と印刷されています。
日本銀行券とは日本銀行がその価値の信用を保証する債務証書。つまり誰かが借りた借用証書です。
昔紙幣を作った頭のいい人は言いました。
「たくさんコインを持っていても大きな買い物をするのに持ち運びが大変でしょう。
うちが預かって管理しますから企業間などの大きなお金のやり取りはコイン何枚と書いたうちの預かり証で行ってはどうです?
コイン1枚でも100万枚でも紙一枚で済みます。もちろんお預かりしているコインはいつでもお返しできます。」
そして、預けた一人一人は預けられたコインの総量を知りません。
なので預かっているコインで金貸し業を始めました。
貸し付けるのはコインではなく債務証書。そうしてそのものには紙としての価値しかない紙幣という発明が誕生しました。
そして時代は流れ、より大きな事業で大きな利益を得たいという欲が膨れ上がっていきました。
事業は大きければ大きいほど大きな利益を生みます。
地球上でもっとも大きな事業とは何でしょう。
戦争です。
国は戦争で勝つと国としての望みがかないます。
侵略だったり脅威に対して防衛だったり。
負けた国は財政的にも大きな痛手を負います。
そして負けた国が発行する通貨に対するほかの国の評価が下がります。先のない国のお金は他国の誰もいらないので手放す人が増え、手がつかないプールされたお金の価値が下がるのです。
お金の価値が下がるとその国の通貨で物を買おうとする時いくら札束を積み上げようと1つのパンも買えない状態になったりします。
戦争をしようとする国があった時、その国のお金の価値が下がってしまう恐れがあるので、武器を作る会社も前借では武器を売ってはくれません。
そこで、国を持たない金貸しは戦争をしたい国にお金を貸してもいいといいます。
負けて払えないときは代わりになるものをもらいます。普通の金貸しと同じです。
金貸しは戦争をしたい国Aと対立する国B両方の国に貸し出します。
敵も味方もありません。善も悪もありません。
買った国からは利子を付けて返してもらうだけです。
戦争の後には復興が必要になってきます。復興のために必要な事業にまで出資します。
損もせず手も汚さず世界で一番儲かる事業です。
兵器を作るための事業をする国は戦争がなければ財政破綻に陥るため、様々な方法で世界に火をつけます。
国も敵も味方もない人に従わなければならない規律や正義はないので、悪いことをする人たちを育てる事にも出資します。
育てた悪い事をする人たちを他国に入れたり、その国の中にもともとある対立する人たちに出資します。
起きた問題を武力によって解決するしか方法がなくなったと一方的な視点から世界に放送するメディアにも出資します。
人は幸せで平和であることを望みます。幸せで平和のためなら仕方がないと、もうそれしか道はないのだという空気を作ります。
空気は政府の意向を後押しするので、政府は戦争を支持します。
現在行われているウとロの国の戦争にももちろんお金が貸し出されていますが、ウの借金の保証国に我が国がなっているという事を知っている人はあまりいません。
ウは日本がその保証国であり続ける限り、もうやめるとは言わないのかもしれません。すでに国土の何十%はウの所有でなくなっているそうです。
戦争の話に偏りましたが現在のお金はこれと同じものを使われています。
イメージ的には循環というよりらせんを描いて落ちていく価値な気がします。
物の価値が安定せず不安定な経済状況にあって確かな価値とは何だろうと思う。
ことのほか大事な、それこそ生きることに必要な物・事、その次に生きていくうえで幸せと思えるために必要なものが価値じゃないだろうか。
この前、ネットのニュースで
【大注目】水も肥料やらない!? 甘くて美味しい野菜ができる"耕さない農業"とは『every.特集』
というものを見た。
年数はかかるが、土が育てば草を刈って種をまきっぱなしでも作物が育つうえ味が濃くておいしいという。
おいしい野菜一つに価値があるのではなく、その終わらない循環。傷つけない傷つかないで生まれる価値。
これこそが価値だという気がした。
畑とも言えない元果樹園をプラスチック製品や様々な当時のごみを片づけたり、土の中の環境を考えながら耕したり、
そのままにして様子を見たりする自分の活動の一つについてたまに
お金にもならないし誰も評価されないししんどいと思うことがある。
でも何年か作業して青々とした大地を見ると動画の中に感じた価値と同じものを感じたという話。
ある日目が覚める前に浮かんできた考えが、
もしお金の価値が極端に下がってしまったり、物流がうまくいかなくなった時、人は何に価値を見出すんだろうか?だった。
ものを売ろうにも物がない。工場で物を作るにも必要なものがない。機械を動かす燃料がない。こういう状況はもうあり得ないこととは言えない状況が見え始めている。
日本の農業もいわば工場のようなもので、農薬・化学肥料に頼らざるを得ない状況でこれらが尽きたときもはや地の力に頼る他なくなる。
そうなったときどうなる?
自分のやってる事こそが価値あるものの一つなのかもしれない。
”土と向き合え”
そう言われている気がする。

