始めまして。私のペンネームは昭和を愛するのらくろです。皆さんにも大きかれ小さかれあることが起こりそれによってあなたの生き方や人生が変わったって事はありませんか?良い方にいくこともあれば時としてそれがネックになってしまったりそうかと思いきや360度状況が変わってしまったなど。色々だと思います。
私の家族は両親から始まります。色んなことが起こり両親の離婚、そして父親の問題また人様に迷惑をかけた父親。どれもこれも悪いことばかりこんなにも続くものだと思いました。そんな中でも人間と言うものは楽しかったことや家族で水入らずの時って今でも鮮明に覚えているものです。
父は新聞配達をしていました。ですが軽トラにはねられて車の下敷きとなり数メートル引きずられました。担架に乗った父は口からも血を吐いていました。奇跡的に回復はしたものの障害が残りました。かといって歩けないとかではなかったのでその後も仕事には就きました。ただ、病院で相部屋になった人達が競馬にはまっていて外泊許可が出た時にも家には帰らずその人たちと競馬に明け暮れていました。そしてつぎのしょくばで使ったお金を返済しないと届出を出すと言われ、両親にある日起こされて親類の家に行きました。その親類とは何か金融関係の会社を経営していた人です。あんまり優しい人ではなかったので私は苦手でした。でも、うちは姉と私のみ。お兄ちゃんが2人いる家がうれしくてよく遊んでもらいました。その日は、つくや否や部屋に通されたけど叔父さんは怒った顔で部屋で立ったままです。両親と姉と私は部屋の真ん中に通されて罵声を浴びさせられました。そして家族四人で土下座をさせられました。時々頭を叩かれながら何故?と泣いていました。その後、お兄ちゃん二人が私と姉を連れて外へ散歩に行きました。もちろん両親は叔父さんの家で借金を返すお金の工面を依頼して罵声を浴びせられていました。叔父は、両親が離婚して連絡取らないなら融通すると言いました。そして離婚届まで用意してあり、判を押すように強要されました。そして二人は離婚し、もう一人の親類の年配の男の人がお金をうちまで持ってきてくれると言うことになったのです。帰りの車の中は恐ろしく静かで、誰一人として口を開きませんでした。今思えばあの時初めて歯を磨くのを忘れるぐらい体がしんどくてすぐ寝入ったのを覚えています。
次の日、お金が来るはずなのにその親類の男の人がお金を持って現れることはありませんでした。そのまま逃げられました。お母さんはまた再度叔父さんに頼み今回は祖母が行きました。そのお金で何とか解決したのですが、私は父と住む事になり姉は母と住む事になりました。父は軽微の仕事で夜勤が多く、私はスーパーに入っている衣料品店のショップに勤めていました。辺ぴな所で駅から自転車で大きな国道を走り寂しい夜道を延々と走らないとアパートまでたどり着きませんでした。ある日便箋を差がsんひていた私は父が書いた母にあてて出せずにいる手紙を発見しました。そこには失ってから罪悪感を募らせている父の葛藤が寄せられていました。お前だけが最初で最後の女だと。家庭を壊してみんなをばらばらにさせた事への自分への嫌悪感がびっしりと書かれていました。私はそのことを母には最近まで言えませんでした。
ここまでの私が体験したことはすごくマイナスな事でしたがこういう体験はその後必ずプラスにもなるものです。身をもって自分の行動が人様に迷惑をかけることがどれだけすべて間違っていて自己中心な事か。それによってどれだけの人間がいろんな状況下に置かれるか。でもそれにへこたれず進んでいかなくてはそこから線路をひくことは出来ないと思ったのです。
皆さんの人生の中ではどのようなことが起こりそれによって生き方が変わりましたか?どんなつらい状況に今現在いる人でも、どうぞお願いだから諦めないで。。自分の肩をポンポンと叩いていたわってあげて。線路には必ず到達する駅が電気をつけて待っているから。すべてのことが無理でも一つでもいいから。。沢山抱え込んでしまうと目の前が見えなくなりがちだから。。
今度は夫との出会いからアメリカに移るまでのことを書きます。これを呼んでくださった方々ありがとう。こんなくらい話だけど私が体験したことを書くことによって何かお役に立てればと思いました。
