何かをしたい

何かを変えたい

そう思ったとき、どうしてますか?

まずは自分の願いを叶える方向へ動き出す

ですよね?!


でも、立ちはだかる壁や試練に

打ちのめされて、砕かれて

夢途中で敗れる...

またか~またダメだったって

諦めてしまう!!


これがいつものパターンでした


この言葉を心に刻むまでは


「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 

心を燃やせ」


情熱 :  情熱の炎を消しているのは

他の誰でもなく、自分自身なのだ


そしてわたしは『諦めることを諦めた』


ここから負けない(諦めない)戦が始まった

成功するまでやり続けるって決めたら

壁があって当たり前で

それをどう乗り越えるのか?迂回して行くのか?

こっちの道がダメならあっちは?

って思考が変わっていった


真っすぐな道なんてないんだ

グネグネ道でも遠回りでも急な坂道でも

道からそれても道なき道を進む


新しいことをする人は

きっとみんな手探りで進んでる


そうやってこの2年

あっているのか?わからないまま歩んできた


会社、組織に心折れそうにもなった

理解が得られず、伝わらないことに

何度落ち込んだのだろう


その度に『心を燃やせ』に救われながら


9月サットサンガを開催できることになった


たった1つ、されど1つ

形になろうとしてる。。。


やっとやーっとだよ

『達成』成し遂げたーーー!!


この達成に至るに2人のサポートなくして

私は戦って来れなかった


どんな時も肯定してくれた

いつも優しくサポートしてくれた

2人に心から感謝を♡


今は離れているけど、2人は私の中に

常にいて、今も支え続けてくれている。


だから、今日も進んで行ける!!

朝、学校へ行く用意をダラダラとしていて

しない娘に対して怒りが沸く


夜も何度も『早く寝なさい』と伝えていた

それでもなかなか寝なかった


理由をつけてはやらない

『体育着がない』→着替えない


それに対し怒る私

怒りながら、麦茶の容器を洗っていたら

水道の水の勢いが強くなって

自分の方にはね返ってきてびしょ濡れに


そこできたワード『水に流せ』

自分の中でも何度か繰り返した

そしたら...怒りも沈んで

言い過ぎたことに対し

すぐに『ごめん』が言えた

(口先だけのごめんは言えないので

心から思っていたのだと思う)


反応はなかったけど気にならなかった

謝ってるんだから...いいよとかないの?(許してよ)ってならなかった


最近の変化のメモ✏️

1、一瞬で(瞬時に)気持ちが変わる体験をしている

2、相手が自分と同じじゃなくても相手を責めるような気持ちにならなくなる(違いが認められつつある)


ちょうど一年前位に

火のエネルギー🔥は怒りで燃やすのではなくて

情熱としていくって学んだのだけど


今日は

水のエネルギー🌊は悲しみで流すのではなく

赦す(なかったことにする)洗い流すとして

いけるんだなぁ〜と学びました


カードみただけでザワっとして
なきそうになった💞

あーきてくれたってね
愛の女神の存在が
私をあたためてくれる
愛の女神から愛を受け取った

そして彼女が産みだしたと言われる
姉妹の女神たちをよんだ

最初に風の女神🌪
思考を聖なるものとして使えるように
(頭で考え始めると
わからなくなることが多くて)
彼女に委ねることにした

次に火の女神をよんだ🔥
私の内なる(情熱)の炎が消えないように
聖なる炎に❤️‍🔥
怒りからの火ではなく愛からの炎で
火のエネルギーを
正しく使えるよう頼んだ

そして大地の女神⛰
何があっても支えてくれるという
失敗しても挫折しても
下からしっかり支えているから
自由にやってこいという
心強い!!でっかいお母さん。
一緒にいてくれる安心感をもらった

最後に水の女神🌊
彼女は感情を流してくれるという
なかったことにするのではなく
一緒に寄り添い私が感じきるのを
隣で見守ってくれると
だから傷ついても私がいるから
心配ないという
1人じゃないからと

こんな存在たちに包まれ愛され
生きられるって幸せだ

自分らしくいられるのは
目に見えない存在のつながりや
愛があってだと改めて思った

不安だったわたしが
臆病者だったわたしが
わたしらしくいられるようになったのは
そういうワケなのでした✨

私、泣いたんだ。。。

手術の直前、先生待ちをしていたとき

涙があふれてね

とまらなくなった


お別れだもん

当たり前だよ

つらいよ、悲しいよ


そうじゃないの。ちがうの。


担当の先生が入って来たとき

涙がとまらない私をみて

『こわくなっちゃったかな?』って

言った


それもちがうの。


愛とやさしさにふれたら

涙腺が崩壊した


何が起こったかってね


いつものごとく

見えない存在たちを呼んだ


空間を守ってもらったり


このアマネ(←赤ちゃんの名ね)の

肉体とのお別れのセレモニーが

スムーズに行われ

最高最善のかたちで無事に終わることを

意図します


とお願いした


手術直前の繊細な私の心に

目に見えない存在たちは

圧倒的なすべてを包み込むような

大きな愛を見せてくれた


素晴らしくて

不安なんてすぐに吹き飛ばされて

感動して涙がでそうになって

おさえた


看護師さんがね

私、目閉じてたし

涙、流れてないんだよ


目頭のところにたまっていた

少しの波だを拭いてくれた


そしたらさ、もう止まらなくなって

次から次へと涙があふれた


人のやさしさに触れたから


子どものように止めることなく

泣いた


麻酔科医の先生まで涙を拭いてくれた


私の手は動かせなくなってたのも

あってね(手術直前だから)


涙を拭いてもらうなんて

子どもの時以来だね


私はね、小さい時から泣き虫だった

転んでケガをした時

痛いけどギリギリ我慢していても

駆け寄ってきてくれた友達の

『大丈夫?』の言葉を聞くと

涙があふれてしまっていた。。。


やさしさに泣くのだ

やさしさはまっすぐ心の深いところまで

入って溶かしていく


人の心を救うのは“やさしさ”だ


わだかまりを解くのも

怒りを鎮めるのも

赦すのに必要なのも


やさしさ


やさしさ流産に病院は寄り添ってくれない

診断してこれからの流れの説明、検査、

手術、術後観察


身体ケアのスペシャリスト

心のケアはない

だから、みんなつらい


心のケアの仕方知らなかったり

どう悲しみを捉えるのかわからない

流産がつらくて悲しみであふれる理由


心は誰に見てもらう?


まーそんなふうに私も思っていたんだけど

涙を拭ってもらって

やさしさにふれたら

病院は流産に充分寄り添っているじゃないかー

ってなって泣いた


自分が相手に心ひらいていれば

受け取れたやさしさが

そこには存在していた


だから、開いて生きるって大切!

だいたい思い込みで閉じてるからさ〜


病院は流産に寄り添わない

改め

病院は流産に寄り添っている

(私が望む心のケアではなかったけどね)


病院というか、人だね?!


自分が閉じなきゃみんなやさしい

自分は開けとこ


心開いたやさしいいっぱいの世界を生きていこう


お別れのセレモニーでした


肉体を越えた 生 と 死 を理解する


私たちは基本的に

肉体をもつものを 生

ないものを 死 としている 


この世界には

私たち人間以外にも

目に見えない、

肉体を持たない存在たちがいる


彼らは生きている


肉体の 生 と 精神の 生


精神(心)を持っているものを 生

精神(心)を捨てたものを 死 とする


心(精神)が死んでいるように生きている

人間もいれば

心(精神)が生きている肉体をもたない

存在もいる


何を持ってあなたは

生 と 死 を分けるのか?


肉体が生きていることだけが幸せで

肉体が死んだら悲しくて不幸なこと

そう思っている限り

グルグルは続く...悲しみの連鎖は続く...

(死んで話せなくなったりするのは

寂しいし、悲しいこと。

でも悲しみがあることと不幸なことはまた別のこと。)


生きることもひとつであり

死ぬこともまたひとつである


私のパワーアニマル(ハシビロコウ)

が教えてくれたこと


エリーサありがとう💚