これまで関心はあるがしなかったことの一つに、「裁判の傍聴」があった。
前職に就いていた頃は、休日は心身を休めることを第一とし、自宅で過ごすことが多かった。
いや、ほとんど自宅で過ごしていた。
会社に行かずに済むようになって数日経ったある日、私は強盗致傷事件の裁判を傍聴しに行った。
そこに、TVドラマや映画でありがちな場面は無かった。
情状酌量を求め、熱い答弁が繰り広げられることはなかったし、法廷内を歩き回る弁護士もいなかった。
弁護側、検察側、共に資料を淡々と読み上げるだけで座席を離れることなどなかった。
動きがあったのは被告人と刑務官のみで、被告人席と証言台を往復した時だけ。
その被告人も、自身の生い立ちや罪を犯すに至った経緯、被害者への謝罪の言葉を述べてはいたものの、❝今❞思うことを述べているのではなく、事前に練習して覚えて来た言葉を❝忘れないうちに❞述べているように感じた。
彼の❝棒読み❞が、そう感じさせたのだと思う。
まるで、頭の中にある台本の台詞をなぞっているかのように見えた。
そう見えただけで、緊張のあまり棒読みになってしまったとも考えられるが…。
どうやら、私はドラマや映画の影響を受け過ぎていたようだ。
目の前で行われている裁判を、本物だと感じられなかったのだから。
アラフィフ、今日もそろりと生きてます。