”(木)ヒーラーに必要不可欠な知識と経験” | 探求

探求

日々の身体と心の動きを観察する日記です

一般的にはリブログ先のエントリに書いてあることはその通りで間違ってないと思いますので、長いけど、ヒーラーになりたい人はいっぺん、読んでおいたら、良いと思います。

ただ、今の私自身はこうは考えない。どこまで介入すべきなのか問題は実は私も考えたことがあります。他者の人生にどこまで介入すべきなのか。しかし、目に見えないという意味では、誰かに何か言うのも全部、人に干渉します。完全に無干渉というのはあり得ないですね。そこはスピリチュアルかどうかはあまり関係ない。そこまでこだわるなら仏教の教えを実践したら、良いと思います。

私はものを考えるプロで、そのトレーニングを受けて、それで生計を立ててますから、多角的に物事を捉える重要性は分かります。でも、霊的なものだけでなく、あらゆることの判断は、データが足りないなかで、どこかの時点で行わざるを得ない。要は程度問題です。その線の引き方はいろいろあり得るでしょう。

人間の能力は何かを伸ばせば、他とバランスが難しい。私の場合、骨の髄まで、考えるという行動パターンがあるので、書いてないけど、ものすごく分析しているわけです。でも、それは微細な感覚を感じるというときに使う能力とは違うし、なんなら障害になりかねない。これくらいの情報は入れておくべきという形で知能を使うのは少なくとも私にとっては障害になります。たぶん、このエントリを書かれた方は、音楽家なのでもともと微細な身体感覚を発達させていたんだと思います。

それともう一つ、これはスピリチュアルな能力をどれくらい使ってるか分からないんですが、細かい言葉にしなくても、この人はこういう人という感覚が私にはあります。今生の経験によるところももちろん大きい。そのことと関連して、私はヒーリングをするといっても、それで鐚一文(びたいちもん)、お金を取るわけではないので、こちらから選ぶことが出来ます。誰にでも声をかけるわけではありません。これはお金を受け取っても出来ますが、客を選ぶというのとは違うわけです。

それから、もう一つは早死の話ですね。私がかつてお世話になった気功の先生は早くに亡くなりました。こういうのはよく知られた話だと思います。ただ単に氣だけの話であれば、センタリングとグラウンディングが出来て、天地の力を呼び込めれば、自分の気を枯渇させることはないでしょう。それとは別に、そもそも私は別に今生になんの未練もないので、死ぬなら死んでも良いと思っています。それは私が永遠の生とを確信してるからで、死んだら別のステージに移行するだけだと考えられれば、逆縁は両親が気の毒だなとは思いますが、死ぬことがいろんなことを知るチャンスを連れてくるのは楽しみでさえあります。あとは、この世で私が生きているのは私を必要とする存在がいるからで、その役目がある限りは守護してくれるだろうし、それが及ばないときはお役御免なんだろうなと考えています。