順縁と恩送り | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

数日前に旧知の仲間から連絡があって、共通の先生の訃報が新聞に出ていたと知りました。私の人生の航路を決めてくださったという意味で決定的で、公私ともにお世話になったことは限りなく、そして先生の存在は私だけでなく多くの人の人生の指針になっていました。その連絡をくれた仲間も、すごく気落ちしていて、メールをいただいてすぐに電話して話しました。その後の共通の仲間へのメールの文面を読んでもツラいんだろうなと思いました。そのほかにも、なんで私にというところからもご連絡をいただきました。

 

でも、率直に言うと、私は順縁で良かったなあと最初に思いました。というか、どんな方の死でも私がもっとも最初に感じるのはその点なんです。昔、その先生が、有名な夭折した学者のお父さん(有名な学者)と親しく、その方が亡くなって息子さんの遺稿集を編纂したお話をされたときに、あれは悲しいねとおっしゃったことがあって、あんまりそういう内容についてではなく、感情的な機微を語られない方だったので(サッカーについて以外)、それがすごく印象に残りました。そういう風に今の私の一部を構成しています。

 

恩というのは基本的にその人には返せないものです。だから、私は恩送りが大切だと思っています。私が誰かから受けた恩は、また別の誰かに受け渡していく。こうやって、私がそのときのことを思い出して、それをこうやって共有する。友人が以前、一番の供養はときどき、思い出してその人の話をすることなんだと語ったことがありました。こういういくつもの断片を、思い出話として故人を知っている人に、単なるエピソードとして故人を知らない人に、それぞれつなげていくことがきっとまわりまわって、その人が生きていた証になるんだろうと思います。