女神の時代の男性の役割 | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

今日は小難しい話をしますよ。

 

RIHOさんからいただいたメッセージのなかに、フェミニンリーダーという表現がありました。フェミニンはまさに女性的という意味ですね。このフェミニンリーダーというのは、自分自身ももちろん使うんだけど、他方で個性の違う仲間の個性をうまく引き出して、それによって大きなパワーをみんなに与えていく、そういうリーダーなのだそうです。たしかに、20世紀まではそれぞれに主張を持っていて、そのもっとも人から支持される人に、みんながついていくイメージ、そうまさにリード=引っ張っていく人がリーダーで、これは男性的なリーダーというイメージでしょう。でも、これはあくまで男性中心社会における男性像だと思います。そう争いのなかのリーダー。

 

平和な、穏やかな社会というのは、私は基本的に女性中心だと思います。そういう風に書くと、女性でも暴力的な人はいるし、特に、その自分の内なる凶暴さ、攻撃性を持て余している人には、かえってシンドイ思いをさせてしまうかもしれませんが、それは本来的なものというより、人生のどこかで傷ついてそうなってることが多いと思うので、本質的、根源的なことではありません。原則的に、本人にその気があれば、癒すことは可能です。逆に、無理に平和、穏やかでなければならない、と思う必要もありません。そこに不自然さがあると、それが傷になり、自分を傷つけ、やがて他人を傷つけるからです。横道にそれましたが、大事な話なので、念のために書いておきます。

 

女神の時代というのは女性中心の世界で、でも、それは男性が不在の社会ということでは決してない。そういう世界の中で、男性の役割は何だろうなとここのところ、よく考えています。一つのイメージは、女神神官や巫女の神おろしを、現実の社会に合うように解釈していた審神者(さにわ)的な存在ですね。私は自分の透視力をフルオープンにしていないという自覚があって、自分の頭で考える部分を完全には明け渡してないんです。少なくともすぐに戻って来れる程度にしています。これは、自分のなかにあっても、審神者的な性格を残しています。

 

この前、二人の女性と一緒に仕事をすることになって、その方針を私がまとめることにしたんですけど、その手法というのは、この応用なんですね。どういうことかというと、一人一人に何をやりたいのかということをカウンセリング的に聴きつつ、その話を私のなかに落として、その魂の部分を文章として成形するということです。この何人かの思いを統合するというのは、メチャクチャ、ロジカルな思考を一瞬だけ使うんですが、これってどっちかというと、男性的なんじゃないかなと思うんですね。これが一つ。

 

あとは、審神者なので、正しい、間違っているの判断ですかね。というと、エラそうに聞こえますけど、実際は本人が分かってることをちょっと後押しするだけです。本当は間違っていると分かってるけどすがりたいとか、本当は正しいと思っているけど不安があるとか、そういう靄(もや)を払っていく、ということなんです。本人が分かってないことを言葉で伝えようとしたって、無理ですからね。おそらく女性同士の感情的な共感だと、不安の方にもフォーカスできちゃうので(不安な気持ちを分かり合っちゃうみたいな)、そこはあえてばっさり、というのは、男性的なんだろうなと思います。ちなみに、こういうのでよければ、どなたでも話を聞きますので、いつでも相談してください(ringp2019@gmail.comへどうぞ)。