3月、とうとう大学生になるのだと私は意気込んだ。
高校生活はひたすら予備校に通う毎日で、楽しさなんてものはなかった。高校では生徒会に所属していたため、年一の息抜きであるはずの文化祭も雑務雑用としてこき使われ、皆が帰った後もゴミコンテナの前に一時間以上座りっぱなしだったり、校舎の見回りを何十回もしたりしていた。クラス内では地味な方で、リア充!という人たちがずっと苦手だった。彼らよりも絶対良い大学に入ってやる!と勉強ばかりしていたが、結局は同じレベルの大学へと進学することとなり、また、指定校推薦で遊び呆けていた知り合いと同じ大学へ進学することとなる。
(センター試験の自己採点が自分の思ったよりも良いものであったこともあり油断し、そこから歯車が狂った。そして都内大学の二次試験は偏差値が一気に10近く上がるというとんでもないハルマゲドンが起こった。
しかし今から見ると、そこで油断したことは悪かったのか、そのハルマゲドンは悪かったのか、というとそうとも言えないのは確かだ。)
第一志望には届かなかったものの、私は大学へ進学することが決まった。晴れて私も大学生だ!と思えていた頃は良かった。
3月にはウェルカムパーティーという「新一年生で仲良くなろう!」をモットーにした企画に参加した。女子と喋るのは何年ぶりだ、という感じだったので非常に緊張した。その緊張を隠すために真っ当なコミュニケーションをしなかったことをよく覚えている。例えば、「好きな芸能人は?」と聞かれた時に隣の男は「橋本環奈」と答えていたが、私はわざと「所ジョージ」と答えたように。女子はみんなよく笑ってくれて、手応えとしてはまずまずだった。だが男が難しかった。私が話してもそっぽを向いている人たちが多く、話を聞いてもらえない。シンプルに冷たい。その時、ピリッと心が痛んだ。寂しさがこみ上げた。こんな始まり方でいいのだろうか……? この時抱いた悪い予感は見事的中することとなる。
3月の末、英語クラス分けテストが実施され、その帰りに一緒になった三人で仲良くなった。だが大学の授業が始まっていけばどんどん無視をされるようになり、最終的に私はその友人二人に撒かれてしまった。私の嫌悪、彼らの無関心により、そこから疎遠となった。
ひねくれてること、変なことを言わないようにしようと心がけていたはずなのに、それが裏目に出たようだった。私の被った仮面、本音を取り繕った発言を見て、ニュアンスに違和感を覚えたのかもしれない。
そこから先は、前述の、高校で遊び呆けていた指定校推薦の友人に二週間ほど助けられることとなる。昼休みにはその友人グループとご飯を食べていた。しかしその期間中、私はしっくり来なかった。「申し訳ないが、楽しくない」そう思ってしまっていた。だがその二週間はそのグループから抜けるべきか、自分の中での踏ん切りがつかなかった。
そんな時、入部希望のサークルの先輩とすれ違い、サークル部室へ初めて行くこととなる。そこは私の理想郷というべき場所であった。馬鹿話をしたり、いじったりいじられたりしている中でも、先輩たちの信頼し合っている雰囲気が感じられた。
その雰囲気も相まって、私と波長のあう人間たちが集っている!と頭の中でシンパシーがめきめきと音を立てた。
それからというもの、一人で飯を食べるのも嫌なので部室に入り浸ることとなる。4月3日入学式の時点でサークルのリーダーに入部の旨の連絡をとっていたため、私の名前が一人歩きしていた。それもあってサークルの先輩方と会うことに苦はなかったといえる。同期が正式に入部するのは5月の後半ごろで、だいたいその時期からサークルに馴染んでいくのがテッパンの流れなのだが、私だけは4月後半からサークルの先輩方と親交を深めていた。(5月の初めにご飯に連れて行ってもらったりしていたので、異例のスピード出世などと呼ばれてもおかしくない)
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学科の集まりはやはりどうも苦手だった。女子とも仲良くなる気満々で、なおさら狙っていた子もいたのだが、4月後半には少人数クラスで同じだった女子から未読スルーをされることとなる。同じ新歓に参加しようと呼びかけたメッセージだったが、6月になるまで既読がつくことはなかった。しかも既読がついただけで、未だにメッセージは届かない。
しかし私は全く落ち込まず、そこがダメなら別の子だ、と思い、5月前半には英語や少人数授業が同じだった可愛らしい子とLINEを交換した。それからLINEでお互いの素性の質問のキャッチボールが続き、これは勇気を出してLINEを交換した甲斐があった!と私は喜んだ。観測十分!という考察をし、私は自信がついた。
しかし突如「610事件」が起こることとなる。ある日、私は早めに610教室へ着いた。授業の始まる10分前くらいだろうか。この教室はキャンパスで恐らく二つ目に大きい教室で、推定200人くらいは収容できる。最初は教室の後方に座ったのだが、前方にその子がいることに気づく。友達と二人で座っている。私はその子と話したいと思い、その子の隣へ移動した。そこで「隣いい?」と聞くと、その子の怯えた顔があった。残念ながらその提案には応えてくれなかった。しかし隣へ来た以上、私はその子の隣に座るしかなかった。そこからは他愛ない質問を投げかけてみるのだが、どれも素っ気ない、怖がった感じの返事しか返ってこない。私は犯罪をしているわけではないが、その子は今あたかも犯罪の被害を受けているのだ、という目をしており、私を人と見ていないほどの冷たい対応であった。私は恥ずかしさと罪悪感にさいなまれたが、ここまで来た以上何か爪痕を残さなければならないという使命感に駆られ、リアクションペーパーに達筆の文字を書き、その子に見えるように置いた。そして講義が終わり、早く逃げ出したかった私は「じゃあ!」と屈託のない笑みを残しすぐさまそこから去った。これが「610事件」の全貌だ。井の中の蛙が大海に出たらこうなるから気をつけろ、という教訓である。
その子はその時怯えていた。が、その後の少人数クラスにて、その子のプレゼン発表の際、説明を聞いていたら笑顔でこっちを見てくれたことがある。私が頷いていたのもあったかもしれないが、嫌われているという思い込みがスパッとなくなった気分で少しホッとした。しかし「610事件」以来喋れていないし、挨拶もできない。それは私にとって「610事件」がよっぽどの負い目であり、その子が当時の恥ずかしさを思い出させる存在であるということを意味しているのだろう。
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今からしてみれば馬鹿馬鹿しいし、当時、そんなに恋人が欲しいというわけでもなかった。テンションが上がっただけの若気の至りというやつだろう。今ではこういう積極性はなくなりつつあるが、それが良いことともいえるし悪いことともいえる。