私が夕焼けだった頃…。 | 仙台・多賀城・宮城県 大切なものを大切にできる暮らしをおかたづけでお手伝い ちいさい一歩

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昔、俺が夕焼けだった頃、

弟は小焼けだった。

親父は胸焼けで、お袋は霜焼けだった。

 

 

松鶴家千とせ

 

ではありません。

 

仙台・多賀城・宮城県
大切なものを大切にできる暮らしのお手伝い
おかたづけ屋ちいさい一歩山田和佳子です。

 

分かるかな?分かんねぇだろうな~?

いえ~い!

 

という往年のギャグでツカミはOK。

 

 

娘が幼かったころ

私たち家族はアパートに住んでいました。

 

西日が当たる部屋でした。

日あたり抜群すぎで

過ごしにくい部屋でした。

 

はじめての子育ては戸惑うことばかり。

まだ若手だった仕事と家事

そして子育ての両立は

体力的にも時間的にも余裕がありませんでした。

 

私はなんにもできていない…。

私はもっと頑張らなくっちゃ…。

私はこんなんでいいのかな…。

 

毎日疲れて布団に入るとき

そんなこと思っていました。

 

それから10数年が経ち

娘は高校生になりました。

 

幼かった頃の話をすると

いつも夕焼けの話が出てきます。

 

私と娘は西日が当たるアパートで

時々おひさまを見送りました。

 

夕日で空が

オレンジからピンクに

ピンクからむらさきに

むらさきから黒に

変わるほんの15分程度の時間

窓際に並んで

「綺麗だね」と呟きながら

空をただ見ました。

 

「楽しかったね」

娘は時々思い出しては

そう呟きます。

 

「ママ今日も綺麗だよ」

南向きの窓が夕日色に染まる頃

高校生になった娘が

時々私を呼んでくれます。

 

 

私が夕日だった頃

私は自分の子育てに自信がなかった

私ががんばっているなんて思えなかった

毎日いっぱいいっぱいで

なんて余裕がないダメな母親なんだろう

と思っていた。

 

娘が夕日を教えてくれる時

私はそれなりに子育てをしたんだと思う

私は本当にがんばっていたんだと振り返る

毎日がいっぱいいっぱいなのは

こどもを大切にしていたらか

余裕がなくなるくらい大好きだから

と思い出す。

 

子育てに自信がなくて

がんばっているのか分からなくて

いっぱいいっぱいで

余裕がないママへ

 

毎日頑張ってるよ

本当によくやってるよ

大丈夫

こどもはご飯食べて寝たでしょ。

お疲れさま。

 

あなたがしていることが正解だって

もうちょっとしたら

こどもが教えてくれるよ。

 

わかるかな?