魔女になる夢

魔女になる夢

ちいさい頃の夢は「魔女になる」だった、

1970年代最後の夏に生まれた女の日記。

時々“X(Twitter)化”するブログ。

「奈良はお庭、京都は裏庭」の気持ちで暮らす日々。



国内でも“神宮”は24社のみ。
氣比神宮神社

↑拝殿入口の鳥居
(まさかの重文の大鳥居を撮り忘れる)

↑手水にもなっている「長命水」カメ

↑こちらは駐車場側の門

↑「旗揭松」

※祠の中が落雷後に枯れた初代の切り株


元禄2年(1689)9月27日(旧暦8月14日)、
松尾芭蕉が夕刻に到着。
天気が変わりやすいから、
今夜のうちにと氣比神宮へ夜参りに。
月見を堪能されたそう。
五句、碑に記されています。
↓こちらにも一句。

こちらの神宮が松原客観を管理していて、
この付近に松原客観があったかも……。

平安前期に渤海使のために設置された施設。
その後は宋人も使用した宿泊施設。

紫式部に想いを馳せながら。



2024.06.03

今年は知事の挨拶が話題になってる。
しかも、現代について言及する場面で、
テレビ中継でちゃんとイスラエル大使を抜いてたそう。
私もこの湯崎知事はなんか好き。



2024年8月6日の広島平和記念式典で、広島県の湯崎知事があいさつした。全文は以下の通り。

 79回目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や御遺族の方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 原爆投下というこの世に比類無い凄惨な歴史的事実が、私たちの心を深く突き刺すのは、「誰にも二度と同じ苦しみを味わってほしくない」という強い思いにかられた被爆者が、思い出したくもない地獄について紡ぎ出す言葉があるからです。その被爆者を、79年を経た今、私たちはお一人、お一人と失っていき、その最後の言葉を次世代につなげるべく様々な取組を行っています。

 先般、私は、数多の弥生人の遺骨が発掘されている鳥取県青谷上寺地遺跡を訪問する機会を得ました。そこでは、頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢尻など、当時の争いの生々しさを物語る多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。

 翻って現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。

 いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。

 私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。

にもかかわらず、核廃絶に向けた取組には、知的、人的、財政的資源など、あらゆる資源の投下が不十分です。片や、核兵器維持増強や戦略構築のために、昨年だけでも14兆円を超える資金が投資され、何万人ものコンサルタントや軍・行政関係者、また、科学者と技術者が投入されています。

 現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。

 ある沖縄の研究者が、不注意で指の形が変わるほどの水ぶくれの火傷を負い、のたうちまわるような痛みに苦しみながら、放射線を浴びた人などの深い痛みを、自分の痛みと重ね合わせて本当に想像できていたか、と述べていました。誰だか分からないほど顔が火ぶくれしたり、目玉や腸が飛び出したままさまよったりした被爆者の痛みを、私たちは本当に自分の指のひどい火傷と重ね合わせることができているでしょうか。人類が核兵器の存在を漫然と黙認したまま、この痛みや苦しみを私たちに伝えようとしてきた被爆者を一人、また一人と失っていくことに、私は耐えられません。

 「過ちは繰り返しませぬから」という誓いを、私たちは今一度思い起こすべきではないでしょうか。

令和6年8月6日

広島県知事 湯崎英彦

※「ある沖縄の研究者」の言葉として紹介した内容は、中国新聞の令和6年6月18日(火)の朝刊に掲載された、上間陽子氏(教育学者、琉球大学教授)執筆の「論考2024誰かの痛み忘却しない」から引用

中国放送






紫式部が、父藤原為時に伴って、
越前へ向かった道のり足

ここが滋賀側の入り口↓


ちゃんと石垣が残ってる↓






深坂地蔵↓


深坂峠、到着↓


炭焼きかまど跡↓

笠朝臣の歌 解説板↓

紫式部の歌 解説板↓



もう少しで福井側の北登口↓
というところで到達ということにして、
体力残ってるうちに引き返しました。

なかなかの険しい山越え。
そりゃ、紫式部もあんな歌詠むわ。
人生は山越えの連続。



2024.06.03



長い行列に並んで待って茅の輪をくぐりました。






少ししか茅をいただかなかったので、
こんなヘタクソな茅の輪になりました笑い




これにて、祇園祭は締めくくりです神社
1ヶ月間、楽しく学びの多い日々でした。
見逃した神事や参加できなかった神事がいくつもあるので、
是非とも来年以降も越させてもらいたいと思います。




白髪神社は三度目神社


でも、今回は紫式部に想いを馳せる敦賀への旅なので、
メインの目的は、こちら外宮、内宮、三社への階段を上がりますあしあと


“紫式部歌碑”虫めがね


三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも  紫式部





越前への道のり、追いかけます。




2024.06.03





運命だった!
ずっと前にも見かけてたガチャガチャビリヤード
だけど、なんとなく迷ってやめといた。


また見つけて、今度は「よし、時は来た」と感じて、


はい、一発で欲しいもの引き当てましたふんわり風船ハート

実家の本棚に飾ったら可愛い乙女のトキメキ



本本他にも、ミニチュア本のシリーズいっぱい本本本
↓↓↓


2024.05.02