このブログを始めて数年経っているんだね。
社会人やっているときから、1回病気で療養生活し、復帰できたものの再度病にやられて過ごしている。
社会も変わっているから、違う方向や可能性を考えなければとアメブロ開始とほぼ同じタイミングで別のことをはじめた。
始めのほうに参加したセミナーで「小さな感動」というキーワードを得ることができた。
それを自分なりにそしゃくして『小さな幸せ』とした。
幸せというのは大きいほうが魅力的だし、ある意味他の人に見せ付けられるし、満足の度合いもとても高いと思います。
しかし、大きな幸せというのは度々来るものなのだろうか?
ってか、大きな幸せは自分基準でなくマスコミを始めとする外部の先見でできてしまいやすい。
大きな幸せを求めることは、向上心あってこそだし、手に入れにくいからやり甲斐のあることなのかもしれない。
しかし、それを求めすぎるばかり、日ごろ何気なくある小さな幸せを感じることができなくなったら・・・。
おそらく感謝するとか共感するとかできなくなり、独りよがりになって、大きな幸せを掴むどころか不幸のどん底に落ちてしまう気もします。
幸せというのは、もっと身近なものかもしれない。
毎日朝が来て、朝日を浴びることができる、挨拶や会話ができる、食事ができる、ブログも含めてPC等のネット端末で楽しめる、顔を洗ってさっぱりできる。
こんなのごく一部だけど、快に感じることは『小さな幸せ』なのだと思う。
自分は、人ができてないから些細なことでも幸せを感じることがなかなかできなかった。
一時期大きな幸せを手にしたく、あるやってはいけないことをして、欲に負けて不幸になった・・・。
でも、今になって人からすれば不幸かもしれないけど・・・、
それでも、幸せな部分ってあるんじゃないのかなと思う自分がいる。
比較しちゃうから(しやすい世の中になっているのだと思う)、本来幸せに感じていることを見過ごしていたのだと思う。
幸せは小さくたっていいんじゃないですか?
小さな幸せも積み重ねれば、大きな幸せに近くなるかもしれない(同じって感じではないんだけど)。
日々、小さな幸せをかみ締められるかが日々過ごしていく中で大事じゃないのかなと思えたのです。
駄文読んでくださりありがとう!